2012年9月25日火曜日

5.アーユルヴェーダとボーディ・プージャと。

土曜日の午前中、ケッタラーマ寺では近隣の村人のためにアーユルヴェーダの出張診療所が開設される。医療機関よりアーユルヴェーダ専門の先生がお寺を訪問されて無料で診療が行われるのだ。朝早くから近隣の村々より人が集まり始める。人が集まり始めると病院からの車がお寺に到着し、さっそく診療が行われる。アーユルヴェーダとは現代西洋でいう医学のみならず、生活の知恵、生命科学、哲学の概念も含んでおり、現在、世界各地で西洋医学の代替手段として利用されている。(WIKIより)

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2012年9月24日月曜日

4.コロンボの大法要とスプートニク・インターナショナル。

朝早く起きると、僕たちは早速コロンボに向けて出発する。ケッタラーマ寺僧侶たちの乗った車の窓は大きく開け放たれ、後部座席からは歌声を聞こえ、南国の風に運ばれているこの車での移動は,
さながらマジカル・ミステリー・ツアー的な小旅行となった。クルネーガラからコロンボに続く一本道は、緑濃いジャングルの海を渡す船のようだ。その道を走っていると晴れた太陽がそっとどこかに隠れ、誰かが突然インド洋を空に持ち上げて、ぱっと手を離したようなものすごい量の雨が落ちて来た。あっと言う間に道路は冠水し、ワイパーは効かずそして前方は見えず、道を行き交っていた車は大渋滞に陥った。そんな状態が30分ほど続いただろうか、突然その台風のような雨はやみ、厚い雲は漂ってはいるが、その薄いところには太陽の光が透けて見え、濡れた大地に柔らかな光を送り込んでいる。

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次第に景色は街の様相が濃くなり出し、車はコロンボ市内に入り、大きな大きなお寺に辿り着いた。 コロンボ市内はまだ小雨が降っており、地面は湿っていた。お寺の中にはオレンジや赤や黄色そしてえんじなどの色鮮やかな袈裟をお坊さんたちが大勢集まっており、中には外国から来た見慣れない色の袈裟を来たお坊さんたちもたくさんいた。僕たちはお寺の中の正面に建っている立派な建物の控えの間に通された。その部屋は特に外国から招待されたお坊さんが多く、オーストラリアからの尼僧さんなどとともに、みんなで語らいでいた。外では一般のスリランカの方々も大勢駆けつけていて、これから大きなお祭りでも始まるかのような熱気だった。中庭にあふれている白いプージャ用の衣装に身を包んだ人々の中に様々な色の袈裟を来たお坊さんたちを二階のテラスから覗くと、咲き乱れている一面の白い花畑の中に色とりどりの花の花弁が空に向けて開いているように見える。

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そわそわしてきた。ざわざわしてきた。幸せな胸騒ぎがする。何かが始まるようだ。僧侶たちは1人ずつ付き人の傘のもと控えの部屋から法要の会場へしゃんしゃんとそぞろ歩く。その僧列はまるで風に揺れているオレンジ色の長い不思議な帯だ。そしてそのオレンジ色の帯の列の前に現れたのは、スリランカの伝統的な衣装に身を包んだ踊る女たち。肘や膝を折り曲げながら、リズムにしなる指先を絡ませながら女たちは踊る。僧たちが一歩あゆむと女たちは一歩さがりし踊り続ける。女たちが体を回転させるとの腰の赤い帯も回り始め、その回転するコマは黄色い衣装ごとバターになってしまいそうだ。そして青年たちの叩く変則的なリズムがこだまする両面太鼓はスリランカの魂を刻みながら、僧と女たちを黄泉の世界へいざなう。九月のコロンボの秋の空はいっとき、真夏の夜の夢のような熱気に包まれるも、その内に秘めたる水鳥が飛び立った後の湖面のような静謐さもスリランカの風の盆を演出する。いざない導かれる僧たちの序列は法要会場に吸い込まれていく。壇上には徳の高い僧侶と外国からの招待された僧侶たちが座り、壇下の壁際にはその他大勢の僧侶たちが座る。そして法要は静かに始まってゆく。壇上の僧侶たちの話がひっそりと次々に進む。僕はシンハラ語はわからない。表情や声からもその内容を伺い知る事はできない。しかし言葉の奥に潜むある種の感覚は感じる事ができる。それはあらゆる意思が通じない国でのコミュニケーション時に万人が感じる事ができる感覚で、ユニバース的な感覚に落ちていくのだ。そしてつまるところその形状は掴めないが、実体が掴めたような不思議な感覚だ。感覚はどこまでも落ちて広がり沁みていくのだ。そしていつの間にか食事の時間が始まる。次々に運び込まれる食材は、発色が鮮やかで、見た目も楽しいし、味わっても楽しい。食材の優しい原色の雨は、ネガティブな思いを奇麗に洗い流す。辛気くさく抹香臭い世が浄化されていく。法要の静かな宴も終わり、僧侶たちは会場を後にする。

