2012年5月4日金曜日

1.ゾジー・ラを越える。

朝起きるとスリナガルの街は今日も朝もやの中にあった。しかしいつまでもスリナガルにいる事はできないので、今日さっそくカルギルに旅立つ事にした。イギリス植民地時代より続く古い街並を迷路を歩くように、行ったり来たりしつつ進んで行くと、市井の喧騒の際にタクシー・ターミナルがあるのだが、一見しただけではそこがタクシー・ターミナルなのかどうなのかわからない。狭い住宅街の道に汚れた四輪駆動の乗用車がポツリポツリと並んでいるだけだ。

その中の一台に乗り込むと、午前7時前には車に人々は集まり、カルギルに向って出発した。朝のスリナガルは意外にも道は空いていて、昼の渋滞が幻だったかのように車は進んで行く。どこを通っているのかは定かではないが、車は途中途中で数名の人々を拾って出発をした。街の中心を抜けると、郊外は緑豊かで長閑な田んぼが、遠方に見える山々まで広がりつつも、未だ上空は厚い雲に覆われていて、空は時折しぶとく大きな粒のしずくを車の窓に落として行くが、それも突然止んだりして、かなり情緒が安定しないのである。

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2012年5月3日木曜日

3.東洋のスイス。

今日の朝もスリナガルは濃密な霖霧と壮言なアザーンのこだまの中にあった。雄大で湿った濃く深い緑の山々を、古い木製の窓枠を通して眺める事が出来る。朝食の卵に浸したカシミール・パンのギルダと塩茶を食べ終わる頃には、雨も徐々に上がりかけていた。スリナガルの雲の間より姿を現した太陽で、壁面に掛けられた洗濯物を、アパートたちは気持ち良さげにその背中で乾かし始めた。ダル湖に出かけるにはいい陽気だと思った。

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アパートを出ると7人のチクタン村の住人とスリーウィーラー(三輪オートタクシー)を捕まえるために、砂ぼこり舞う道路上で立っている。白いスカーフを頭に巻き紺色の制服姿の学生たちが同じ方向に向かって歩いている。大八車に緑赤白の色とりどりの野菜を乗せた男が、車の間をよろよろと引っ張りながら、大声を上げつつ客呼びをしている。縫い物屋の店先で暇を持て余していたカシミール・コートを着たひげ面のおじさんは、くしゃくしゃのライジング・カシミール紙を取り出して紙面に目を漂わせている。そして道路の両側に並ぶ古く少し崩れた赤煉瓦作りの家々は、みんな少しづつ傾いていた。

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そうしているうちに一台のスリーウィーラー僕らの前に止まった。僕ら7人はスリーウィーラーに乗り込むと、定員オーバーで破裂しそうなその車は、苦しそうなエンジン音を鳴かせながらダル湖へ向った。喧騒のスリナガルの街を抜けると15分ほどで左手にダル湖が見えて来た。朝のダル湖の湖面は眩しくキラキラと輝いている。水面すれすれに水鳥の群れが広がりながら飛び交っている。そして彼女たちの背中もまた、スリナガルの朝の太陽で美しく輝いているのだ。湖の淵のハウス・ボートはゆったりと波打つその波間で、ゆりかごのように揺られて停泊している。

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ダル湖の西岸には緑が目に沁みる程の美しい山々が、湖を見下ろしている。初夏のスリナガルは空と湖の青と木々の緑と街部の茶がちょうどよく混ざり合い、東洋のスイスたる煌めくコントラストを生み出している。そこからしばらく20分ほど湖の西岸を舐めるように走る。左手には青く煌めく湖、右手には天高くそびえる緑濃い山々を眺めつつ、標高1600メートルのスリナガルの涼しい風の中を進むと目的のシャリマ・ガーデンが見えて来た。

シャリマ・ガーデンはイギリス式に作られた美しい庭で、自然の中に作られた人工的な左右対称の作りが、日本での借景的な庭とは違うので、少々困惑させられる。しかし庭の中心にまっすぐに伸びた水路の周りには色とりどりの花が整列され、そこで咲き誇っているが、風に漂う風花が心地よく匂う様は、整列や混沌、人工や自然の区別は無く、有史以前よりあたりまえのように続いている大地の血潮なのだ。水路の真ん中にも真っすぐ噴水が列をなして優しく協奏曲を奏でている。僕たちは濃い芝生に座りしばらくここで旅の休憩をとった。

