Sunday 6 September 2009

6.ラマユルに朝が来る

 朝5時起床。ラマユルの朝は早い。羊の鳴き声がする。鳥たちのさえずりが聞こえてくる。そして今日も人々は農作業にいそしんでいる。朝日の中、眠たい眼をこすりつつ村内を歩き回る。ドライフルーツをかじりながら農作業の様子を見て回る。

 昔ながらの生活をしている村をトラディショナル・カルチャーと言う。レーなどの大きな街はモダン・カルチャーでトラディショナルな文化はなくなりつつある。そこには外から資本と物資が流れ込んで来て、人々の繋がりは打算的になり、希薄になっている。だから消費つくされて毎日出るゴミは行き場を失い、うずたかく積まれている。モダンな文化が見え隠れするも基本的にはトラディショナルな生活のラマユルは、人々の繋がりが密になっていて、農作物の収穫時には村全体で手伝いあう制度が残っている美しい場所だ。ラダックは世界の縮図が見て取れる。資本主義の弊害が如実に見えている場所なのだ。人類学者のヘレナ・ノーバーグの言葉を思いだす。「消費文化がラダック独自の文化に優越するものではないということ、従って、自分たちが劣っているとか遅れているとか貧しいとか感じる必要がない」そのとおりだと思った。

 僕は彼方に広がるドライマウンテンを見上げつつ、歯がゆい思いに胸が押しつぶされそうになった。

Donky at Lamayuru


 わらの束を背負ったロバが、朝日を背に受けつつ歩いてくる印象的な風景。

Farmer at Lamayuru


 わらをすくい上げて風選をしているのでしょうか?ラマユルの農婦たちは実に働き者だ。

Lamayuru gompa


 朝日を浴びて眼を覚ましつつあるラマユルゴンパ。

Farmer at Lamayuru


 朝6時。家族総出の作業だ。農婦たちのユニゾンの歌声が耳に心地いい。

Lamayuru Gompa


 朝日をじっと待つラマユルゴンパ。チェンマの間からその勇姿がのぞき見える。

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