2011年9月12日月曜日

12.コロンボの宿泊寺の話。

 マハメーガラ寺の会場から外に出ると夜は深まり静寂が寺を包み込んでいた。寺の境内に目をやると所々ろうそくで照らされた場所がぽっぽっと優しいオレンジ色の光を灯している。境内の中のささやかな少し明るい場所に夜店が出ており、そこでは蓮の花が売られていた。

 土曜日にあたる今日はボーディ・プージャの日だったなとふと思う。この日は仏陀をしのんで菩提樹の回りをお祈りしながら歩くのだ。ある人は水の入った差し壷を持ち、ある人は夜店で買った蓮の花を手に持ってゆらりゆらりと菩提樹の回りを歩いている。

 菩提樹のそばに寄り添うように仏塔がある。夜のほの暗い光の中の仏塔はその白い肌と闇の境界に優しく溶けてその姿を浮かび上がらせる。その麓では座り込んでお経を読み上げている人たちの姿も淡白く浮かび上がる。夜の中に佇む木々に目を向けると、ポツポツと小さな光の花を咲かせていた。

 それはゆっくりと明滅を繰り返しながら木から木へと移動している。あちらで瞬きが消えたかと思うとこちらで瞬き始める。スリランカでは雨期の前にたくさん蛍が見られるのだが、雨期のこの時期にも至る所でそれは見られる。

 スリランカの蛍は年中恋をするみたいだ。寺の門の所に一台の車が停まっており、僕たちはその車に乗り込むと宿泊する宿坊へと向った。

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 細い坂道を下ると突き当たりにそのお寺はあった。寺の左側には宿坊があり、右側のスペースの真ん中に大きな釈迦像が鎮座しており、その回りをスクエア型に小さな釈迦仏が取り囲んでいる。

 その小さな像たちは一体一体ケースの中に納められていて、そのケースの中でろうそくが灯されると、夜の中にあるのに暖かい光が釈迦たちをやわらかく包み込んでいる。そして夜が濃くなってきた時間にボーディ・プージャは終わったのだが、一組の親子がその足下に残り、静かにお祈りをしていた。

 夜はあくまで絡み付きもせず、ただ風のようにそこにあり、時折それは風景を溶かすが、それは境界をほんの少し溶かすだけで、その景色もまたささやかに常にそこにあり続けていた。スリランカの夜の闇はあくまでも徹底的に優しいのだ。

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 僕たちは寺の左側にある宿坊の部屋に通されて荷物を下ろすと各々のベッドに腰を下ろす。窓の外にはんなり明るい灯火の中の小さな釈迦仏たちが並んでいるのが見える。こうして座っていること数分で小僧たちが紅茶を部屋に運んで来た。その黄金色の琥珀の淵から優しくも引き締まった香りが沸き立っている。

 スリランカのセイロン・ティは日本でも飲めるのだが、圧倒的に日本と違うものは砂糖だと思う。サトウキビから精製された淡く茶色いごつごつとした角砂糖をカップに落とし込む。

 この砂糖自体は歴史ある西洋菓子のような香りの中に甘くとろみのある食感を閉じ込めており、カップに落とし込んだ瞬間にそれは水鳥が湖につける波紋を琥珀全体に沁み渡らせる。スリランカにいると、このサトウキビ砂糖にいたるところで出会う機会がある。

 ある夜に路上の露店でホットケーキを薄く焼いたようなロティを食していると、それにはちょこんと乗っかっている赤いミルス。たまたまそのミルスはものすごく辛くて口から火を噴いてあたふたしている僕を見た店の女将さんが、ゆでトウモロコシ用の大鍋の横に置いてある木の棚より茶色い角砂糖を一つ取り出した。

 女将さんから角砂糖を少しかじり、ロティを一口食べ、またそれを少しかじり、ロティを一口交互に頂くと言う食し方を教わった事がある。このサトウキビから取った角砂糖は紅茶に溶かすだけではなく、直接食べたりするのもちょっとしたスリランカの日常風景なのだ。

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 食事は大皿におのおでよそったお米の上に何種類ものおかずたちをたっぷりかけて頂く。これはスリランカ・カレーと言われているのだが、カレーというよりもスリランカ丼と命名したほうがしっくりくるような気がする。まさに数種類のおかずがご飯の上にひしめくように乗っかっているどんぶりなのだ。

 僕たちは部屋に戻るとそれらを食べ始める。スリランカの食材の多彩ぶりには毎回驚かされる。昔、暖かい熱帯の国ではどんなに貧しくても飢える人がでないと聞いた事がある。至る所に自然から得られる食材があり、それらは経済とは関係なく、常に手の届くところにあるのだ。

