2014年7月21日月曜日

28.スリナガルにて。

僕はある用事でスリナガルに来ている。ついでなのでこのスリナガルについて少し語ろうかと思う。スリナガルはインドがイギリスの植民地だった頃より、イギリス人たちの避暑地としてその名を轟かせており、今でもカシミーリの間ではインドの中の天国と呼ぶ者は多い。1947年にインドがイギリスから独立を勝ち取った後も、1980年代までは諸外国からの観光客が数多く、避暑地としてのこの地を訪れていて、東洋のスイスと呼ばれていたのはあまりにも有名な話だ。1990年代に入るとカシミールの分離独立運動が活発化してきて、そこにパキスタンから独立支持派の侵入などが相次ぐと、スリナガルの治安は悪化していき、外国からの観光客は当然激減してゆく。そのような状態が2000年代の初頭まで続くと、その最中インド・パキスタンとの紛争もあり、今まで観光業に頼っていたスリナガルの経済も悪化の一歩を辿ってゆく。自然とカシミールの伝統的文化への回帰が始まり、そこでカシミア、パシミナ、サフラン、カシミール絨毯、カシミール家具、その他のカシミールの工芸品などが見直されるようになる。そして2010年代になると観光客が徐々に戻ってきて、地場産業も活性化しつつあるが、いまだ経済は1980年代黄金期の水準には至っていない。しかしながら近年スリナガルでは、散発的なストライキは見られるものの、それらは大規模な暴動には発展しておらず、そんな意味では治安状態も安定してきていると言える。




ダル湖に浮かぶハウス・ボートの風情もまた、スリナガルの伝統的文化のひとつで、近年これらはゲストハウスとしても活用されているが、その昔は水上生活者の純粋な住居であった。それは日本の屋形船をもっと大きくした形で、その甲板いっぱいに木製の居住区は作られており、その居住区は仕切られていて、いくつもの多くの部屋に分かれている。そこにはキッチン、リビングからベッドルームそしてバスルームまで付いていて、生活に必要な空間は全て持っているのが特徴だ。ほとんどのハウス・ボートは固定式で、その場所から動かせないようになっているので、電線は外から直接引き込まれている。ダル湖のハウス・ボートが有名だが、ダル湖より流れているジェラム川に浮かぶハウス・ボートもとても魅力的で、こちらはいくらかダル湖のものよりも安く泊まれるハウス・ボートも多い。ダル湖内にはダル・ゲート脇から続く細い遊歩道が続いており、その道沿いには様々な種類のハウス・ボートが浮かんでいて、そこはちょっとした散歩コースにはもってこいの道だ。





スリナガルで特筆しているものは、その古い街並みの美しさだ。イギリス植民地時代には、すでにこの町並みは整備されており、その姿のまま中世の古きイギリスの建物たちがぎっしりと街を埋め尽くすところはとても壮観だ。植民地時代の町並みで有名なところにはスリランカのゴールという町があるが、このスリナガルは規模といい美しさといい、それをとっくに凌駕している。規模はゴールの数百倍はあろうかと思われるし、ゴールでは修復された見た目の新しい建物が整然と並ぶが、ここスリナガルではイギリス植民地時代の修復されずにそんまま使われている建物が数千戸もしくは数万戸以上残っている。また迷路のような町並みもとても魅力的で、世界で一番古いといわれるシリア・ダマスカスの街も迷路ように道が縦横に走っていたが、その入り組み方といい規模といい、すでにそのダマスカスを超えていると言っていいと思う。街の規模はダマスカスの数十倍で、迷路の規模は天文学的数字だ。その迷路にある町並みのすべてがコロニアルな建物というこれにも大変驚かされる。一昨年にレ・ミゼラブルという映画が公開された。その映画は全編に渡って中世の町並みが精巧なセットにより再現されていたが、その中に当たり前のように傾いて立っている建物が数多く再現されていた。そしてこのスリナガルである。ここはイギリス植民地時代の建物がそのまま残っているということもあって、傾いて作られた建物もまた数多く残っているし、人々はそこで生活をしている。古い建物の柱は古い木で作られており、その壁はすべて古い煉瓦である。各階のフロアの仕切りも古い木で出来ていて、そのほとんどがすでに傾いているので、建物自体も傾いているのである。こんな味のあるコロニアルな建物が入り組んで立ち並ぶ町がスリナガルである。




ダル湖のことがいつも話題に上がるが、そこから流れで出るジェラム川といい、その他の多くの川といい、縦横無尽に流れる水路といい、スリナガルは水の町でもある。僕はまだお目にかかったことがないのだが、大規模な水上マーケットが行われるシーズンは、行き交う小舟は花で埋まったり、旬の野菜で埋まったりするらしい。路地裏の町並みだけではなく、このような水辺の町並みも大変美しく、川に古い木造の橋が架かっていたりする傍に、古いモスクなんかがあったりして、その川辺がすべて古い家並みであり、それが鳥も鳴かない早朝や暮れなずむ時であるならばなお良い。


あなたは今スリナガルの路地裏や川辺を歩いている。窓からは子供たちが体を乗り出して珍しい旅人に声をかけるが、あなたは現地の言葉がよく分からないのでより注意深く聞いてみると、どこに行くのかと尋ねている気配でもある。あなたは身ぶり手振りで答えようとするも、子供たちにはまったく伝わっていない様子で、それでもいいか、これが旅というものだとそう思い始める。あなたはその路地をしばらく歩くと傾きかけた家の三階の窓辺からおばさんが顔を覗かせており、道を挟んで反対側の、これまた傾きかけた家の三階の窓辺からもう一人のおばさんが顔を覗かせて、お互いに声を荒立て罵りあっているような様子が見えたが、次の瞬間二人がけろっと笑い合っている姿を見たとき、これは喧嘩をしているのではなく感情の起伏の激しい日常的な会話なのだと気づき始める。またあなたが川辺沿いの遊歩道を歩いている時、水辺に人の姿らしきものが映り、見上げてみると古い家の小さな窓枠から身を乗り出してこちらを見ているのが、目は碧色で頭を包むスカーフから少しだけ飛び出した髪は栗色であり、その伏せ目がちな目がよりエキゾチックな・・・・・。

時間が来たので僕は行くこととする。あなたはこのスリナガルに残るのもいいし、僕といっしょに次に行くのもいいだろう。さて・・・。










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