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コロンボの大法要が終った頃には雨もすっかり上がり、僕たちはクルネーガラに向って車を走らせる。クルネーガラにつく頃にはすっかり日はジャングルの地平線の向こう側に沈み、大地と空の境目は曖昧になり、そして僕たちも曖昧になっていく。こうして人と自然は曖昧になり、スリランカの駁雑は今日もまた形づくられていく。

次の日僕は、スプートニク・インターナショナルの日本語学校に足を運んだ。この学校はクルネーガラの郊外にあり、去年は1人の日本語教師の方にしか会えなかったのだが、今年はもう1人の方にもお会いできた。スプートニク・インターナショナルの建物も植民地時代に外国の方が使われていたコロニアル風で、その洋館たるスタイルは美しく、古く懐かしく暖かい感じがする。スリランカ人スタッフもたくさんおり、静かだが活気のある学校だ。とりとめのない会話が進んでこのような話を聞く。
「クルネーガラには日本人は何人ほどいるのだろうか?」
「スプートニク・インターナショナルに2人、ケッタラーマ寺にはキャンディに修行に行っている僧侶を除くと2人、JICAの方が1人、国際協力関係者が2人、その他にも3人ほどいるかな、だから合わせて10人くらい」
クルネーガラの街には、日本在留経験があるスリランカ人がびっくりするほどたくさんいる。しかしその逆の在留日本人は、日本人の会社がないにもかかわらず10人というのは多いのか少ないのか僕には分からない。感覚的な事はこの先、在留日本人は確実に増えていくように思われる。その根拠はクルネーガラの街は民間も行政も協力しながら日本人誘致だけではなく外国人誘致に力を入れていくからだ。そのプロジェクトは多彩だ。今このスリランカは大きく大きく変わりつつある。何がか?対外的な政策では大きく人の流れが変わろうとしている。それは大航海時代の時の遠い夢ではなく、大アジアにおけるハブ的政策が大きく動き出している。その大きなうねりは観光だけに留まらず、あらゆる部門を席巻している。伝統的文化は大切に守られるも、国際化(グローバリゼーションとはまた違う)のうねりはインド洋だけではなく太平洋、大西洋にさえも、高波を起こしているのだ。内に秘めた静かなる熱い思いが世界を駆け巡っている。

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2012年9月23日日曜日

3.聖地アヌラーダプラ。

今朝早くケッタラーマ寺の僧侶の僕を含め6人で、アヌラーダプラへ向う。クルネーガラの街を抜けると、ひたすら真っすぐな道が、地平線の向こう側まで投げられた長い長いロープのようにスリランカの太古のジャングルの中を走っている。クルネーガラ近隣のウェットなジャングルは北に進むにつれてドライなジャングルに変わっていく。木々の間の緑は土の色に変わり、ジャングルの中のサバンナの様相が濃くなってくる。乾いた土地に作られた大きな貯水池の水量は少ない。それでもジャングルはスリランカの北部をも覆っている。広く深く濃い未知の森はとても多くの生物たちを育んでいる。孤独な島と栄養豊富な川や湖と眩しい太陽は固有生物を育み、スリランカ独自の匂いを作っている。それらはスリランカの神秘的な文化と解け合うと、どこの島にも似ず、どこの島にも有らず、どこの島よりも強力な個性を発揮する。きっと伝統的な呪術の魔法は未だ森の中に健在で、その気になれば時を止める事もできる。