 あのベトナム戦争中のベトナム人たちも、苛烈な状況の中でも飢える事がまずなかったと聞かされた事がある。
 それから慈永祐士僧から面白い食に関する話を聞いた。一つのトマトを巡っての話だ。

 祐士僧は以前旅先で国際色豊かなとある部屋でトマトに塩をかけて食べていた。するとまわりのみんなは口々に
「オーマイゴッドなんでトマトに塩なんだ。俺たちは悪い夢でも見ているのか」
 とぼやき始める。

 そこでみんなはトマトに何をかけて食べるかを同時に答えてみせる。
「セイノー、砂糖、砂糖、砂糖、砂糖・・、しお」
 祐士僧だけが塩と答えたのだ。

 そんな話を聞かされたので、僕も
「ラダックでバナナに塩をたっぷり塗って食べた事があり、なかなかいけましたよ」
 と思い出話を語る。

「そういえば塩にまつわる話は、ラダックでは塩茶が当たり前だし、牛乳に塩を入れて飲むし、ヨーグルトにも塩を入れて食べるし、インド・シェイクのヨーグルトから作られるラッシーにも塩を入れて食べました。」
 と僕は話し続ける。

 もともとラダックは岩塩の文化で砂糖は後から入ってきたものなんだと再確認をした。すると一つの疑問が起こってくる。僕たちが日本で使ってきた物たちや調味料の中には、世界とまったく違う使い方を当たり前のようにしている事もけっこうあるのではないか。

 島国にいるとそれはなかなか確認できないどころかそんな事考えもしない。しかし一歩外に出ると、無論が論だったりするのでそれはそれでいて面白いささやかな体験なのである。

 食事のすぐ後に山盛りのフルーツが出てくると、それらを平らげて、フルーツの芳香の中、僕らは床に着く。この夜僕は蚊帳ネット無しで寝た。スリランカで蚊帳無しで寝るのは初めての事だった。

 次の日、運がいい事に気持ちのよい朝の光にここちよく起こされた事が、夜中の蚊の襲撃の事をきれいさっぱり忘れさせてくれたのだ。日曜の朝はお寺にたくさんの檀家さんたちが集まっていて賑やかだった。日本で僕たちがディズニーランドに遊びに行くように、スリランカではお寺に人がたくさん集まって来る。

 いつもと同じ美しい平和な朝が迎えられている国は、世界では多いのか少ないのか、ふとそんな事が頭に浮かぶ。僕たちはそんな平和の中、クルネーガラに向けて出発した。

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2011年9月11日日曜日

11."Arogya" Foundation For Disabled

 最近はケッタラーマ寺のウェブページの制作に追われていてなかなかブログが更新できずにいたが、ウェブの仕事も落ち着いてきたのでブログに少し専念しようかと思う。

 クルナーガラからバスに乗ってコロンボに向う。雑踏の中の停車場から古バスがギシギシと動き出すと、ここぞとばかりに開け放たれたドアより売り子が次から次へと乗り込んできた。水の入ったペットボトルを売り込みにやって来る者。お菓子や子供用のおもちゃを売り込みにやってくる者。

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2011年9月10日土曜日

10.ケッタラーマ寺のつれづれなるままに 其の三。

 今日もまた茜雲の下、僕はトゥクトゥクで外出をする。寺より15分ほど北へ向けて走るとクルネーガラの街に出るのだ。その街の中心にあるエレファント・ロックこと”アトガラ”の細い坂道をトゥクトゥクはその小さなエンジンをグィングィンと鳴かせながらトコトコと登っていく。

 トゥクトゥクは辞書によれば日本国内でも200台以上が公道を走っていると云う事だ。日本国内では4サイクルエンジン660ccと2サイクルエンジン360ccの2種類があるみたいだ。

 その正規ディーラーは僕の地元の愛知県小牧市に店を構えている。(もしかしたら国内唯一のディーラー?)スリランカではスリーウィーラーと呼ぶのが一般的らしいのだが、僕の滞在しているケッタラーマ寺ではトゥクトゥクという名がよく使われている。

 ある日、同じケッタラーマ寺に住まわれている日本人の僧裕士さんがスリランカの僧ダマこと、ダマナンダーに「リクシャは日本の力車から語源が来ている」との旨を伝えられたらしいのだが、信じてもらえなかったとおっしゃっていたのを思い出す。

