Monday 24 September 2012

4.コロンボの大法要とスプートニク・インターナショナル。

朝早く起きると、僕たちは早速コロンボに向けて出発する。ケッタラーマ寺僧侶たちの乗った車の窓は大きく開け放たれ、後部座席からは歌声を聞こえ、南国の風に運ばれているこの車での移動は,
さながらマジカル・ミステリー・ツアー的な小旅行となった。クルネーガラからコロンボに続く一本道は、緑濃いジャングルの海を渡す船のようだ。その道を走っていると晴れた太陽がそっとどこかに隠れ、誰かが突然インド洋を空に持ち上げて、ぱっと手を離したようなものすごい量の雨が落ちて来た。あっと言う間に道路は冠水し、ワイパーは効かずそして前方は見えず、道を行き交っていた車は大渋滞に陥った。そんな状態が30分ほど続いただろうか、突然その台風のような雨はやみ、厚い雲は漂ってはいるが、その薄いところには太陽の光が透けて見え、濡れた大地に柔らかな光を送り込んでいる。

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次第に景色は街の様相が濃くなり出し、車はコロンボ市内に入り、大きな大きなお寺に辿り着いた。 コロンボ市内はまだ小雨が降っており、地面は湿っていた。お寺の中にはオレンジや赤や黄色そしてえんじなどの色鮮やかな袈裟をお坊さんたちが大勢集まっており、中には外国から来た見慣れない色の袈裟を来たお坊さんたちもたくさんいた。僕たちはお寺の中の正面に建っている立派な建物の控えの間に通された。その部屋は特に外国から招待されたお坊さんが多く、オーストラリアからの尼僧さんなどとともに、みんなで語らいでいた。外では一般のスリランカの方々も大勢駆けつけていて、これから大きなお祭りでも始まるかのような熱気だった。中庭にあふれている白いプージャ用の衣装に身を包んだ人々の中に様々な色の袈裟を来たお坊さんたちを二階のテラスから覗くと、咲き乱れている一面の白い花畑の中に色とりどりの花の花弁が空に向けて開いているように見える。

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そわそわしてきた。ざわざわしてきた。幸せな胸騒ぎがする。何かが始まるようだ。僧侶たちは1人ずつ付き人の傘のもと控えの部屋から法要の会場へしゃんしゃんとそぞろ歩く。その僧列はまるで風に揺れているオレンジ色の長い不思議な帯だ。そしてそのオレンジ色の帯の列の前に現れたのは、スリランカの伝統的な衣装に身を包んだ踊る女たち。肘や膝を折り曲げながら、リズムにしなる指先を絡ませながら女たちは踊る。僧たちが一歩あゆむと女たちは一歩さがりし踊り続ける。女たちが体を回転させるとの腰の赤い帯も回り始め、その回転するコマは黄色い衣装ごとバターになってしまいそうだ。そして青年たちの叩く変則的なリズムがこだまする両面太鼓はスリランカの魂を刻みながら、僧と女たちを黄泉の世界へいざなう。九月のコロンボの秋の空はいっとき、真夏の夜の夢のような熱気に包まれるも、その内に秘めたる水鳥が飛び立った後の湖面のような静謐さもスリランカの風の盆を演出する。いざない導かれる僧たちの序列は法要会場に吸い込まれていく。壇上には徳の高い僧侶と外国からの招待された僧侶たちが座り、壇下の壁際にはその他大勢の僧侶たちが座る。そして法要は静かに始まってゆく。壇上の僧侶たちの話がひっそりと次々に進む。僕はシンハラ語はわからない。表情や声からもその内容を伺い知る事はできない。しかし言葉の奥に潜むある種の感覚は感じる事ができる。それはあらゆる意思が通じない国でのコミュニケーション時に万人が感じる事ができる感覚で、ユニバース的な感覚に落ちていくのだ。そしてつまるところその形状は掴めないが、実体が掴めたような不思議な感覚だ。感覚はどこまでも落ちて広がり沁みていくのだ。そしていつの間にか食事の時間が始まる。次々に運び込まれる食材は、発色が鮮やかで、見た目も楽しいし、味わっても楽しい。食材の優しい原色の雨は、ネガティブな思いを奇麗に洗い流す。辛気くさく抹香臭い世が浄化されていく。法要の静かな宴も終わり、僧侶たちは会場を後にする。

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コロンボの大法要が終った頃には雨もすっかり上がり、僕たちはクルネーガラに向って車を走らせる。クルネーガラにつく頃にはすっかり日はジャングルの地平線の向こう側に沈み、大地と空の境目は曖昧になり、そして僕たちも曖昧になっていく。こうして人と自然は曖昧になり、スリランカの駁雑は今日もまた形づくられていく。

次の日僕は、スプートニク・インターナショナルの日本語学校に足を運んだ。この学校はクルネーガラの郊外にあり、去年は1人の日本語教師の方にしか会えなかったのだが、今年はもう1人の方にもお会いできた。スプートニク・インターナショナルの建物も植民地時代に外国の方が使われていたコロニアル風で、その洋館たるスタイルは美しく、古く懐かしく暖かい感じがする。スリランカ人スタッフもたくさんおり、静かだが活気のある学校だ。とりとめのない会話が進んでこのような話を聞く。
「クルネーガラには日本人は何人ほどいるのだろうか?」
「スプートニク・インターナショナルに2人、ケッタラーマ寺にはキャンディに修行に行っている僧侶を除くと2人、JICAの方が1人、国際協力関係者が2人、その他にも3人ほどいるかな、だから合わせて10人くらい」
クルネーガラの街には、日本在留経験があるスリランカ人がびっくりするほどたくさんいる。しかしその逆の在留日本人は、日本人の会社がないにもかかわらず10人というのは多いのか少ないのか僕には分からない。感覚的な事はこの先、在留日本人は確実に増えていくように思われる。その根拠はクルネーガラの街は民間も行政も協力しながら日本人誘致だけではなく外国人誘致に力を入れていくからだ。そのプロジェクトは多彩だ。今このスリランカは大きく大きく変わりつつある。何がか?対外的な政策では大きく人の流れが変わろうとしている。それは大航海時代の時の遠い夢ではなく、大アジアにおけるハブ的政策が大きく動き出している。その大きなうねりは観光だけに留まらず、あらゆる部門を席巻している。伝統的文化は大切に守られるも、国際化(グローバリゼーションとはまた違う)のうねりはインド洋だけではなく太平洋、大西洋にさえも、高波を起こしているのだ。内に秘めた静かなる熱い思いが世界を駆け巡っている。

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