2014年7月21日月曜日

22.ザンスカールのカルシャ・ゴンパ。

僕とスナフキンさんとタンチョス僧侶は車道を歩いている。道はだだっ広いパドゥムの平原を横切って遥か彼方の対岸のカルシャ・ゴンパへと続いている。もちろんこの平原の上に対角線などというものがあるとすれば、その先っちょのパドゥムの町から反対側の先っちょのカルシャ・ゴンパまでは歩いても歩いても今日中にたどり着くのはきっと難しい。しかし僕たちは無言で歩いている。いい風が吹いている。どうにかなりそうなそんな予感はする。対角線の半分近くまできただろうか、遥か後ろの方の車道上に巻き上げられた砂ぼこりが見えてきた。その30分後一台の車が近づいて来ているのがはっきりと確認できた。車は横に停まると僕たちを拾って再び動き出した。車が進むにつれて面前のカルシャ・ゴンパの姿が明らかになってきた。そのゴンパ群はヒマラヤの山の岩肌の部分に無数にフジツボのように張り付いており、まるで遥か昔のここが海底だったころより、このゴンパたちはここにいるようで、山あいに突如現れた竜宮城のような感じがするのである。カルシャ側と僕らのいるこちら側との間には大河が横たわっており、そこに架かっている橋を渡ると対岸に出る。対岸に出るとカルシャの村に車を走らせる。






カルシャ村の入り口で車を降りると僕たちはカルシャ・ゴンパまで歩く。カルシャ村の中の道はなだらかな上り坂になってはいるものの、ゴンパまでが見た目より遥かに遠いので、ほどほどに疲れる。ゴンパのほうから流れてくる清流沿いの右岸と左岸に家々は建っており、とても情緒のある村並になっていて、もしもここのいたるところから湯気が出ていれば、そのままザンスカールのひなびた出で湯の里、龍神温泉で通用しそうである。またこのずっと先のザングラ村ではいい湯が出ていて、温泉地になっているという話を聞く。




カルシャ・ゴンパの入り口のポイントにあるマニ車までたどり着き、その横の売店の前で小休止をする。ここまで来るとほぼカルシャ・ゴンパの全貌は明らかになってくる。ザンスカールで一番大きなこのゴンパ群は、大きく二層に分かれており、岩肌にへばりつくフジツボたちの下の部分は僧侶たちの居住区であり、フジツボたちの上の部分がゴンパ群である。そして岩肌の麓から千畳敷がなだらかに大河まで続いており、その丘陵地にカルシャ村の家々が立ち並び、ゴンパ群の方から流れ来る清流沿いに、その門前町のような美しい村並を作っているのだ。




僕たちはそのゴンパを征服すべくフジツボの間に作られている参道を登ってゆく。参道は建物の間を縫うようにつづら折り状に作られていて、つづら道の行き止まりがゴンパになっている。ゴンパからザンスカール・パドゥムの平原が一望でき、遥か向こうに見える町はパドゥムの町である。高い位置からパドゥムを見下ろすと、やはりそれは言うまでもなく広大な大地で、ここがヒマラヤの山の中ということを忘れてしまう。ここは中央アジアの原野で、モンゴルの馬族が砂煙をあげて草原を駆けていそうなそんな原野である。見えるものは大地と山と空だけである。何も考えなくていいのである。そしてあなたは耳を澄ませ、ただ感じるだけでいい。鳥が滑空しながら響かせる鳴き声、吹き上げの風の音、そんな風の中のヒマラヤの香草の微かに薫る匂い、雲の間から射す陽が大地と戯れているさま、今、感じているものがこの世界のすべてで、それ以上のものはなく、またそれ以下のものもない。世界はあなたを作り、あなたもこの世界の一部を作っている。あなたはいるのではなく、ただあるだけなのだ。




ソローやロンドンなどの影響をもろに受けている僕は、実際は宗教というものから一番遠い位置にいるのだと自覚をしているが、ただ知らないものへの探求心はとても強く、結局のところ様々な宗教ととても深い関係になっている。今この瞬間も僕はイスラム教スンニ派のモスクから聞こえてくるアザーンの音に揺られながらスリナガルの下町よりザンスカールのゴンパの事を書いており、そうすることによって仏教をひとつ離れた位置から見られるようになるような気がするのである。

さてカルシャ・ゴンパである。本堂はやっこ豆腐のような形をしておりその白い肌と赤い窓枠はラダックの典型的なそれだ。本堂に入ると美しい壁画が目に飛び込んでくる。赤系統の色で統一された色味にはところどころ色が薄くなったり、剥げ落ちている場所や、そのキャンパス自身にも大きなひびが入っているところから古い壁画だということが想像できる。その壁画の中心に仏陀が座っており、その回りにムーミンにでてくるにょろにょろのようなものがたくさん描かれているのが見え、目を凝らしてよく見てみるとそのにょろにょろの中に様々な形をした仏が描かれていた。その本堂を後にしてさらに登ってゆくと、右側が白いろ、左側が赤色の変わった色彩の建物にでた。その半白半赤の建物のそばに小さな古いゴンパがあり、頼りなさそうな支柱や縦横にがたがたに歪んだたてつけから、それはこのカルシャ・ゴンパで一番古い建物のように見える。その中は何度も修復された跡があり、壁画も近年に上塗りされたもののように見えた。このカルシャ・ゴンパの一番うえの層からの眺めもまた抜群にいい。このカルシャ・ゴンパは下の層から上の層まで距離があるので、パドゥムの平原を見下ろすとき、まるで天に昇るエレベーターに乗りながら移動しているようで、景色が徐々に鳥の視目線になり、自分自身が空に舞っているのと変わらなくなる。






僕たちは次にお坊さんの部屋にお邪魔になる。建物がとても古いので、部屋への入り口はとても狭く、その小さな洞窟にでも入るよう身を屈めて入ってゆく。この部屋は岩肌に無数に建つフジツボのひとつであり、しかしながらその小さな部屋とは裏腹に窓からの景色はとても広く、眼下にはカルシャ村の実りを待つ畑が広がっており、その向こうはパドゥムの原野である。いつも過酷な季節をまたぐ修行僧は景色の良い一等地にいる。それは厳しい自然のなかで精神の修行の場を選ぶ時、とても厳しい場所こそ一番美しい場所だという事を先人たちはみな知っていたのではないだろうかと思ってみたりする。



僕たちはこのカルシャ・ゴンパを後にして、谷の向こうのドルジェゾン・ゴンパに行くこととする。











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