 山の腹より揺れる木の間を通してクルネーガラの夜景がちらと見える。座席の横では途中ホテルという名の露店で買ったパンが香ばしい香りを放ちながら袋の中で揺れている。10分の山道を抜けると頂上だ。クルネーガラの街が柔らかな夜に包まれる頃たくさんの人たちがこの岩山に登ってくる。

 カップルや家族連れや学校友達や観光客、本当にたくさんの人が登ってくる。目の前には大きな体躯で涼しい顔で座していらっしゃるお釈迦様の背中が見える。高さ27mものその白く大きな釈迦像は今日もクルネーガラの街を優しく見守っている。この場所は土足厳禁の聖地なので靴を脱いで歩いていく。

 お釈迦様の横を通り抜けるとアトガラからの夜景が目の前に広がる。その夜景に見えるのは夏の夜に舞う蛍のように闇に淡い瞬きを散りばめていた。その景色を眺めながら夕食のパンを頂く。スリランカのパンは美味い。日本の袋入りのパンは薬の味がしてとても食べれるもんではないが、ここでは袋入りのパンでも出来立て無添加の、そしてたまにほかほかのやつも見つかる。

 もちろん露店売りのパンも美味い事は云うまでもない。僕は袋から日本のカレーパンのようなパンを取り出しほおばる。アトガラの頂上に吹いてくる優しげな風を感じて食するパンは、目の前に広がるおぼろげな夜景と相まり、それが夏の終わりを感じさせ、少しセンチな気分にさせる。

 パンを食べ終わると、僕はトゥクトゥクに戻っていく。そう僕はこの夜景を見るためだけに寺を飛び出してきたのだ。そしてこの夜にあわく瞬く光たちはそれだけの価値があると思う。

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 僕はここに来る前まではジャングルというのは虫がとにかく多く、とてもとても日本人の僕が過ごせる場所ではないと勝手に思っていたのだが、そう思っていたほどに虫もおらずなかなか快適なのだ。これなら日本の山中の方がはるかに虫が多い。

 日本ならば山中の家の中で明かりをあかあかと照らして窓を開け放そうものなら蚊の大群がやって来るが、今僕はジャングルの中で部屋の戸を開け放して机に向っている。しかし虫はほとんど入ってこない。

 たまにでっかい名も分からぬ虫が飛び込んで来たり、軒下で大トカゲが寝ていたりして驚く事もあるが、それもそれほど大事ではない。天気の悪い日は蟻が雨を避けて部屋の中を列を作り移動したりするのが見れるのだがそれも愛嬌だ。

 いつだったか部屋の中に大きな蜘蛛が入ってきた事があって、ダマがほうきでそれを追い出したのだが、またまたその蜘蛛が部屋の中に入ろうとしたので僕がもう一本のほうきで侵入を遮り、それを外に放り投げた時があった。投げられた蜘蛛は地面に叩き付けられ動かなくなってしまったのだ。

 僕が「死んでしまったよ、蜘蛛」と云うとダマがすごく悲しげな表情を浮かべてたのを今でも良く覚えている。僕はその蜘蛛の死骸を眺めていると蟻がめざとくそれを見つけて、一匹が二匹、二匹が四匹となり、気がつけば蜘蛛の上を蟻の大隊が出来ていた。

 その蟻たちは長い長い列を作りどこかの巣穴まで蜘蛛の死骸を運んでいこうとしているようだったので、僕はその巣穴の場所をを確かめるために蟻の後を追いかけたんだ。どれだけ辿っても長い列が続くだけで、穴が見つからない。

 結局その穴がジャングルの中にその場所から数十メートル離れたところで見つかった時は、なんて長い距離を移動するんだと驚いた事があった。でも日本にいるときは蟻に興味さえ示さなかった僕が、ここまでして蟻を追っている僕自身に一番驚いたんだ。

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 ある日の昼下がり、ある僧とダマと僕で寺を出てトゥクトゥクでそのジャングルの中を走る。ココナッツの木やバナナの木の森の間を細い細い道がジャングルの中を縦横無尽に走っている。時々森が開けた場所よりこがね色の田んぼが広がって見える。

 スリランカの田んぼは一年に二回稲を収穫する二毛作がほとんどだ。だから目の前に開けて見える田んぼも8月9月にかけては収穫の時期なので虎刈りのところが多い。田んぼの収穫は家族総出でやる事が多く。自分の店を休んだり、子供たちも学校を休んだりして手伝っている。

 そんな中をトゥクトゥクは颯爽と駆け抜ける。僕たちはジャングルの中のある一軒の家の前で降りた。その家の玄関の前でその家族は出迎えてくれた。家の人は一人ずつ僧たちの足下に座り、静かに手を合わせる。スリランカの仏教徒のマナーだ。