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シャリマ・ガーデンを出ると、僕たちはバスに乗り込み次の庭に向う。ダル湖の古バスはいつも満員で地元の人、観光客を問わず賑わっている。今度は右手にダル湖、左手に山々を見つつ次に向う。ニシャット・ガーデンに到着すると僕たちはさっそくバスより吐き出された。

一人10ルピーの入場券を買い、ニシャット・ガーデンに入る。切り出した石に美しい模様を刻んで積み上げた古い壁が入り口の門になっている。その門をくぐり抜けると左右対称のムガル帝国時代に作られた庭が広がる。

真ん中を貫く歩道を歩き後ろを眺め見ると、広大なダル湖が広がっており、その一直線上に孤島が浮いていて、そこに古い古い木造の橋が架かっているのが見える。そのもっと奥の対岸の丘の上には、悠久のハリ・パルバット城がうっすらと浮かび上がっている。そして正面をみると緑の山がニシャット・ガーデンの真後ろにそびえ立っている。

この広大なる庭はその正面の山とダル湖に浮かぶ孤島の一直線上に作られている事が分かる。しばらく中を歩くと、古い石の壁が右から左にまっすぐ伸びていて、たくさんの蔦がそれに絡み付き、壁は僕たちに多くを語らずもひっそりと時代を語っていた。そしてまたしばらく歩くと左右に伸びる古き壁がある。またそれを乗り越えてしばらく歩くと古き壁があり、それも乗り越えて庭の最深部までいき振り返ると、段々畑をお流れ落ちる用水のように真っすぐ伸びては、下に落ち込み、また真っすぐ伸びては、下に落ち込み、また真っすぐ伸びて、その先はダル湖につながっている。山から流れてくる川がムガル帝国時代に作られた庭園の中を通りダル湖に流れ出しているのだ。

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その水は再び水蒸気となって天に昇り一筋の雲になり、また山に雨として降り注ぎ、またふたたびダル湖に流れ返ってくる。それは人と関わらない所で輪廻して、そして人と関わり合いながら輪廻して、また人と関わらない所で輪廻を繰り返す。気の遠くなる程の昔から、気の遠くなるほどの未来へずっとずっと続いていくのだ。

ニシャット・ガーデンを出るとまた僕たちは古バスに揺られながら次の目的地に向う。途中のダル湖が見える湖岸でバスを降り、そこから山側に向って歩いていく。左手にボタニカル・ガーデンを見つつゆっくりゆっくりと坂の道を登って行く。ボタニカル・ガーデンはカップルたちの聖地になっていて、覗き込むと池にたくさんの手漕ぎボートが浮かび、カップルが語らいでいるのが見える。

歩く事30分、山の腹にシャシマ・シャイ・ガーデンが見えて来た。ここは山の中腹より流れ出した神秘の水がわき出す所に作られた庭なので、入り口をくぐり抜けるとすでに多くの観光客で溢れかえっていた。たくさんのペットボトルを持参した人々が泉に列を作っている。僕は山の澄んだ空気と濃い緑に育まれたこの庭の泉の列に並ぶ。その泉が湧き出る建物は大きな茶色のスクエア型に尖った緑の屋根を被っていて、これもムガル帝国時代につくられた聖なる泉のためのものなのだ。

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僕の番が番がまわって来た。両手を柄杓型にして、流れ落ちる水に触る。冷たい。カシミールの山で長い年月をかけて濾過されたこの神秘の水は、キンキンに冷やされたところが両手に流れ落ちた。この沸き立つ神秘を両手ですくって口にもっていく。
うまい!
硬質な水なのに口の中で柔らかく弾け、無味なはずなのに、微かな甘みがゆっくりと鼻に抜ける。このまろやかで甘い奴が口元からこぼれ落ち、左手の袖口でぐいっと拭い上げると、再び神秘なる奴を両手で救い上げ口に持って行く。一度目は口で二度目は喉で味わう。のどが鳴り、胃袋にさわやかなところが落ちて行く。そしてゆっくりと立ち上がり仰ぎ見ると、傾きかけた太陽が今日もまた庭に長い長いいく筋もの影を作り、風が出ててくると上昇気流と遊んでいた鳥たちは隊を成して山に還っていく。そして僕も濃密な無となり街へ還って行く。

