2013年12月31日火曜日

6.ゲストハウスを作る。


当初予定は子供たちの小さな図書館を作る予定だったのだが、チクタン村にモラビアン・スクールが入ってきて状況が変わった。チクタン村の背には村人たちがプラタンと呼んでいる乾いて切り立った台地がそびえており、その頂上から一望できるチクタン村は圧巻で、グランドキャニオンを彷彿させる光景だ。プラタンの頂上にモラビアン・スクールが新しい校舎を建設する予定だ。そこに図書館も併設されるプランなので、僕が当初計画していた子供たちの図書館作りはモラビアン・スクールに任せる事となった。現在使われている校舎は前の学校から借り受けた古い校舎なので、モラビアン・スクールの子供たちは校舎の完成を心待ちにしている。今日はヨーロッパから来た測量士たちは、クリケットの試合が出来そうな程のプラタンの頭の土地を、あまりにも真っ青で広大な空の下、右に左に奥へ手前と忙しく測量していた。

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そんな訳で僕は子供たちのための小さな図書館作りは断念したのだが、ゲストハウスを出費して作り、村人に経営を任せる事とした。村のためにささやかな収入源になってくれればよいと思っている。このチクタン村は近年観光客は増えてきているのだが、ゲストハウスやホテルがなく、また食事が出来る場所もないので、宿泊せずに通過していくばかりなのだ。そこで村の人たちと相談してゲストハウスを作る事としたのだが、日本のそれと全く違う建築方法なので、全く勝手がわからない。だから建設からすべて村の方に頼む事として、僕はその様子を外から拝見するだけとする。

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さっそく村人がゲストハウス作りに雇ったのは、インドのはるか遠くの小さい村からやってきた2人の大工さんだ。親方と若者の2人で作り上げて行く事となる。大工さんは他の仲間と共に河原にテントを張って夏の間チクタン村に滞在する。他の仲間たちも、チクタン村の他の家々の新築に携わる大工集団であり、一部は道路工事などの公共事業にも携わっている。日本のようにハウスメーカーや工務店などを通して頼むのではなく、直接大工さんと建設の交渉をするのだ。

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家の基礎は木枠に石や砂を入れていき、そこに手こねのセメントを流し込んでいく。柱には鉄筋が入っており、壁は土を固めて日光でよく乾かした土レンガを積み重ね、セメントでその内と外を塗っていき、徐々に家の形を作り上げていく。そして天井部分は太くて丈夫なポプラの木を梁にして、その間にポプラの小枝を引詰めていき、その上に乾燥した土をかぶせる。ラダックの最も特有な建築方法は、石と土レンガとこのポプラの木で作られる天井部分だ。現代では建物の強度を高めるために鉄筋や少量のセメントをどこの家でも使うが、少し前までは全て石と土と木だけで作られていた。今でも家畜小屋や穀物の貯蔵庫などは大抵昔のやり方で作られる。また散歩道の両側に続く木漏れ日の中の長い塀は石を積んで土で固めた昔ながらの方法で作られている。

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というようなやり方でゲストハウスの建物はだいたい出来上がり、大工さんたちは内装にとりかかる。もちろんみなさんが想像している通り、または想像に反して、図面は無く、測量するやつは素人だと言われそうで、常に大工さんと村人が話しをしながら、現在進行でプランを作り、それをその場で実行していく。というとかっこいいのだが、実際は目をつぶって作ったんじゃないかというような酷いいや素晴らしい出来映えで、その過程を見ているとハラハラドキドキしてくるのだ。大工さんたちはしっかりと堅実にかつ適当に作り上げていく。ゲストハウスはなんとなく水平で、なんとなく傾いている。とてもスリリングだ。そしてとても面白い。よく日本で欠陥住宅などが問題になったりするが、そんなレベルの遥か上をいっている。とてもインドらしい、とてもいい兆候だ。それが建築の味につながってくる。これが縦にも横にも平行かつ水平で窓や屋根に隙間も無くびしっと決まると、味がない、面白みのない、ただの冷たく無機質などこかの国のような建築物になってしまう。この微妙ないい加減さが味であり、建物の魅力につながるのだ。まぁそれは偶然の産物で、意図してそのようにしようとしている訳ではないのだが・・。

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むき出しの土間には木枠を組んで板を貼付けていき、ラダック特有の伝統的な床を作っていく。木枠は、大工さんたちが、無骨なかんなを使い、丁寧な乱雑さで、心をこめつつ気もそぞろに、作り上げる。そして土間の板は何となく長さをはかり、床にはめ込んで行くのだが、やはり板の縁が壁に引っかかり、土間になかなかはまらない。大工さんが板を乱雑に踏みつけてはめ込もうとするが、板はもちろん言う事を聞く訳でもなく、びくともしない。普通ならここで、板の端を削って土間にうまくはまるようにしようとするのだが、ここはインド・ラダック・チクタン村だ。そんな当たり前の期待はずれなやり方はしない。そんな時は板でなく、壁を削るのだ。床板が土間にはまるようになるまで、がつがつと壁を掘っていく。驚くほど掘っていくのだ。実際僕も驚いた。壁の一部がみるみるうちに薄くなっていく。そうここは万物が混沌に渦巻くインドだ。素敵だと思った。

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天井部分は本来ならば太いポプラの木の梁と天井に敷き詰められたポプラの枝がむき出しの昔ながらのスタイルが風流で良いのだが、ゲストハウスとして使うにはそれが少々問題になる。夏の陽気が心地いい季節が来ると、人だけではなく、虫たちもそわそわしてくる。するとどうだろう天井に潜んでいた南京虫たちが夜な夜な寝ている人をめがけて急降下してくるのだ。そして彼らにとっての人の肌は、着地した後、あちらにごろりしてはチュー、こちらにごろりしてはその長いストローでチューと、常夏のビーチ状態になる。また、もしあなたが日本人で、日本の痒みの歴史書という名の壮大な叙事詩的な本があったならば、その最終巻に書かれてもおかしくない程のとてつもない痒みに襲われるのだ。だから天井の梁を色彩も柄も豊かな板で隠す。もちろん手間ひまを、日本とは違う意味合いで、大工さんたちはかけつつ、天井に板でシーリングをしていく。

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そしてなんとなく床と天井の内装も一段落ついた頃合いに、台所のシンクや戸棚を作り上げていく。タイルで飾られたキッチン棚にシンクをとりつけると、棚がその重みでずしんと沈み込む。目視でもほどよく、しっかりと傾き沈み込んでいるのが分かる。僕はこれも愛嬌であり味だと自分に言い聞かせる。もちろん手直しはしないし、大工さんもこれは失敗ではなく、逆にキッチン棚が崩壊しなかった自分たちの腕を賞賛する。全ては華麗でみごとだ。そんな調子で家具も手作りで作り上げていく。それは、なんとなく傾いているが床も何となく傾いているのでプラマイ0だ。全て順調だ。何の問題もない。いいぞ、その調子だ。

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台所です。

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トイレです。

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窓からの眺め。




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