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そんな事を考えながら車に揺られて数時間で、まずはアヌラーダプラの近くにある僧スボーダ・テロの実家に辿り着く。彼は3ヶ月程前に出家したばかりの若干16歳の僧侶で、仏教をこよなく愛し、歌をよくし、大食漢であり健康で大きな体躯を持っている。スボーダ・テロのお父様は日本で仕事の経験があり、日本語を話す事ができる。スリランカには、日本に働きにいった事がある方が非常に多い。愛知や関東あたりには大きなスリランカ人のコロニーで出来ているという話を聞く。家の中は白亜の壁で仕切られており、天井付近の梁は日本での古民家のように複雑に入り組んでいて、そこを時折涼しげな風が駆け抜ける。僕たちは椅子に腰掛けると、日本では見た事もないジュースが出て来た。黒糖色をしたその中にはたっぷりと果物の果肉が泳いでいる。一口飲むと甘酸っぱい南国の香りが口の中で弾けた。
「ラサイ!(おししい!)」
人生で経験した事のない不思議な味がした。名前はデュール。このジュースにうつつを抜かしていると、さっそくメインのスリランカン・カレーが出てきた。ご飯の上にふんだんに様々な食材が色鮮やかにのっかっている。ここまで来るとスリランカ丼と呼びたくなる。たぶん日本の丼もののチェーン店でこれを作って出されたならば、軽く二千円を越えそうなそんなどんぶりいやカレーだ。ベジタブル、ドライフィッシュ、煮魚、ココナッツ、ピットゥ、ジャックフルーツ、スウィーツなどいろいろものがのっかっている。それを少しずつ好きな物をご飯と混ぜながら食べていくのだが、もちろん日本の食事とは比べ物にならないほど量が多いので、半分くらいでお腹は一杯になる。しかし食後のフルーツの分の胃袋は開けておかなければならない。とりあえずゆっくりゆっくりと食を進めると、スリランカ・カレーのスパイスのおかげか急速に消化作用が働いて、フルーツの分の胃袋が空いてくる。ランチが終わると、ケッタラーマ寺一行はそのままアヌラーダプラに向った。

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アヌラーダプラに向う途中に変わったお寺があるというので、僕らはちょっと寄ってみた。そのお寺に入ると遠目に赤い袈裟姿の人が一列に並んで見えたが、近づいてみるとそれがすべて仏陀らしき人形だと言う事が分かる。人形の作りはなかなか雑で日本のB級スポットを彷彿させる。僕が住んでいた愛知県にもこのような人形が雑然と立ち並ぶお寺(たしか五色園とかいう名だったような)があったが、圧倒的に違うのは寺に訪れる人の数だ。日本の寺は閑散として少し寂し気な感じがしたが、スリランカのこのお寺は非常に訪れる人が多く、活気があり、今日も結構な人で溢れていた。その雑な作りの人形たちは寺の中をうねるようにして並んでいて、それに沿って散歩道が敷設してある。僕たちはゆっくりと人形沿いに歩をすすめると、その後部は岩山に向って続いていた。岩山の頂上からは広大なスリランカのジャングルが広がっていて、長閑な風はそのお寺からジャングルへと吹き抜ける。

