Sunday 1 December 2013

4.そして東へ。

カルギルのバス・ターミナルを出発したシェア・タクシーは東へ向う。タクシーのほとんどが4輪駆動車で、悪路が多い山間の道では大変役に立つ。カルギルの街を背に徐々に標高を上げていく。高みから見下ろす街は、ヒマラヤの荒涼とした風景に佇む緑のオアシス。そのオアシスの真ん中をスル・リバーが静かに悠々と流れている。それは乾いた大地を潤す水だ。このスル・リバーはラダックの最深部、ザンスカールに続いている。

そして車は砂煙を巻き上げて走り続けている。カルギルの前面にそびえ立つ台地を登り切ると、そこは広く平たい緑に染まる農地が広がっている。台地の天井部分は、空に優しく包み込まれており、そして同時に目にはとても眩しくその引き締まった青さにも抱かれている。そんなヒマラヤの圧倒的な輪郭はきりりと強いが、しかしどこかはんなりと柔らかい光景の中を僕は進んでいく。

chiktan




道はいつの間にかワカ・リバーに沿って進んでいく。この川は、道と時に絡み付き、時に離れながら、それは目の高さになったり、足すくむような深い渓谷の底になったりしながら、僕をいつも楽しませてくれる。道の調子は毎年良くなっていく。初めてこの道を通った時は、瓦礫をかき分けながら走り、また命の危機を感じる程の、道という名前でここを語ってもいいのだろうかという酷いしろものだった。昔は車がすれ違えるほどの幅を持っていない場所が多く、車輪が半分、崖の縁にかかりながらすれ違っていたのだ。そしてそんな時に崖下にふと眼を遣ると、谷底に落下したバスの悲し気な傷だらけの車体が恐怖を増幅させたものだった。そんな事はとても考えられないほど、現在の道は広くなり、舗装されている道もされていない道もきれいになっていて、とても快適な道に生まれ変わっている。

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パスキュン村からロッツン村に続く道に沿っての渓谷の景観は圧巻だ。狭く深い谷にとうとうかつ悠々と流れる川を眼下に、その川の両岸には切り立った崖が続いている。秋口の季節の川の色は、エメラルド・ブルーなのだが、どことなくとろりとした貴賓あるスープの気配でもある。その崖の山肌を目を凝らしてみて見ると、右へ左へ、左へ右へ細いくねった細い線がいたるところにあるのが分かる。それは羊や山羊が歩く道なのだ。絶壁の山肌を彼らはいとも容易く、ゆっくりと歩くのである。カルギルからチクタンに掛けては山羊や羊の大群を良く目にする。彼らの海の中に入り込むと車は身動きが取れなくなるので、のんびりと待つ事もよくある。それは何度出会ってもいいもので、中央アジアの印象的な眺めの一つでもあり、うとうととした日向で、目を瞑っては浮かんでくる大平原の中のあの有名な光景だ。それはラダックの日常の風景の一つでもあるのだな思う。そんな羊やら山羊やらを追いかけているのが、カルギリーのおじさんではなく、ハシバミの枝を持った牧童だったりするとつい目を細めたくなる。

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そして車は進む。道と川が手が触れ合うことができるほど近づくと、深い渓谷は背に逃げ、視界は一気に広がっていき、ムルベクに出た事がわかる。道の右手に人為的に削られたような岩山があり、そこの岩肌にはムルベク・チャンバ像が彫り込まれている。ここはブッディストが多く住む地域で、麓の茶屋の前のテラスには、このチャンバ像を目当てに来た観光客が大きなカメラを肩からぶら下げて黄昏れていた。

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ナミカ峠(ナミカ・ラ)を上る前に車は休憩に入った。ワカ村は小さな村でここもブッディストとムスリムが共存している。この休憩場所から右手の山側に少し入っていくと、きっと岩肌にめり込むようにして存在しているギャル・ゴンパが見えるはずだ。あまり有名なゴンパではないので、観光客の姿はほとんど見られないが、ここでは時間と空間が独り占めできるので、もしあなたがこの村に訪れたときには足を向けてみるのもいいかもしれない。きっと神秘的で素敵な経験ができるだろう。

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チクタン・ティー・ストールと書かれた看板の店に入ってみる。この茶屋はチクタン村出身者が経営している店で、ここまで来るとチクタン村の庭先の中のようなものなので、よくチクターニの友人に出くわす事も多くなる。僕はここで一杯の紅茶を啜りつつ、車の出発までまどろんでいる。窓の外にはレーに向ったり、カルギルに向ったりするバスやタクシーがこのワカ村で休憩するために、停車するのが見え、その度に車から地元客、観光客を問わず掃き出されていくのだが、9月下旬というシーズンが終わった時期にもかかわらず、ヨーロッパからの観光客はまだまだ多く見られる。さてと出発の時間だ。

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ナミカ・ラの峠に向けて、車はヒマラヤを踏みしめるようにして、ゆっくりと登って行く。徐々に緑の山肌は見えなくなり、月の肌のような、荒涼とした風景の続く、少し寒くなった9月の空を車は息を切らして走る。長い峠の道は山に絡み付く蛇のようなつづら折りで、すぐ頭上に見える道に行くのも、長く深い山の谷の終わる頃合いの、指の間の付け根のようなところまで行き、また長い長い距離を戻ってくるとやっと頭上の道に出られる。この蛇腹の道を気が遠くなるほど何度も行ったり来たりしながら、徐々に高度を上げて行くのだ。そして左手に時には右手に、雄大なヒマラヤの地の果てまで連なる山の尾根のひだをぼんやりと見ていると、いつの間にかナミカ峠(ナミカ・ラ)の頂きに辿り着いた事が分かる。天を支える柱と言う意味のナミカ・ラはいつ見ても孤高だが逞しく、自然が戯れで造った天を指差す彫刻にも見える。先ほどまで車内でかかっていた音楽も、ここを通り過ぎる頃には消え、アラー・フマー・ソアレ・アラー・モハンマ・ワ・アリー・モハンマとでも唱えているのだろうか、声は出さずとも乗客たちの口元はおのおの揺れ、しばし静寂で神聖な時間が訪れる。再び車内に音楽が宿り、車は何事もなかったかのように走っている。

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パキスタンとインドの国境上を舐めるように走るこの道から、カングラルの村を左折して国境方面へ曲がりより深く入って行く。カンジ・ナラ(カンジ川)に沿って車を走らせる。チクタンの谷にはちらほらと秋の気配が降りてきている。木々の葉は黄色に染まり、きっと一ヶ月もたつと、木の葉はもっと深く色づいていくだろう。この付近はレーよりも標高が低く3200mほどなのだが、なぜだかレーよりも寒いのだ。秋は瞬く間に駆け抜け、冬の到来はあっという間にやってくるのだろう。全ては凍りに閉ざされる深く暗く長い冬がやってくるのだ。しかし冬についてある側面では夏よりも自然がよりいっそう開花する季節でもある。星はよりいっそう美しく瞬き、雪豹が山合いに獲物を求めて駆け巡り、そんな凍てつくあらゆる風景はヒマラヤの象徴でもある。冬の間この太古の景色が、慟哭する季節が来る。圧倒的な自然がやって来る。

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そんな事を考えているうちに、いつの間にやらチクタン村に到着したようだ。羊や山羊が山から下りてくるこの夕暮れ時は、牧童たちが家に彼らを追い入れる時間でもある。耳をすませる。村の奥から羊や山羊の足音や鳴き声に混じって子供たちの声が聞こえてきた。いつものチクタン村がやって来たのだ。そして僕は言う。「ただいま!」と。

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