2012年5月2日水曜日

2.スリナガルの素敵な食事。

朝を目を覚ますと今日もスリナガルは霧の中にあった。遠くに見える山々の腹には、灰色の太く厚い雲が眠そうなその体を委ねている。アパートの同居人たちはまだ夢の中にあり、僕も窓の外をぼんやり眺めると、またブランケットに潜り込み同じ夢の人となる。

しばらくしてアパートの大家が、住人を起こしに来ると、みんなはあきらめたようにしぶしぶと布団からはい出した。朝の共同トイレはいつも順番待ちで、気の短い住人は、戸をキツツキのように叩いている。僕は運よくトイレに滑り込み、用を足して、桶にためてある水を柄杓ですくい行水をしていると、また気の短い住人が外からキツツキのようにドアを叩く。僕は急いで体を拭き、トイレからでてキツツキに一瞥すると、キツツキは叩いたのは俺じゃないよと言いたげに目を伏せた。

朝方の雨はぱったりやみ、午前中はアパートの住人に付き合いラルチョウクに買い出しに出かける。ジェラム川にかかる橋の上では魚売りの行商人たちが所狭しと座り込み、面前に水桶を並べて、その中には川魚が雨上がりの陽気を受けてきらりと滴を光らせている。行商のおかみさんたちがたくましい声を大きくあげつつ行き交う客を引き寄せている。そしてそこには鮒のようなもの、鯉のようなもの、ハタハタのようなもの、バラクーダのようなものと様々な名も知らぬ魚が売られている。

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ラルチョウクは相変わらず混雑しており、人と車といつもの喧騒が渦巻き、スリナガルの風物詩となっている。車の間を人が当たり前のように歩き、そして野良牛がそこに寝そべり、野良羊も隊を成して各々の意思でだけで、歩いている。空の低い所にはカラスならぬ、鷹もまた大きな羽根を広げてこの世界から生産されるゴミを狙っているのだ。

チクタン村からのアパートの同居人が目的の店を見つけたらしく、その店に入っていく。その狭く薄暗い店の中には。所狭しと医療用の危機が並んでいる。男は棚に並ぶ箱を指差すと、店の主人はその箱の上に積もった埃を払い落とし、男に渡した。箱を開けるとそこに、アクリルでつくられた義歯が横一列に暗いライトの中に浮かび上がった。男はチクタン村の小さな診療所の歯医者なのだ。男は真剣な目つきで箱を一つづつ検分して、その無骨な指先で義歯を撫でていき、気に入った箱を選んでいく。チクタン村のようなヒマラヤの深い不便な場所にある小さな診療所は、医薬品や医療品が不足したときは向こうから品物がやってくるのではなく、こちらからわざわざ街に出向いて品物を供給していくのだ。

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昼も過ぎた所で、僕たちはアパートに戻る事にした。アパートに戻ると昨日の食事の招待の約束の時間が迫って来ていたので、アパートよりジェラム川におりて、そこから渡し船で対岸に向う事とした。船頭も古いが船も古く、その木製の渡し船は不安定ながらもしっかりと水を掴んで水面をゆらりと滑っていく。ジェラム川と同じ目の高さより対岸の街並を望むと、イギリス植民地時代の古い建物が肩を並べてひしめき合っていて、平行な水面よりも右へ左へ手前へ奥へとほんの少し傾いて見える。栄光の時代の赤いレンガの面影は残っておらず、それは白くすすけた色のレンガに代わり、崩れ落ちたところから覗く古い木組みは、疲れた古老の骨の如くである。

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対岸に船が付き、さっそく階段を登り、ヒンドゥー教の寺院のある道を挟んで向こう側の細い路地の突き当たりにあるハバカダルの家族の家に向う。ノックを3回して、時計をみるとすでに約束の時間より30分以上も過ぎてしまっていたが、その家族は僕を優しく迎え入れてくれた。

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僕の前に食事が次々運ばれてくる。カシミールの伝統的な銀の食器にのった白いご飯から始まり、味が違う鳥を良く煮込んだカシミールカレーからカシミールチーズのカレーまで様々なカレーが運ばれて来た。カレーの表面は暗い部屋の中であっても、いつもキラリと輝いて、それはゆっくりと銀の淵を漂っているのが分かる。そしてさっそく宴は始まる。数多くの香辛料の結晶のこれらのカレーは見事に誇り高き香りをたてている。まずはチキンのカレーから頂く。適度にスパイスが効いているチリとマサラの後より、甘く煮込まれたチキンが様々な香辛料と共鳴して、口の中にじわりと広がっていくその様は、光と影が共鳴する始めてダル湖を経験したときのような、神秘的で、いてどこかものうげで、そして少しだけ眠たげで聡明なダル湖の朝のようであった。