 すると一人の僧が袂からおもむろに銀のネックレスを取り出して、右手でそれを掴むと先についている銀のペンダントを静かに揺らし始めた。その僧は振り子のようにペンダントを揺らしながら家の周囲を歩き始める。水脈を探しているのだ。

 この家族より井戸を掘りたいので水脈を探して欲しいとの依頼が寺にあり、それで僕たちはこの家にやってきたのだ。これもりっぱなお寺の仕事なのだ。もし水脈が真下にあれば大きくペンダントは回り始める。僧は家の裏に回ったり家の境界の付近を歩いたりしながら念入りに振り子の反応を見ている。

 なかなかペンダントは反応してくれない。いい水脈が見つからないのだ。そして調べること小一時間ペンダントの振り子はゆっくりそして大きく回り始めた。振り子は静かに反応した。ぐるぐるぐるぐると回っている。この真下に野太い水脈があるのだ。僕は木を拾ってくると、それをその場所に打ち込む。

 これが井戸を掘る場所の目印だ。そして僕たちの仕事は終わり、この家で紅茶とお菓子を頂くと寺に向った。トゥクトゥクで森の中を走ると茜色も薄くなり夜の帳が空を覆い始めてきた。寺に着く頃にはすっかり周囲は暗くなっていた。ふと僕が見上げると寺の木が夜に向って天に伸びている。

 その枝葉の中にひとつまたひとつと線香花火の終わる寸前の小さな火玉のようなものが光出す。それは蛍だった。まるで早いクリスマスが来たかのような静かなるイルミネーションが枝葉に騒ぎ始めていた。僕はぼんやりとそれを見ている。眼の先には収穫後の田んぼが広がっており、その田んぼの至る所で蛍が大きく小さく明滅していた。

 僕は蛍の単語が思いつかなかったけれど、とっさに声を上げた。
「フライング・リトル・ライト」
 すると周りから笑いが漏れた。

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2011年9月9日金曜日

9.スプートニク・インターナショナル。

 クルネーガラの中心部には、その背後にクルネーガラ・ロックを背負って青空とのコントラストを楽しんでいる石製の時計塔がそびえ立っている。僕とダマはその時計塔の前で待つ事20分、スプートニク・インターナショナルの狩野さんはやって来た。

  スプートニク・インターナショナルとは

 学びたくても学べない子供たちのサポートをします。奨学金制度や交換留学制度をはじめ、図書室の充実、移動 図書館運営、絵本の読み聞かせ、日本語・英語教育、などで、子供達の可能性と自助活動を大切にしています。

 基本的な生活の保障と安全がより多くの人々にもたらされるお手伝いをさせていただいています。
  スプートニク・インターナショナルのホームページより

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 僕たちは街のマーケットで買い物をし終えるとバスに乗り込みスプートニク・インターナショナルに向う。バスは街を抜けると、静かな森の中の住宅街を通る。フルーツ売りの露店は店先にを様々な彩りで飾っている。僕の滞在している寺の村とは違い、贅沢で美しく大きな家々が目立つ。

 それはまるで軽井沢にでも迷い込んだ気分にもさせる。15分ほどでバスはスプートニク・インターナショナルにたどり着いた。大きな門をくぐり抜けスプートニク・インターナショナルの敷地に入っていく。そのレンガ造りの重厚な建物はイギリス植民地時代のコロニアル風景を作り出している。

 敷地はかなり広い。ここがかつてどこかの大使館だと説明されても、僕は信じてしまうかもしれない。それほど美しく威厳がある建物なのだ。僕たちはディレクターのエシャンタさんからスプートニク・インターナショナルのコンセプトや概歴などをお聞きした。

 エシャンタさんは日本への留学経験もあり、日本をこよなく愛し、武道にも通じ、学をよくし、日本の紳士の条件をすべて持っているような人であった。彼は東京と岡山で過ごした経験が有り、倉敷のわびさびを語る。その後、僕たちは美しい中庭が見える回廊のソファーに座り紅茶をごちそうになる。

 この建物はスクエア型で真ん中に中庭がある。僕は中東の方ではこのような造りの建物は資産家の家が多かった事を思い出す。見上げると四角形に切り取られた形から青い空が見え、そこを雲が眠たげに流れている。子猫がやってきて僕の足下でじゃれている。

 テーブルの上にあった手作りのねずみのおもちゃを彼女の前に走らせると、一目散に飛びつき、それで遊び始めた。紅茶をテーブルの上に置くと中庭に干してある洗濯物が風でひるがえるのが見えた。狩野さんがやって来て、僕たちはスプートニク・インターナショナルの中を案内してもらった。

