2015年7月24日金曜日

リビング・フューチャー・エコ・ビレッジ・プロジェクト

エコ・ビレッジとは 人類の健全な発展を支え、限りない未来にうまくつながる方法を採用することによって、人間の活動が自然界に害を及ぼすことなく溶け込んでいるヒューマンスケールの、生活の為の機能が十分に備わった集落です。 天体物理学者兼持続可能性の専門家であるロバート・ギルマン博士は、エコ・ビレッジを定義しています。
 ・ヒューマン・スケールを基準に設計されています。(皆が顔見知りになれる程度の人数)
 ・生活のための機能を十分に備えた住居があること
 ・人間の活動が自然に害を及ぼすことなく調和していること
 ・健全な人間を育てる助けとなり、永続的であること

 パーマカルチャーとは パーマネント(持続的・永久の)、アグリカルチャー(農業)、カルチャー(文化)を合わせた言葉です。1970年代、タスマニア大学で教鞭をとっていたビル・モリソンとデビット・ホルムグレンによって体系化された実践的な学問で、発祥の地オーストラリアでは学校教育にも取り入れられています。生態系が持つ生産力を最大限に活用し、多種多様な要素を有効に配置すること。生態系を成す一員として〈持続可能な〉環境を自らつくり出していくことが重視されています。

 

私たちのスリランカ・クルネーガラのリビング・フューチャー・エコ・ビレッジも上記のコンセプトを踏襲した上で、以下に私たちのエコ・ビレッジの目標を記述します。
 ・コミュニティの1人当たりの環境負荷(エコロジカルフットプリント-ある一定の人口に対して、必要な資源消費とそれに伴う廃棄物処理を、それに相当する生産面積の広さで計測)を減らします。
 ・自然素材を活用したエコハウスを作ります。(セルフビルドのエコ建築、草屋根やストローベイル・土壁など)
 ・太陽光発電などのエネルギーを利用します。
 ・バクテリア分解、フローフォームや池による排水処理や浄化システムを導入します。
 ・有機農法でフルーツや野菜などを作ります。
 ・環境教育、自然建築、有機農業、エコツーリズムなど、様々なワークショップを開催します。
 ・パーマカルチャーデザインに基づいた村づくりをします。



 環境に優しいシステム作りについて

 リード・ベッド・システム プラン リード・ベッドとは葦原が群生しているような湿地帯の自然な環境の事です。リード・ベッド・システムは汚水浄化システムですが、単純な生活排水だけに使用すべきで、糞便用の浄化槽として使うべきではありません。リード・ベッド・システムは細菌や藻類などによって汚水を浄化することを可能にする水生植物ベースのシステムです。そして葦原などでつくられた湿地ではアンモニアなどの汚水物質を浄化する働きをします。
 

コンポスト・トイレ プラン 便槽の中にオガクズなどを詰め込んであり、排泄された糞尿を、オガクズなどとともに攪拌して好気性微生物を活発化させ、分解・堆肥化させます。 以下はLIVING FUTURE ECO VILLAGE のポートフォリオです。土地は2エーカー以上あります。プロジェクトは始まったばかりですが、下草の刈取りや、整地が終わり、これから自然素材で作る居住区を作っていくところです。 LIVING FUTURE ECO VILLAGEでは一緒に村を作ってくださるボランティア・スタッフを募集しております。経験がある方もない方も是非協力お待ちしております。興味がある方は(グループも可)下記から応募してください。食事や住む場所はこちらで用意いたします。

  

HALL プラン

ここは皆様が集う場所になります。本を読んだり、食事をしたり、ヨガをしたりと様々な事に使います。

 