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車を走らせ大きな湖が見えてくると、その遥か向こうの森の中にダーガバ(仏塔)が顔を出している。そうしているうちに車は聖地アヌラーダプラに滑り込む。僕たちはその聖地ですぐに裸足になる。そして目の前にはルワンウェリ・サーヤのダーガバが建っている。言葉に言い表せない程巨大だ。その大きさは奈良の大仏殿と同じくらいの規模なのではないかと感じる。ダーガバの丸い白亜の帽子は空に向けて反射している。あいにくの曇り空なのだが、雲の下でもその幾何学的な放物線の完璧な美しさは、スリランカの大地に溶け込んでいて、その帽子たるものはまるで天を支えているかのようだ。ダーガバを左回りに一周してみる。たくさんの人がおのおののお祈りをしてりるし、猿たちと戯れている子供たちもいるし、名調子で講談調の説法をしている坊主までもいる。今日は曇りで床の敷石もぬるく歩きやすい。去年はさんさんたる太陽が敷石をぐつぐつと熱していたので、非常に熱くて歩くたびにブルース・リーのような声を発していたのを思い出す。ダーガバを一周して、次は回廊で結ばれているスリー・マハー菩提樹に向う。なぜアヌラーダプラは聖地と呼ばれているか?仏塔も聖地なのだが、スリー・マハー菩提樹がとても大切なのだ。仏陀が悟りをひらいたブッダガヤの菩提樹の分け木をスリランカのこの場所に植樹したのだ。スリランカでは菩提樹信仰がとても熱く、スリー・マハー菩提樹意外でもすごく大切に扱われている。各々のお寺には必ずといっていいほど菩提樹が大切に植えられて周りは神聖な柵で飾り付けられる。もちろんここのスリー・マハー菩提樹も周りには神聖な要塞のような枠でも守られていて、東西南北の四方向から巡礼が出来るようになっている。その四方向にもうけられた聖台には、たくさんの蓮の花が静かに置かれおり、その周りで多くの人々が祈りを捧げていた。多くの人が巡礼に来るが、静寂で、静謐で、平穏でいて、9月のアヌラーダプラに喧騒さはあまり感じられない。平和が脅かされていた聖地は、何年もの間平和を望み、そしてやっと平和が訪れた今、幸せの意味を深く知る。そして僕たちはみんな小さな仏陀になる。人が生きる目的は幸せになる事。僕たちは車に乗り込み、背中の大きな大きな白亜のダーガバが徐々に遠ざかると、やっとクルネーガラが近づいてくる。

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2012年9月22日土曜日

2.ピルワナ僧院学校と法要の話。

ケッタラーマ寺の門をくぐり外に出ると、収穫を終えた低い緑の雑草で覆われた田んぼが広がっていおり、その中でたくさんの水牛がその草をついばんでいる。スリランカの空はどこまでも高く、突き抜けた青さに包まれたオレンジの布は、木陰で涼しげにたなびいている。田んぼの中を伸びる細い道を歩き、森の中に点在する小さなトロピカルな家々が見える細い道を歩いていく。その家先を歩くとき村人たちはいつも笑顔で迎えてくれる。両手を合わせてアーユボーワンと挨拶すれば、その倍の笑顔をいつも返してくれる。