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次にチーズのカレーを頂く。チーズは表面を微かに揚げてあり、そこに甘いカレーが絡み付いている。これは先ほどのチキンのカレーとは反対に最初にはんなりとした甘さがわっと口の中に広がり、浅い所から深いところに味覚がゆっくり移動していくと、香辛料の中の大人の部分が顔を出し始める。チーズの不思議な食感も相まり、軽い刺激が底のほうから立ち上がって来て、舌だけではなくその香辛料たちの魔法は鼻に華麗に抜けていく。それは驚きでもあり喜びでもあった。

そんな感動が最初から最後まで絶える事無く続き、素敵な宴は手作りのラッシーで幕引きとなる。今年の初ラッシーはこの家族の味が最初となった。僕にとってというかカシミール地方にとっては、ラッシーといえば当然塩味なのだ。デリーなどでだされる甘いだけのラッシーとは違い、記憶に残るソウルドリンクのこのラッシーはやはり塩でなければならないと思う。しっかりとカシミール牛のミルクを撹拌されて作られたラッシーは上部に薄い泡の膜ができる。それを銀のコップにそそいで、出来立てのうちに喉で味わうのだ。それはキンキンに冷えているのが最高なのだが、温くてもなかなかいける飲み物だ。

宴は終わりも終わりに近づくと、家族の娘から携帯電話をおもむろに渡される。それは日本からのS氏の電話であった。彼はカシミールの滞在歴は長く、カシミールの研究家よりも、現在のカシミールを良く知り、良く愛する男だ。僕がチクタン村に行ってまたことらに戻ってくる事があったら、差し入れて欲しいものがあるという話だった。それは蕪菁(かぶ)であったり、ドライアプリコットであったり、中国製の茶器でえあったり様々だ。

中国製の茶器はチベタン・トレーダーがカルギルにはたくさん住んでいるので、中国製の品物は豊富にある。もちろん美しい茶器もたくさん揃っている。ドライアプリコットに関してもカルギルのまわりにはおいしいアプリコットが採れる村がたくさんあるので、いつもカルギルにはアプリコットのトレーダーが溢れている。そして蕪菁については、スリナガルでは採れる物の、標高が低いのでむっちりと美味しい蕪菁がなかなか手に入らないらしい。チクタン村の蕪菁は大きくてむっちりと太っていて、一口かじると汁が口の中にほとばしり、その甘みは口の中でハーブのごとく開花する程なのだ。

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僕はこの件について了解すると、去年と今年に撮ったこの家族の写真をプリントするために三たび街に向かう。
「リガル・チョウクにたくさんの写真屋がある。」
S氏はぽつりとそう言うと、電話を切った。

2012年5月1日火曜日

1.初夏のスリナガル

インド一の厳しい警備を誇るスリナガル空港を出て、友人の車に揺られて街中に向う。スリナガルの喧騒は毎年相変わらずなのだが、デリーのちゃんこ鍋をひっくり返したような怒濤の喧騒とは違い、それらは昔ながらのトレーダーの街としての喧騒だ。

それでも交通のルールはあってないようなもので、時々気を抜いた走りなどをしていると、正面から逆走してくる車や、道のど真ん中をどこ吹く風かというような趣で口笛を吹きながら走っている自転車に出会い驚く。

ここでの5月の昼の気温は32度にもなるが、前日に味わったデリーでの42度に比べると涼しく感じられるし、日本でのねっとりまとわりつく菌糸のような湿度もないので、からりとしている。しかし時折射すような日差しは痛く感じられた。

運転席のユスフの横顔も去年とかわらずで無精髭を蓄えた若き学者のような横顔にスリナガルの午後の太陽が容赦なく差し込み、ヒマラヤのその白き青年をほんの少し黒く逞しく見せている。

スリナガルの繁華街ラルチョウクに立ち並ぶ店たちの鼻先をかすめて、その先にあるジェラム川にかかる橋を渡り、右折してしばらく行くと目的のアパートはあった。

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アパートはコの字型をしており、その開いた部分がジェラム側に面している。アパートの窓を開くと柔らかな風が部屋で渦を作り、そこから見えるジェラム側の水面がスリナガルの午後に照らされて静かに揺れ、そこには対岸の建物が映り込んでは消えていき、まるで世の儚さをみせつけているかのようでもあった。