VILLA プラン

自然素材を使ったVILLAを作ります。長期滞在者の方にも、使い勝手が良いように考案されております。




WORK SHOP HOUSE プラン

壁をRICE STRAW BALE(稲)で作ったハウスです。自然素材の家の作り方からローカルなパンの焼き方まで様々なワークショップを開催します。




2014年11月3日月曜日

43.マナリ行きと世界のロングトレイル。


朝の4時半、僕はマナリ行きのおんぼろバスに飛び乗った。



ラダックはスリナガルの大洪水の影響で、ずっとインターネット回線の不通が続いている。明日は大丈夫だ、明日には開通するとのラダックの人々や僕たちの願いも虚しく、回線が途切れた状態の、山の孤島的状況となってから数週間が経つ。9月の2日から6日の間、ジャンムー&カシミール州のスリナガルからジャンムーにかけては暴れる海のような雨が降り、300人以上の死者と多数の行方不明者、そして隣接するパキスタン側でも多数の死者が出ているという情報がラダックに入ってきている。一時60万人以上の人々が陸の孤島となった地域に取り残されて、ライフラインも寸断され、依然インド軍による救出が続いていた。2000近くもの村が被災しているとのことだ。通信施設は広域で破壊されていて復旧できる見込みは当分ないという話も聞いている。きっと日本ではニュースのタイムラインには流れるが、次の日には誰も覚えていないのだろうなと思うと、少し悲しくなる。レーの街中では、自然発生的に街角のいたるところで災害援助のための募金スペースが出来上がっている。パキスタンも含めたこのエリアでは、近年カタストロフィー的洪水が多く発生するようになっている。特に2010年のパキスタン、インド(ラダック)での大洪水は、世界の災害史にも残るほどの、とてもひどいものだった。この地域の洪水はクライメート・バリアブル(自然な気象変動)の影響よりも、クライメート・チェンジ(人為的な気象変動)の影響が大きいとの報告もある。

2014年9月30日火曜日

「セヴァンの地球のなおし方」上映会

いわくらシネマ代表の本城です。

2014年10月19日(日)に「セヴァンの地球のなおし方」上映会があります。是非皆様のご参加をお待ちしております。



「どうやってなおすかわからないものを、壊し続けるのはもうやめてください」。1992年、リオデジャネイロで開催された地球サミットで、12歳の少女、セヴァン・スズキは大人たちに環境破壊を止めるよう訴えかけた。

その伝説のスピーチから、来年で20年。もうすぐ母親となるセヴァンは「大切なのは生活の質と健康、そして子供。だから私は自己中心的に、自分たちをどう救うかを考えていきたい」と、未来の子どもたちのために発言を続けている。セヴァンが今、世界に伝えたい

2014年9月17日水曜日

42.Workshop on glacier hazard in Stok village, Ladakh on 10th September 2014

満月の光が怪しく漂う雲とストク全体を照らしていたポーヤデイ(フルムーン・デイ)のあくる朝、にゃむしゃんの館でとあるワークショップが行われた。それは氷河による災害に関するワークショップで新潟大学の教授、奈良間氏による監修の元で開かれた。彼は教授というよりも登山家のアスリート然とした風貌の持ち主で、中央アジアを中心とした様々な山の氷河湖を調査しており、とても熱く山について語る横顔はまさしく山の男そのものであった。




ワークショップの参加者が集まると、まず始めに奈良間氏はヒマラヤ・レンジ全体の氷河の状況について語り始める。
「ネパールやブータンの氷河は大きく減っています。それとは対照的にカラコラム山脈の氷河は増えています。ここラダックはと言うと氷河が少しづつ減っていっています。」
そして教授は続ける。
「ラダックの1965年と2010年の氷河の大きさを比べると、天候の変化の影響で小さくなってきており、氷河の縁に小さな湖がいくつも出来てきています。」
「中央ラダックに氷河の数は237個、ヌブラには159個、ストクには6個、ザンスカールには73個で、ラダック全体の氷河湖の数は475個に及びます。」


41.にゃむしゃんの館。

にゃむしゃんの館。ストクの村のさらに奥、ストク・カングリへのトレッキング・ポイントの拠点となる場所にその素敵なゲスト・ハウスはある。日干し煉瓦壁に埋め込まれている古い木製の扉の上には暖かな文字でNEO LADAKH にゃむしゃんの館と書かれている。そんな扉を潜り抜けると目の前にラダックの伝統的な作りをした大きな家が古き良きライフスタイルを主張するかのごとくデンと建ってる。日干し土煉瓦で作られているその家の肌は、ラダックの目も眩むような青い空に良く映えるなにげに土香の薫る白色である。そんな壁に寄り添うように階段が付けられ、その足元には9月のはんなりと引き締まった空気の中、幾つものコスモスが気持ち良さげに揺れていた。