 日本の小学校の体育館のような大きな部屋があった。そこはかなり広く卓球台が何台も設置してあり、壇上もかなり広い。ここで日本語スピーチの大会も行われるそうだ。授業教室もたくさんあり、部屋の大きさは大小さまざまだ。部屋の窓から時折風が迷い込んでくる。窓の外には緑の森が広がり、その間を風が駆け抜ける。

 校庭にはバナナの畑が見える。また別棟には宿泊施設も有り、図書室も有り、学ぶための環境はこれ以上のものはないと思わせるのに十分な魅力があった。今日は休日なのだが、数人の子供たちが学校に出てきて遊んでいた。

 本を読んでいる子供。校庭のブランコで遊んでいる子供。ボールを蹴ってあそんでいる子供。子供たちにとっての素晴らしい環境がそこにはあった。

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 河野さんと僕たちはここから少し離れているガールズホームへ向う。ガールズホームとは女の子の孤児院の事だ。両親がいない子供。わけあって親元を離れなければいけない子供。ここにはさまざまな子供たちが住食をともにしながら勉強をしているのだ。

 トゥクトゥクでスプートニク・インターナショナルより10分ほど森の中を走った所にそれはあった。入り口の門をくぐり詰め所でサインをして中に入る。建物はまだ新しく、緑の森と青い空の元それは建っていた。建物に入ると奥の広い部屋で子供たちは美術の授業を受けていた。

 切り絵のようなものを作っている。今日は男性の先生が授業を担当していた。子供たちは真剣に作品を作成している。今日は13名程の子供が授業に参加していた。窓の外には校庭が広がっており、その向こうは森だ。このホームは緑の森の中にある。この静かなで美しい自然と新しい校舎。

 この素敵な環境の中で子供たちは生活をしているのだ。昼になったのでこの教室で僕ら昼食を頂く。テーブルに運ばれてきた料理はボーンチというインゲン豆。ココナッツの和え物。マッルンと云われる野菜を刻んだ料理。ドレッシングがたっぷりかかったサラダ。パパダンと云う名の日本のスナック菓子のような揚げ物。

 これらをご飯に少しずつ乗せて、手でこねながら食べるのだ。僕は手で食べる生活に慣れてしまって、骨が多い魚なんか箸より手の方が重宝する。僕はきっと箸をうまく使えなくなっているような気がする。最後にワッタラッパンというココナッツと卵を使ったプリンのようなデザート。

 これも不思議な味と食感のデザートだ。ココナッツと卵の風味に非常に濃い甘みが被さって、口の中に広がるのは、南の島の新感覚の味だ。僕たちは食事を終えると狩野さんから一冊の本を見せて貰った。

 ”南の島の「プルワン」”というこの絵本は、ストーリーは日本人のスタッフによる創作だが、絵はこの施設の子供たちによって描かれている。子供たちの優しい絵は独特のストーリー展開の上をまるで魔法のように踊る。この本もこの施設もたくさんの人々の援助によって出来上がっている。

 またこの施設の敷地内に今、製紙工場の建設が進められている。しかしそれは一方的な援助ではなく、この本は社会システムの中で一冊の立派な本として認められ、また製紙工場は施設を出ても子供たちが安心して働けるような場所を提供しようとしている。

 このスプートニク・インターナショナルはスリランカ社会での子供たちの問題を、一歩ずつ着実に優しい目で解決しようとしている南国のさわやかな風のような団体なのだ。社会の片隅のほころびを毎日少しずつ縫い繕っているのだ。

 それに使われているのは、心とか愛とかきっとそんな名前の糸なのだろう。それは世界で一番強くて決してちぎれる事の無い糸だ。涼しげな風が吹いた。僕は南国の優しさを肌に感じた気がした。

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2011年9月8日木曜日

8.ケッタラーマ寺のつれづれなるままに 其の二。

 スリランカの万物が全て黄昏れる時間帯に僕とダマが道を歩いていると、トゥクトゥクが僕らの横で止まり、乗らないかと云ってきたので、僕たちはどこかに行く当てがある訳ではなかったがとにかく乗り込む事にした。村では稲の刈り入れが終わり、稲の風選をしている光景がよく見られる。

 風選というのは稲を風の力を借りて良い稲と悪い稲を振り分ける方法だ。軽い稲はどこかへ飛んでいき、良い稲だけが残るという寸法だ。僕たちはトゥクトゥクでその風選をしている村人の横を通り抜ける。そして田んぼの中でトラクターを懸命に押している村人たちの横も通り過ぎる。

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