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進むと森の中に小さな交差点が見えて来て、その向こう側にピルワナの僧院学校がある。僧院学校の壁には、郵便局のブランチが埋め込まれたように存在していて、そこの前を通るといつも駐在の女性が手を振ってくれる。正面には先生僧侶方の宿泊施設があり、学校の門をくぐると右手奥の方に仏陀の像、左手奥手に子供の僧侶たちの宿泊所、そして学校がある。先生方の宿泊施設の横には山肌を下る階段がついており、山の斜面にこの学校が建てられてる事が分かる。そしてその階段を下り、先生僧侶の宿泊施設の裏手から子供の僧侶たちの宿泊施設の方へ回り込み、僧院学校の方へ向う。右手には大きな井戸が林の中に見え、その向こうに田んぼが広がっており、僧侶たちはそこで行水をするのだ。裏手に広がる田んぼには水牛がたくさん黄昏れていて、スリランカの象徴的な一風景を作り出している。僧院学校はコンクリートの土台に柱が何本もついていて、そこに屋根がのっかっている半青空教室のようになっている。中ではたくさんの子坊主たちが授業を受けていて、その顔は真剣そのものだ。今日は先生方は3人来ていて、僧院学校の広いスペースにいくつもの椅子や机と1人の先生を一セットとすると、三カ所の授業コロニーが出来ている。授業の合間に紅茶の休憩が入る。生徒たちはおのおのブラックティーやミルクティーなどの好きな紅茶を作っていく。なんだかんだと休憩中に子坊主さんたちとのたわいのない話で盛り上がった後に、また真剣な眼差しで授業に入る。このピルワナの僧院学校に来ている子坊主さんたちは、僧侶になりたい子供、家庭の事情で来ている子供、その他いろいろな何かを抱えて来ている子坊主さんたちがたくさんいる。この年で親の元を離れる事はどれだけつらい事だろうかと想像できる。しかし子供たちは強い。そんな事をみじんも感じさせないその笑顔はいつも明るく弾けている。そして日々をどうにかうっちゃっている。そんなけなげな子供たちのいるこの学校は、乾いた手ぬぐいをしぼるようにしてなんとか運営資金を捻出している。そしていろいろと試行錯誤したあげく、ケッタラーマ寺に外国人ツーリストのための宿泊施設を作り、そこに泊まって頂く事で、宿泊料金はドネーションという形で外国の方が自由に決めて頂き、それを僧院学校の運営資金に当てようではないかという事となった。実際、今現在はその外国人ツーリストもしくは外国人長期滞在者の方の宿泊施設を建設中で、その資金ももちろんままならないので、工事はストップしたりたまに村人たちが集まりすこし進んだり、となかなか先が見えないが、とにかくわずかだが進んでいるように見える。古い別棟にも二部屋ほど空いているので、突然宿泊したいという旅行者が来てもなんとか受け入れられる体制なのだが、なにせ小さな資金と人手が足りないお寺なので、お寺自体の整備もあまり進んでいない。もしこのブログを読んで頂いている方の中に外構経験者、もしくは庭師、ガーデニングデザイナー等の方で、是非スリランカでお手伝いをしたい人がおりましたら、是非気軽に連絡をくださいませ。また突然の訪問も歓迎しております。交通費はさすがに出せませんが、ボランティアの方々には宿泊、食事は全て無料で提供させて頂きますし、観光のアレンジもさせて頂きます : ) よろしくお願い致します。

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次の日に小さな法要が近くのお寺であり、僕もいっしょに同行した。スリランカでの法要は去年経験して以来の一年ぶりになる。その心地の良い南国の法要の雰囲気がまだ体に染み付いている。お寺の大きな門を通り抜けるとすでに近隣のお寺から多くの僧が集まっていた。このお寺の中には大きめの池があり、その横に小さな岩山があってそこにポツンとイギリス植民地時代の建物とスリランカの伝統的建築物をシャフルしたようなものが建っている。よくスリランカのお寺に見られる、コロニアルフィーリングあふれる建物(植民地時代の西洋の建築物)に鐘がぶら下がっている姿がキリスト教会そっくりだったりするのだ。このどっちつかずな感じがスリランカの良さげな物はなんでも吸収してしまう、興味深いゆるくスローな文化につながっている。そんな事考えているうちに法要が始まった。伝統的なスリランカの手打ち両面太鼓が打ち鳴らされる。僧侶たちはその太鼓の音で歩を進めて建物の中に入っていくのだが、よく見ると列の一番後ろには子坊主もついて来ている。彼は去年出家したばかりで、その慣れないたどたどしい歩みは、カルガモの子供の様でなんとなく微笑ましく見える。水辺に浮いている蓮の花たちもその様子を見ている。お坊さんが部屋の壁を背にして座ると、さっそくお経の読み上げ説法が始まった。お経に関して言えば、その声質や発音や音程や独特のリズムがそれらを聞いている檀家さんにとって上手いか余りお上手ではないかに深く影響してくる。今日お経を唱えている長老は声質、音程、リズムどれをとって素晴らしく、檀家さんたちは熱心に耳を傾けている。そしてそれが終わると食事が出るのだが、檀家のみなさんが腕によりをかけて作った食事だけあって、その種類も味もまたその豊富な量も申し分のない素晴らしさだった。スリランカのカレーは僕の考えではすでにカレーの域を越えていて、日本が誇る丼ものの域に入って来ている。日本での丼物はご飯の上にのっかるおかずは少なくて1種類、多くて2から3種類というものだろう。しかしこのスリランカでは皿に盛られたご飯の上に乗るおかずの種類はこれまた数えきれない。下手すると10種類を軽く越える事もある。それは贅沢な協奏曲を奏でる器であり、悠久の彼方から現代まで伝わって来た哲学であり、ある種の文化を通り越した一種の思想とすら感じられる。おそるべきスリランカ・カレーなのである。食後のフルーツも贅沢を極め、大阪が食い倒れの街なら、スリランカは永遠に贅沢を食べ続けられる国なのである。それがスリランカでは普通で、どこにいてもそれは特別な事ではなくいつでも美味しい物にありつけるのだ。法要は終わり、静かにお坊さんは各々の寺に戻っていく。残されたのは木にぶらさがっているブランコだけ。

