Thursday 26 December 2013

5.チクタン村の学校。

チクタン村のこの山間のズガン地区には小さな学校が二つある。ガバメント(公立)・スクールとプライベート(私立)・スクールである。この学校は隣同士仲良くならんでいる。

数年前初めてガバメント・スクールの方に顔を出したのだが、教室を覗いてみると学校の先生がいない。次の日も行ってみた。やはり学校の先生がいない。どうしたものか生徒たちに尋ねてみるとどこにいるのか分からないという答えが返ってくる。そして生徒たちはというとおとなしく自習をしている。僕はこんな学校の現状を悲観して、去年インターネットを通じてこの村の学校の現状を訴え
たのだが、世界からの反応があるのかないのか、皆目わからないし、そんな鬱蒼とした日々が続いた事を覚えている。

そしてそんな事も忘れてしまって、一年後またチクタン村にやって来たわけなのだが、ある日の早朝に部屋で荷物の整理をしていると、僕が居候をしているジャファル・アリ一家の娘クルスン・ビーの子供アミリーンが「朝10時に学校に来て」と言う。僕は9時55分頃学校に到着すると、去年の学校ではまずありえないとても面白い光景を目にしたのだ。生徒たちは学校のグランドに校舎を背にして並んでいる。そこにアコースティックギターを手にした、やせ形の、濃いアジア顔の1人の青年が生徒たちの前に立つ。突然ストロークされたギターの柔らかい音が青い空の下のチクタンの谷に響き渡った。そのギターの調べに合わせて子供たちは歌を元気良く歌っていく。次から次へ曲は変わっていき、子供たちの声もまた朝のチクタンの谷に溶けていく。目をキラキラさせた子供たちは、時には踊りを交えて歌っていく。曲の内容は、こんな田舎深いイスラム圏ではなかなか歌う事がなかった西洋の曲が多く、中にはキリスト教の色が濃い曲もある。青年は曲を演奏し終え、生徒は曲を歌い終えた。もちろんその青年は学校の先生だ。僕は大変驚きつつ、とても感動していた。そして僕は大きく拍手をした。


去年とは違う学校の雰囲気にとても驚いたのだ。子供たちはとても生き生きしており、学校が楽しくて仕方がないというような明るい顔をしていた。何が起こったかはすぐに分かった。学校が変わったのだ。正確に言うと校舎は去年のまま変わってはいないが、そこに入っていた学校が変わったのだ。

chiktan

モラビアン・スクール。キリスト系の学校でeMi²という南アジアにあるノン・プロフィット系の組織が母体。このラダックでもレーにモラビアン・スクールがあって、多くの仏教徒、ムスリム教徒が通っている。彼らが持っている建築技術、デザイン力そして様々な分野のプロフェッショナルなエンジニアたちが世界中からの寄付によって、世界中の貧しい家族や子供たちを助けている。そしてこの組織のキーワードはDESINGNING a world of hope。希望ある世界をデザインしていくという素晴らしいコンセプトに基づいている。チクタン村でも精神はキリスト系だが、内容はしっかりとインドの学校に即したものとなっているし、このチクタン村にも即したものとなっている。インドはとても多くの民族と言語がある国で、その多くは尊重されている。そしてこの村でもそれは同じで、授業のほとんどは英語なのだが、中にはムスリム圏のウルドゥ語の授業もあり、それはキリスト系モラビアン・スクールのカリキュラムの一つでもある。また村とモラビアン・スクールとの話し合いが行われて、そこでキリスト教的活動などはしないと決められている。しかし歌われる歌にはしっかりとキリストの精神が隠れているのはここだけの内緒だ。

その日はヨーロッパからのサポーターが多く訪れていた。ドイツからフランスからイギリスからといろいろだ。インドのテレビ局からの取材も来ていて大変賑やかだった。なかでもドイツから来た女性は大きなカメラを持って右に左にと撮影に大忙しだった。去年までは多くの外国人がこの村に来るというのは皆無(タイランドから1グループだけ)に近かったが今年はいろんな理由でチクタン村の様相が去年と違って見えた。

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しばらくして僕も先生たちと話し合う機会が得られたのでいろいろ聞いてみた。この学校の先生たちはインドのいろいろな場所からやってきている。みんなモラビアン・スクールの出身で、英語は達者だ。スリナガルから来られた先生はムスリムからキリスト教へ改宗している。アッサムから来られた先生が一番多く、3人いる。アッサムから来た彼らはみんな僕と同じようなアジアン・フェイスだ。去年僕がチクタンから去った時と入れ替わるようにして村に赴任してきており、アッサムでもとても暖かいところから来たらしく、冬を越すのはそれはもう大変だったと言っている。毎年冬は休校で閉鎖になる予定なのだが、新しい学校という事もあり、いろいろな準備に追われ、去年から今年にかけての冬はこの学校で越したのだ。暖かい場所から来た先生にはとても辛く厳しい冬だったらしいが、それでも教育のかける生徒への情熱が勝るのか、みんな穏やかで幸せそうな顔をしている。先生は今どこに住んでいるのか聞いてみたら、笑って校舎の二階を指差す。とても居心地が良いとは思えない古校舎の部屋に寝袋を持ち込んで共同生活をしている。井戸とトイレは外にあるのだが、もちろんシャワーなどはなく、とても大変だろう事は、僕も長い間インドの狭い部屋で大勢の人たちと共同生活をした経験があるので理解できた。その生活はとてもエキサイティングなのだが、キャンプなどとは違って、ある時期に突然、倦怠と言う名の絶望が押し寄せてくる。インドのそれは名状しがたいとてつもない怪物なのだ。

そして今スリナガルから来た先生が学校の裏手でインドのテレビ局からのインタビューを受けている。もし興味のある方がいたら、ここをクリックして欲しい。先生の英語でのインタビューが見られる。

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このモラビアン・スクールは今年のチクタン村への最高のプレゼントだと思う。青い空や自然は変わる事はないが、歴史は少しずつだがゆっくりだが動いて行くのが分かる。それを良い方向へ導いてやらなければならならない使命が僕だけでなく、世界にはあるのではないかと思う。なぜならば、いにしえよりとても長い間、自給自足で成り立っていた文化に、西洋の文明を流し込んだのはまぎれもない僕たちであり、その結果、世界中の様々な村や街がどうなってしまったかも悲しいかな僕たちは知っている。そして新しい価値観の実験場として使われていく村々の切ない現状を知っている。村側の人間は、今までの文化を貧しいものだという間違った認識を持ち始めている。西側の人はそれは利害関係の一致だと言う。資本主義の狭間であがく自給自足で生きてきた小さな村の未来に、世界中の経済学者が注目しているのも周知の事実だ。ここは世界の変化する文明社会の縮図であり、昔、世界や日本が歩んできた悪しき道なのかもしれない。早すぎるのだ。何もかも早すぎるのだ。僕は急激な変化に対応できず、支え切れなく村を見たくないのだ。だから僕にはやらなければならない様々な漠然としていながら確固たる宿命があるような気がした。

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