2012年9月22日土曜日

2.ピルワナ僧院学校と法要の話。

ケッタラーマ寺の門をくぐり外に出ると、収穫を終えた低い緑の雑草で覆われた田んぼが広がっていおり、その中でたくさんの水牛がその草をついばんでいる。スリランカの空はどこまでも高く、突き抜けた青さに包まれたオレンジの布は、木陰で涼しげにたなびいている。田んぼの中を伸びる細い道を歩き、森の中に点在する小さなトロピカルな家々が見える細い道を歩いていく。その家先を歩くとき村人たちはいつも笑顔で迎えてくれる。両手を合わせてアーユボーワンと挨拶すれば、その倍の笑顔をいつも返してくれる。

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進むと森の中に小さな交差点が見えて来て、その向こう側にピルワナの僧院学校がある。僧院学校の壁には、郵便局のブランチが埋め込まれたように存在していて、そこの前を通るといつも駐在の女性が手を振ってくれる。正面には先生僧侶方の宿泊施設があり、学校の門をくぐると右手奥の方に仏陀の像、左手奥手に子供の僧侶たちの宿泊所、そして学校がある。先生方の宿泊施設の横には山肌を下る階段がついており、山の斜面にこの学校が建てられてる事が分かる。そしてその階段を下り、先生僧侶の宿泊施設の裏手から子供の僧侶たちの宿泊施設の方へ回り込み、僧院学校の方へ向う。右手には大きな井戸が林の中に見え、その向こうに田んぼが広がっており、僧侶たちはそこで行水をするのだ。裏手に広がる田んぼには水牛がたくさん黄昏れていて、スリランカの象徴的な一風景を作り出している。僧院学校はコンクリートの土台に柱が何本もついていて、そこに屋根がのっかっている半青空教室のようになっている。中ではたくさんの子坊主たちが授業を受けていて、その顔は真剣そのものだ。今日は先生方は3人来ていて、僧院学校の広いスペースにいくつもの椅子や机と1人の先生を一セットとすると、三カ所の授業コロニーが出来ている。授業の合間に紅茶の休憩が入る。生徒たちはおのおのブラックティーやミルクティーなどの好きな紅茶を作っていく。なんだかんだと休憩中に子坊主さんたちとのたわいのない話で盛り上がった後に、また真剣な眼差しで授業に入る。このピルワナの僧院学校に来ている子坊主さんたちは、僧侶になりたい子供、家庭の事情で来ている子供、その他いろいろな何かを抱えて来ている子坊主さんたちがたくさんいる。この年で親の元を離れる事はどれだけつらい事だろうかと想像できる。しかし子供たちは強い。そんな事をみじんも感じさせないその笑顔はいつも明るく弾けている。そして日々をどうにかうっちゃっている。そんなけなげな子供たちのいるこの学校は、乾いた手ぬぐいをしぼるようにしてなんとか運営資金を捻出している。そしていろいろと試行錯誤したあげく、ケッタラーマ寺に外国人ツーリストのための宿泊施設を作り、そこに泊まって頂く事で、宿泊料金はドネーションという形で外国の方が自由に決めて頂き、それを僧院学校の運営資金に当てようではないかという事となった。実際、今現在はその外国人ツーリストもしくは外国人長期滞在者の方の宿泊施設を建設中で、その資金ももちろんままならないので、工事はストップしたりたまに村人たちが集まりすこし進んだり、となかなか先が見えないが、とにかくわずかだが進んでいるように見える。古い別棟にも二部屋ほど空いているので、突然宿泊したいという旅行者が来てもなんとか受け入れられる体制なのだが、なにせ小さな資金と人手が足りないお寺なので、お寺自体の整備もあまり進んでいない。もしこのブログを読んで頂いている方の中に外構経験者、もしくは庭師、ガーデニングデザイナー等の方で、是非スリランカでお手伝いをしたい人がおりましたら、是非気軽に連絡をくださいませ。また突然の訪問も歓迎しております。交通費はさすがに出せませんが、ボランティアの方々には宿泊、食事は全て無料で提供させて頂きますし、観光のアレンジもさせて頂きます : ) よろしくお願い致します。

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次の日に小さな法要が近くのお寺であり、僕もいっしょに同行した。スリランカでの法要は去年経験して以来の一年ぶりになる。その心地の良い南国の法要の雰囲気がまだ体に染み付いている。お寺の大きな門を通り抜けるとすでに近隣のお寺から多くの僧が集まっていた。このお寺の中には大きめの池があり、その横に小さな岩山があってそこにポツンとイギリス植民地時代の建物とスリランカの伝統的建築物をシャフルしたようなものが建っている。よくスリランカのお寺に見られる、コロニアルフィーリングあふれる建物(植民地時代の西洋の建築物)に鐘がぶら下がっている姿がキリスト教会そっくりだったりするのだ。このどっちつかずな感じがスリランカの良さげな物はなんでも吸収してしまう、興味深いゆるくスローな文化につながっている。そんな事考えているうちに法要が始まった。伝統的なスリランカの手打ち両面太鼓が打ち鳴らされる。僧侶たちはその太鼓の音で歩を進めて建物の中に入っていくのだが、よく見ると列の一番後ろには子坊主もついて来ている。彼は去年出家したばかりで、その慣れないたどたどしい歩みは、カルガモの子供の様でなんとなく微笑ましく見える。水辺に浮いている蓮の花たちもその様子を見ている。お坊さんが部屋の壁を背にして座ると、さっそくお経の読み上げ説法が始まった。お経に関して言えば、その声質や発音や音程や独特のリズムがそれらを聞いている檀家さんにとって上手いか余りお上手ではないかに深く影響してくる。今日お経を唱えている長老は声質、音程、リズムどれをとって素晴らしく、檀家さんたちは熱心に耳を傾けている。そしてそれが終わると食事が出るのだが、檀家のみなさんが腕によりをかけて作った食事だけあって、その種類も味もまたその豊富な量も申し分のない素晴らしさだった。スリランカのカレーは僕の考えではすでにカレーの域を越えていて、日本が誇る丼ものの域に入って来ている。日本での丼物はご飯の上にのっかるおかずは少なくて1種類、多くて2から3種類というものだろう。しかしこのスリランカでは皿に盛られたご飯の上に乗るおかずの種類はこれまた数えきれない。下手すると10種類を軽く越える事もある。それは贅沢な協奏曲を奏でる器であり、悠久の彼方から現代まで伝わって来た哲学であり、ある種の文化を通り越した一種の思想とすら感じられる。おそるべきスリランカ・カレーなのである。食後のフルーツも贅沢を極め、大阪が食い倒れの街なら、スリランカは永遠に贅沢を食べ続けられる国なのである。それがスリランカでは普通で、どこにいてもそれは特別な事ではなくいつでも美味しい物にありつけるのだ。法要は終わり、静かにお坊さんは各々の寺に戻っていく。残されたのは木にぶらさがっているブランコだけ。

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