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2012年9月21日金曜日

1.元祖微笑みの国スリランカ。

飛行機でインド洋上に出ると、空気が変わる事を感じる。それは飛行機の中や外の実体の空気という意味ではなく、何か今まで僕の世界を取り巻いていた少しざらざらとしたものが、少しずつとろけて柔らかくなっていく過程を実感しているという意味でだ。なにやら形容しがたかったインドから今スリランカ上空に飛行機が入ったところで、その感覚は一層深まりそして安らいでいく。飛行機は徐々に機首を下げてコロンボに向っている。そして機内で視聴した映画はマリーゴールド・ホテル。老齢期を迎えたイギリス人たちのインドで繰り広げられるコミカルで悲しくてそして最後に救われる物語だ。その中で「インドはあらがうと押しつぶされるが、飛び込むと向こう岸にたどり着ける」というくだりがあり、結局僕はいつも圧倒され押しつぶされそうで、今年は対岸を全く見る事ができなかったなと呟く。そんな事を考えていると軽い衝撃が体に伝わり、着陸が成功したのだと言う事を知る。降り立つと夕暮れのコロンボの空港は黄昏が空に滲み、夜に浸食されつつある影たちも優しく揺れている。風が心地よいのだ。涼しげな海風はその影たちをも揺らしている。何もかもが違った。こちらから無理に飛び込む必要のない、そしてあらがう必要のない国に来たのだと感じる。

コロンボの空港で一夜を過ごすが、心配は何も無く、物取りの気配もせず、安心してロビーで熟睡ができた事に驚く。コロンボ空港から無料のシャトル便が近くのバスターミナルに誘ってくれた。そこでクルネーガラ行きのバスに乗り換えて、座席の一番前の席へ倒れ込むように座り込む。このバスは少し値段が高いインターなんとかというバスではなく、地元の方々が気楽に足がわりに使っている安いバスなのだが、となりの国のバス事情をずっと体感してきた僕にとっては、とてもとても乗り心地がよく、まるで高級なサロン号に乗っているような心地で、すぐに深い深い眠りに落ちたのだった。一時間ほど過ぎただろうか、バスが急ブレーキをかけ止まり、車内を大きく飛び交う声で僕は目を覚ました。
「!?!?!?」
鞄が窓から落下したような事をみんなが言っている。僕は自分の荷物を確認した。
「一つ、二つ。・・・・??? 一つ足りない」
僕は窓から身を乗り出して、バスの通った後を確認すると、車掌さんが僕の落ちた鞄を持ってニコニコしながらこちらに歩いてくる。運が悪くどういう経緯かわからないが、鞄が窓から落下したのだ。僕は窓より鞄を受け取ると
「ストゥティー」
とお礼を言い、そのノートパソコンが入った鞄の中を早速開けてみた。パソコンは壊れてはいなかった。正常に動くかどうかはケッタラーマ寺に入ってから確認しなければならない。とにかく僕は鞄が紛失せずに手元に戻って来た事でほっとしていた。バスに乗り合わせたスリランカ方々本当にありがとうございます。