40.チクタン村とスイス・ツーリスト・キャラバン。

いつになく暖かいチクタンの朝の起きがけに、朝日が光のカーテンを干している屋上で、 Paul AusterのAuggie Wren's Christmas Storyを読んでいると、盲目のおばあさんがAuggieを抱き締めるくだりに来たところで、ジャファリ・アリの数十フィートほど先のフィールドから、僕を呼ぶ声が聞こえた。早速彼のところへ行ってみると
「今からキャラバン隊がくるので、この石積みの塀の幅をもっと広げて車がフィールドへ入ってこれるようにして欲しい。」
とこうくる。僕は石垣を崩しながら、石を塀の脇に放り投げていると、一台のトラックがタイヤを土に滑らせながら入ってくる。トラックはフィールドの中程で止まると、荷台からキャラバン隊のガイドたちが次から次へと飛び降り、見事な段取りでテントをいくつも設営してゆく。そして遅れるように入ってきたのがマウンテン・クロスに乗った八人のスイス人ツーリスト達だ。この八人のツーリストと七名のガイドとの合わせて十五名の大キャラバン隊は今日はチクタンで一泊、明日はラマユルで一泊、それからレーに戻る予定らしい。往復八日間かけてのキャラバン隊にサポートされながらのサイクリングだ。段々畑になっているフィールドの上段にキッチン・テントとティー・カウンターが併設されているレスト・テント、そして二段目に八人のツーリストたちのテントがいくつか設営されている。チクタン村でのこのフィールドから見える景色は、もっとも美しいとされる場所のひとつで、フィールドの小麦の秋の収穫は半分ほど終わってはいるが、その美しさは変わらず残っていて、奥にはチクタン城の後ろ姿が垣間見える。


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2014年9月1日月曜日

39.ゲストハウスの2階を作る。

チクタン村で僕はゲストハウスの2階部分を作っている。今回雇った大工さんは5名。みんなネパールからの労働者だ。まずは土干し煉瓦から作っていかなくてはならない。土をいろいろな場所から集めてくるところから始める。土は敷地の縁の部分を深く堀りそこから取ってきたり、段々畑の一部を崩してそこから取ってきたり、近くの川原から運んできたりする。もちろんそんな土は小石が混ざっているので除去しなければならない。手で除去をするとあっという間に年が暮れてしまうので、ここでインド式の秘密兵器が登場する。四辺を木切れで作った枠の中に網が掛けられている。それは木枠の四隅をかろうじて錆びた釘で止めてあるので、倒れるときっと簡単に壊れる。ここではそれで十分なのだ。そこらへんに落ちているものを拾ってきてちょちょいと作ればそれで完成。お金はかからないし、山を越えてまでも店に行き、お金を払って買う必要もない。たとえお金を払って秘密兵器を買ったとしても、兵器はきっと手作りとそう変わらないレベルだ。逆に言えばそこら辺で拾ったものをかき集めてちょちょいと何かを作れば、ここではそれで立派な店先に置ける商品になるのだ。チクタンの仲間が以前、路上で売られている手押し車に積まれた中古の服の山を見て、僕に申し訳なさそうに質問した。
「日本には中古の服なんか売ってないでしょう。」
「まだ使えるのに捨ててしまう文化と、こうしてリサイクルして使えなくなるまで使う文化とではどちらが先端を行ってると思う。決して恥じる事はないよ。」
僕はそんな会話を交わした事を覚えている。


38.チクタン村とランドセル。


チクタン村の晩夏が薫るある朝、水路に沿って忍び足で歩く二つのふわふわとした固まりがある。その一つが家の影から頭を覗かせている。その光る瞳は用心深く左右の様子をうかがい、村の洗濯場の横の石階段を駆け降り、ぴたりと止まるとまた左右を確認する。そして忍び足から駆け足になり、水路の横を駆け抜けてゆく。猫である。昔からチクタン村に住み着いている少々痩せてはい

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