対岸の建物の中にはインド軍の古い寄宿舎も見え、そのテラスには銃を持った兵士が右へ左へと所在無さげに移動しながら警備をしているのが見える。時折その兵士と目が合うが、兵士はそんな事には気にも留めない様子で、彼はひたすら形だけの警備をしているようであった。その兵士はいつも対岸のこのアパートの住人たちと目を合わせているのだろうかと思うと少し心楽しくなる。

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寄宿舎の隣では古いヒンズー教の寺院が深くて厚い鉄条網に守られいるが、当の寺院は昔から何食わぬ涼しい顔をしてそこに鎮座しているのが見てとれる。

そしてこのアパートの一室はユスフの家族がスリナガルに滞在する時に借りた物件なのだが、今はチクタン村の人々がみんなスリナガルに滞在する時に必ず使っているので、その日にちが重なってしまうと8畳ほどの部屋に10人近くの人が泊まる事もある。

今日は僕がスリナガル入りするという事を聞きつけてチクタン村から数人がこの部屋に訪れていた。去年取った写真をザックから取り出し、みんなに見せてやると、みんなは我先にと写真を掴んでは眺めている。

チクタン村からのお客には小さな子供も混じっていて、その子供が写真をわしづかみにすると写真はあっという間にただのしわくちゃな紙切れにかわってしまう。とにかく何百枚のもの写真は部屋の中で乱舞して、収集がつかない状態になるが、それもまた良しな気持ちになる。

日本を出て30時間。その夜はチクタン風カレーを胃袋にかっ込み、泥のように眠った。

次の朝、僕はアパートのテラスの屋根を叩く雨の音で目を覚ました。最近のスリナガルは晴天が続いているが、それでも一週間に一度は雨が降るらしい。5月のスリナガルの朝は涼しく過ごし易い。朝霧の中、聡明な空気は街を包み、窓から見えるジェラム川にしんしんと雨が落ちている。そこに大きな亀が右から左へとゆったり流れていき、目を凝らすとその背中には数羽の名も知らぬ鳥たちがのっかっている。

朝食の時間になると雨はすっかり上がり、雲の間からはいつもの日差しが顔を出し始めていた。朝食は素焼きの焼き物の内側に貼付けて焼いたカシミールの名物パン、ギルダとスクランブルエッグ、そしてミルクティを頂いた。

ギルダをちぎって卵を少しずつはさみ、口の中に持っていくと、ぱりっとした生地の中から、半熟のほのかな甘い卵がゆっくりと溢れ出し、口の中にスリナガルの朝が広がると、ミルクティの香りで去年のスリナガルの記憶を思い起こす。

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アパートの共同シャワーで二日分の汗を洗い落とすと、僕はスリナガルの路地に飛び出した。ジェラム川にかかる橋を渡り、対岸のハバカダル地区を歩く。路地は網の目のように張り巡らされていて、そこにはイギリス植民地時代に建てられた古い建物がひしめき合っており、どれも今にも崩れそうだった。

市井の人々の暮らしはぶりは実に質素で、そこから感じられる様子は日本の戦後の昭和にもにた雰囲気を持っている。ボロ着をまとった野菜売りが色とりどりの多彩を大八車に乗せて狭い路地をひいき歩いている。至る所に汚れた犬が寝そべっていて、午前の眠りをむさぼっている。赤黄橙のパンジャビ服をまとったおかみさんたちは、井戸端会議に忙しそうだ。そして昼のアザーンの声が市井に響いてくると、みんなぞろぞろとモスクに向い歩いていく。

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去年お世話になったとあるカシミーリの家族の家に向う。僕の事を覚えていたらしく家族は僕を快く迎えてくれた。去年よりこころなしか、家族のトーンが沈んでいるように感じたので少し聞いてみた。今年の3月に家族のおばあさんが亡くなったと言う事だ。僕は30分ほど話し込んで、明日の昼、食事を作ってくれると言う事なので、また出直す事とした。

その足で繁華街のラルチョークに向おうと思ったが、雲行きが怪しく、その後すぐに割れたアスファルトに落ちると濃く初夏の匂いを放つ大粒の雨粒が落ちて来たので、アパートに引き返す事にした。

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