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バスは緑のジャングルに描かれた地平線に向ってのびる一本の長い長い道をのんびりと走っている。バナナの木やココナッツの木やジャックフルーツの木や名も知らぬ様々なフルーツが豊満に実っている木が重みで揺れている。街道に並ぶ茅葺きや吹けば飛ぶような瓦葺きの屋根の店先にも、それらフルーツ類が所狭しと並んでいる。時折止まるバスの中にそれらの店先からのフルーツの香りが流れてくる。時折吹くさらさらとした風は、ヤシの葉を揺らせ、僕をゆりかごの眠りに誘う。そして南国の空は青く美しく眩しく輝き、雲は高い高いところを漂っている。たまにジャングルの中に視界が開けたところに出るが、緑のフィールドが彼方のジャングルの端まで広がっていて、目を凝らしてみるとその端の部分に小さな白いお寺が建っているのを発見したりする。ときどき道の下を流れる川は、野性味たっぷりの、栄養たっぷりの、生物のスープのようになっていて、川面にジャングルの影が揺れている。村の中を進むバスの車窓からは、白い服を来た子供たちが、道を歩いて学校に行くのが見えた。バスはますます進んでいく。村を街を草原をジャングルを。ジャングルの密度が低くなり、建物と建物の間隔が徐々に狭くなると、とても大きな岩山が見えて来て、その頂上には白い仏陀像が鎮座している。
「クルネーガラだ」
コロンボを出てバスに揺られて3時間、どうやらクルネーガラの街に入ったようだ。喧騒の街の交差点には時計塔が、午前の陽を浴びて建っている。その後ろの方に岩山がそびえており、それらすべてがクルネーガラの街の象徴的な景観を形作っている。バスのターミナルで僕は下りると、近くのホテル(小さなレストランや茶店の事をホテルと呼ぶのだ)に入ると、さっそく朝食にパンと紅茶を注文した。お盆に山盛りに乗せられたパンがテーブルの上に置かれるのだが、それらをすべて食べる訳ではなく(もちろんすべてを平らげてもいいのだが)、食べたい分だけをそこからチョイスして頂くのだ。紅茶で舌を洗いつつ、パンを食する。バンズと呼ばれているアンパンの中身が入っていないパンがスリランカではポピュラーで、背には粗目砂糖が少しのっかっていて、それは下町の暖かい味がする。紅茶は甘く、何も言わなければ砂糖たっぷりで出てくる。そのあまーい紅茶もまた下町の味なのだ。

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朝食を終えると、バスターミナルよりバスを乗り換えて、街郊外のケッタラーマ寺へ向う。ウヤンダナでバスを降りそこから徒歩またはトゥクトゥクで寺に向う。僕はトゥクトゥクを使って寺に向った。ジャングルの中の細い道を右に左に小さな体躯を振りながらトゥクトゥクは走っていく。ジャングルの中に視界が開け田んぼが見えてくると、その中に一本の細い道が走っており、その先に小さな小さな白いお寺、ケッタラーマ寺が見えて来た。トゥクトゥクを下りて僕は寺の中に入っていく。僕が滞在する宿泊施設の黄色いトロピカルな建物は南国的で、ヤシの実の木々に囲まれている。離れにある部屋もヴィラといった赴くで、まるでお寺の感じはしないのだが、お坊さんや村々の人々の心にはしっかりと仏教の教えが灯っているのだ。スリランカに来て一番感じる事は、人々の笑顔だ。手を合わせて頭を少し横にたおして
「アユールボーワン」
と挨拶されると、その瞬間から村人の笑顔がわっと溢れ出す。タイが観光の宣伝でよく微笑みの国と言われていたり、19世紀には戯曲の中で中国が微笑みの国として扱われているが、ヨーロッパの古い書物を読んでいると、スリランカも昔から微笑みの国と呼ばれているようなのだ。実際僕が持っている1950年出版のフランス本にもスリランカが微笑みの国として紹介されている。スリランカの微笑みは深く、柔らかく、優しく、そして受け取る人の心を包み込むように響いてくるそんな微笑みなのだ。

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