とある村の朝は深い靄に包まれていた。僕たちは再びバスに乗り込むと、さっそく出発した。バスは荒涼とした不毛をひたすら進む。右手に大きな氷河が見えてくる。その氷河の名前はドラン・ドゥルン氷河。ザンスカールではもちろん一番大きな氷河だし、ラダックでも一番大きな氷河とされている。山あいにそれは大きくうねりながらへばりついているようで、氷河自体の重みでそれは少しず生きてうごいている。氷河を通りすぎると、小さな湖がいくつも見え、とても標高が高いのでそこに横たわる水はどれも純水に見える。この天空の山道をしばらく進むと突然深くその大地は沈み込み、その縁をつづら折りになりながら道は下りてゆく。そのつづら折りおりの道の途中に一台の車が転落しているのが見えた。中の人たちは無事だったのか、それとも車が故障で動かなくなり道をふさいでしまったので、あえて落としたのかは定かではない。ラダックではこのような転落事故はしばしばある。僕もカルドン・ラとワカ・リバー、そして今回のを含めると転落事故の目撃は三回目になる。道の端はゆるくなっていて、脆い場所が多いのでガードレールを取り付けるのも難しいところが多い。道路のインフラが脆すぎるので、いつかは抜本的な対策をしなければならないと思う。
つづら折りの道を下りきったところの面前に広がる広大な湿地帯はとても美しかった。湿地は両側をヒマラヤの山々に囲まれており、湿地帯自体は広大な平野をその谷に作っていて、その中心にはいく筋もの川が蜘蛛の巣のように流れ、それは天海にある釧路湿原を思わせた。その湿原の中をバスは走る。どこまで走ってもきらきら光る湿原地帯で、その造形美は遥かなる太古を感じさせられるし、湿地であるが荒野の雰囲気も持ち合わせていて、とても寂しげなのにどこか骨太な香りもする。ここの原始な部分は、まるでとても古い時代の生態系が遠い昔の地殻変動でヒマラヤの山々に囲まれてそのまま残ってしまったような、そう例えばドクター・ノーの島のようなイメージを呼び起こし、きっと山の影からティラノサウルス、川辺からはステゴサウルス、上空からはプテラノドンが現れてきそうなそんな場所でもある。
バスは湿地帯を抜けると右手に轟音をとどろかせている川を見ながら進んでゆく。朝のとある村を出発して三時間ほどが経過した朝の九時、川を挟んで対岸にある村が見えてきた。アクショー村だ。僕とノルブのお兄さんはここで降りることとなった。バスを降りて、川辺へ下りて行きくと橋が架かっているのでそれを渡り、対岸に出ると再び丘を登ってゆく。六月下旬のこの時期、アクショー村はまだ冬であった。回りの山々は寂しい冬景色で、そこからは冷たい風が時おり吹いていた。村の敷地はとても広く、しかしながら農地と荒野の区別は曖昧で、十分な作物は育たないように見え、でも家畜の放牧はチャンタン高原のように盛んなようで、その事からでもここはとても標高が高い村だということが分かる。そしてこの村の家屋の数は78棟と少なく、450人の村人が住んでおり、2つのマナストリーを持つ。そしてここザンスカールでも家の造りはラダックの伝統的な家屋と同じで、大部分は日干し土煉瓦とポプラの木で出来ている。
僕たちはノルブとその兄の生家へ急ぐ。さっそくノルブ兄の生家に着き、僕が部屋へ通されると、分厚いタキのようなパンにバター、そしてジョ(ヨーグルト)が出てきた。そのどれもが自家製であり、その中の分厚いタキのようなパンの名前はトゥクトゥクと言い(もちろんスリーウィーラーやリキシャの事ではない。)噛むとほのかに、麦の香りがするが、口の中では少しぱさつくので、これはグルグルティーにつけて食べるのがきっと正式な食べ方かもしれない。もちろんヨーグルトとバターも自家製で、ゆっくりとミルクを温めてヨーグルトを作る過程でバターも出来上がる。このジョ(ヨーグルト)とバターはもちろん完璧なオーガニックで、両方とも一口づつ食べてみれば、”ああ”という驚きと共に、すぐに気づく事なのだが、日本で食べているようなケミカルな雑味はなく、また自然の風味なんていうこざかしい物なのでもなく、まるで自然そのものを食している感覚がするし、実際に自然そのものを食べている。
ノルブ兄の生家での食事が終わると、次になぜか彼の親戚の家巡りになる。一軒目の親戚の家は彼の生家から500メートルほどのところにあり、いくつかの畑や荒れ地の中を進み、そしてやっとのことたどり着く。そこでラダック語ではツァンパ(サンバ)、チベット語ではぺと呼ばれる麦から作った粉末とバターとグルグルティーと砂糖を混ぜ合わせペースト状にしたペマルという名のザンスカールの伝統的料理をいただいた。ノルブ兄は生家でかなりアルコールがはいって出来上がっていたが、この親戚の家でもチャンと呼ばれる自家製のドブロクを何杯もいっており、かなりの上機嫌だった。
二軒目の居酒屋いや親戚の家でもノルブ兄の杯は止まらない。親戚のおやじもにこにこしながら久しぶりの再会を祝って、チャンを彼の杯に次から次へと注いでいく。ラダック式のタップといわれる釜戸に、この家の子供であるモンクが座っており、僕たちのために料理をこしらえてくれている。しばらくしてアクショー村的でないとてもモダンなフライドライスにジョ(ヨーグルト)とオムレツがのったものが出てきた。僕はそれをありがたく昼食として頂いたが、ノルブ兄はそれを酒のつまみとしていただいている。彼の手の杯は止まらず、ここに来て加速しているようで、後ろに置かれた大きな洗面器の中に入った大麦が、その発酵途中の体からほかほかと湯気あげ、チャンはまだまだあるぞと言いたそうに主張していた。何気なく窓の外を見てみると、この家の女の子が石で作られた壁で出来ている動物の家に、山羊たちを入れようと悪戦苦闘しているのが見えた。ノルブ兄はふらふらとなんとか立ち上がるとこう言った。
「ウィー、タハ、さてゾンクル・ゴンパに行きますか。」
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