2014年4月10日木曜日

12.注文のないゲストハウス。

レーの街から車で30分ほど行った場所、標高6153mのストク・カングリから伸びる広大な千畳敷の大地がインダス川へと広がるところにある、静かで心休まるストクという名の村を僕は歩いている。そこで僕はラダックで生活する日本人女性が経営するゲストハウス『にゃむしゃんの館』に行ってみたが、緑輝く夏期シーズンもとっくに終わりを告げ、シーズン・オフの気配が色濃くストクにも漂っており、やはりゲストハウスには誰もいなかった。

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そしていつものように寝るための屋根を借りれる場所を探し求めて漂泊していると、ポプラの幹に無造作に括りつけらた錆びた小さな札が目に入った。
『Dhamma House→』と一書き。
「お坊さんの家があるのか?」 
心の深いところからふつふつと浮かんでは消えていく泡のような興味と共に、僕はしばらく両側を石を積み上げただけの石垣に囲まれた散歩道を行く。古びたチョルテン(仏塔)の二叉路のところに『→』というマークが、僕はその印の向く方角の左に舵を取る。その散歩道は伝統的ラダックの家々を間を縫うように彷徨っている。さらに奥に入っていくと散歩道の中央にどこからともなく引き込まれた小川が流れており、それは徐々に道としての体を成さなくなってきていた。細い道が途切れて、目の前に広大な原っぱが一気に広がった。そしてその向こうに二階建ての石と土とで作られてた小さな小さな建物が見えてくる。もう少し近づいてみると、その二階の部分に決してきれいではない吊られた横に長い布がかけられており、そこにはマジックでDHAMMA HOUSEと書かれた青い文字がにじんでいる。この建物が一体全体なんなのか皆目見当がつかず、その周りをひたすらうろうろしていると、玄関から顔を覗かせたのは1人の東洋人の女性だった。

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話しを聞くと、ここはゲストハウスのような場所だが、お金を取らずに宿泊客からの寄付のみで成り立っている施設で、シーズン中は世界中からヨガや瞑想などを目的とした長期滞在者が訪れてくると言う事だ。彼女自身はタイからラダックのここストクに嫁いできて、流暢な英語を繰り、名前はアンという。アンの旦那さんはこのダンマ・ハウスの代表で、時々呼ばれては世界に講演旅行に出かける。本日はインド国内の別の場所に講演のために出かけており、不在だと言う。僕はしばらくここでお世話になる事となった。

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宿泊部屋は玄関を入り狭い廊下を渡ると突き当たりに階段がある。そこを二階まで上がると広いラダック・レンジが望める風薫るルーフにでる。そしてそのルーフには広いドミトリー式の部屋がついており、中はたくさんのマットレスが敷かれているが、この時期の客は僕しかいない。

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部屋の隅にある木製の本棚には宿のご主人と歴代のお客さんが持ち寄った書籍が所狭しと並んでいる。そこから一冊取り出した作品は、パウロ・コエーリョのpilgrimage。時間はたっぷりとあるので、しばらくここでのお伴とすることにした。このパウリョ・コエーリョという作家、日本ではあまり知られていないが、世界的にはとても有名な作家である。キリストをベースにした作品群は、巡礼や放浪を扱った作品が多く、人が生きていく上に必要な様々な事を気づかせてくれる。また読後人生をより深めてくれる作品が多い。残念なのは世界では大人向けの本なのだが、日本では主に児童書として発売されている作品が多く、とても淡白な内容になってしまっている事だ。南米の作家だが、ここインドでは多くの書店でとても人気のあり、数ヶ月前まで過ごしていたスリランカの書店でもあらゆる本屋で山積みされているのを良く見かけていて、結局読む事はなく今日までとても気になっていたのだ。さっそくページを繰ってみる。スペインの聖地巡礼の旅がベースになっている話のようだ。なかなか面白いので次々と読み進めていくと、アンさんより食事の準備ができているとの声がかかったので僕は本を閉じた。

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通されたリビングの空気は窓から差し込む光に反射してきらきらと輝いている。伝統的なラダック式の部屋の中央には太い柱が鎮座しており、木製のシェルフにはラダック式の銀のキッチン用具がきれいに並べられている。向いの壁側にラダック式の低く横に長い木製のテーブル置いてあり、揚げたてのめんにいろいろな種類の野菜がのっかったタイ風のバリそばが高い香りを放ちながらその上に置かれていた。ここはラダック、でもアンさんはタイの方なのでタイ料理が出てくる。ラダックの伝統的な料理もいいが、たまには東南アジアの料理も味わってみたくなる。食材はラダックで手に入るものだけで作られているのにもかかわらず、味はとてもとても美味しい。僕は数日ここでずっとタイ風料理を食べるのだが、毎日違う料理が出てきて、ついつい次が楽しみになってしまう。

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僕は時々ここストクからレーの街に出かける事もある。車でレーに向う途中の景色がまた素晴らしくインダス川に沿って広がる千畳敷の大地は、果てしなく伸びるラダックの渓谷を形作っている。太陽が渓谷を照らし出しているのか、渓谷が太陽を照らし出しているのか分からなくなってくる。レーの街につき、サイバーカフェに入ってメールのチェックをしていると、そこでとあるNGOの日本人の方に出会った。その方はSさんといいラダックに住んでいるのだと言う。街にある屋根裏部屋のカフェで少し話しをするとチクタン村の近くのコクショー村の話になり、ちょうどカフェに置いてある本の中にその村の記述があるところを見つけて見せてもらった。Sさんはいつかこの村に行ってみたいと言った。実際Sさんはこの一ヶ月後、吹雪が吹き荒れる中、なぜだかチクタン村とこの村に行くこととなるのだが・・。そうこうしているうちに、アンさんが迎えにきて、僕はSさんとここで分かれた。

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毎日、本を読んだり、辺りを散策してみたり、レーの街に行ったりして、数日が過ぎていった。そしてもちろん食事のタイ風の料理も続いた。その間にひとりの来客もなく、ダンマ・ハウスは僕の貸し切り状態となっていた。特に何もしない時間なのだが、それは大変ここ心地よく、いつの間にか僕の日常になっていた。

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そんな時ある事件が起こった。ずっと離れてはいるが、一番近いお隣の家の高校生の娘が、困った表情でダンマ・ハウスに来た。アンさんと何やら話している。10分ほどしてアンは女の子に何やら手渡した。その高校生が返った後、彼女が説明をしてくれた。洗濯したセーターを家の外に干していたら、牛に食べられてしまったという事だ。そして今日学校に着ていく服がないのでアンさんに借りにきたと言う訳だ。
僕は彼女に聞く。
「食べられたのは初めてなの?」
「去年も食べられたみたい。」
アンさんはそう言うと明るく笑った。ストクの牛はセーターを食べるのだ。チクタン村では聞かない話しだったので、変化なき日常に降られたちょっとしたスパイスに神のいたずらを感じた。

そして数日後、僕は静かにラダックを離れた。飛行機の窓からは、インダス川に沿って広がる千畳敷の長い長い台地が見えた。山の頂きにはすでに冬が来ていた。

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