Tuesday 15 July 2014

17.ザンスカール・リバー・ラフティング。

ダンマハウス・サマーキャンプも終盤に入り、ある朝再び生徒たちは教室の外に呼び出される。そして生徒たちはそこで今からザンスカール・リバー・ラフティングに行くことをヴィヴェックから告げられる。振り向くとあのオンボロバスがすでに停まっており、生徒たちは身支度を整えると早速そのバスに乗り込む。バスはストクを出発するとインダス川沿いをひたすら北上する。空港を通りすぎると左手にスピトク・ゴンパが見えてくる。このゴンパはこのレー・スリナガル・ハイウェイから眺めるよりも、インダス川対岸からの眺めの方がティクセ・ゴンパを彷彿させる岩波の間にゴンパ群が見えて圧倒的に美しい。しかし僕らのバスはスピトク・ゴンパをレー・スリナガル・ハイウェイより眺めみながら通りすぎる。




インダス川を北上すること数時間、左手に明らかにこのインダス川とは違う色の川が合流している。その川の名はザンスカール・リバー。クリーム色をしたこの川の源流はもちろんザンスカールにあり、そこはラダックの中でも孤立した素晴らしき秘境の一つに数えられる。インダス川をオンボロバスは横切りザンスカール・リバー沿いを走る。しばらく走ると今度はザンスカール・リバーへ支流が注ぎ込んでいるポイントに出る。バスは次にその支流沿いに舵を切る。あたりの標高は高くなり、山々の窪みのいたるところにいまだに雪が残っている。そして秘境色もたけなわになってくるとラフティング・スタートポイントが見えてくる。川のバンクには何艘ものラフト・ボートが置かれていて、すでにインド国内からのツーリストの先客が来ていた。



僕たちはバスから降りると早速スイム・スーツに着替え、ヘルメットをかぶり、救命衣を着込むと、ラフト・ボートに乗り込む。スタッフたちからの簡単な講習が始まり、片方の手をオールの真ん中付近に添えて、もう片方の手をオールのお尻に添え、スタッフの「フォアー」の掛け声で楕円を描くように水を掻きボートを前進させ、「バック」の掛け声でオールを反対方向に楕円を描くように水を掻きボートを後進させ、「ストップ」の掛け声でオールを水中に浸けたままにしてボートを止める。


さっそく生徒たちは三艘ものラフト・ボートに乗り込むと波原にボートを進めた。出足は緩やかな流れの川辺で、「フォアー」「バック」「ストップ」の声がかかるが、なかなかボートの右側と左側の力の分配がうまくいかずにバランスが悪く、真っ直ぐに進んでくれない。そんなことをしているうちにラフト・ボートの目の前に水しぶきがけたたましく舞う激流が突然現れた。僕たちはすでにまな板に置かれた鯛状態でなすすべなくその激流に飲み込まれつつも、瞬間の「フォアー」の掛け声でオールを懸命に漕ぐ。するとボートは絶妙なバランスを保ちながら激流の中を切り進み、波間で激しくバウンドを繰り返すもののなんとか切り抜け、柔らかな川面に出た。僕らほっと一息をつくも前方の川面の向こう側は下っているようで、その全貌はここからでは伺い知れず、しかし徐々に近づくにつれそこからの轟音が聞こえてきて、波の端を覗き込むとけたたましい川の流れが龍のごとく荒れ狂っており、それが気を失ってしまうほど長く続いているのが見てとれた。
「楽しめ!」
僕がそう言うと、ラフト・ボートは波間の龍の口に飲み込まれてゆく。龍は体をくねらしながらボートの転覆を策略するも、「フォアー」「フォアー」「フォアー」の掛け声で懸命にボートを漕ぐ僕らは、その落ち込んだ渦の惨状からの脱出を図ろうと必死だ。最後の渦波の輪からボートが出ようかという時、目の前にもう一つの渦が突如として生まれ、それはあっという間に巨大化し、龍の尻尾で叩き落とされるようにして、新たな巨渦に僕らは飲み込まれていった。渦中でぐるぐるラフト・ボートは回りながらも、みんなは懸命に振り落とされないようにボートの縁にしがみついている。その時渦の端がわずかに割れたのをクルーは見逃さなかった。「フォアー」の振り絞るような掛け声と共に、ボートの舳先は渦の縁の傷口に向かって進む。すると僕らを吐き出すように巨渦は外の波間へボートを叩きつけた。ラフト・ボートは大きく何度もバウンドを繰り返しながら、波間を切って走る。ボートは最後の大波の頭を切り裂き、大海から飛び出す鯨のような跳躍をひとつすると、勝ち誇ったように川面に着水をした。気がつくと波は凪いでいた。そして空を見上げると一匹の大きな魚が青空の中を悠々と泳いでいるように見えた。


僕らがほっとして後ろを振り返ると、遥か後方で一艘のラフト・ボートが波間に消え、その腹を空に見せていた。死闘が終わった川面はとても静かで、次々とラフト・ボートがその凪ぎ辺に辿りつく。両岸の山々はいまだ懐に雪を抱えており、陽が射さない渚はとてもひんやりしている。スタッフからこのポイントでは泳ぐことができると聞いて、僕は早速ボートの縁から川面に飛び込む。頭から体、足と順番に水中に滑り込んでいく。外気温ほどではないが水温はかなり冷たい。十メートルほど向こうに浮かんでいるボートまで泳ぎそしてゆったり戻って来ると、それを見ていた回りの生徒たちも次々と飛び込んでゆく。ラダックでは水泳の授業などなく、みんな我流の泳ぎ方をしているが、その姿は僕には溺れているようにしか見えなかった。最後に飛び込んだのはチームのリーダーだった。最初は他の生徒と同じで溺れているようにしか見えない泳ぎをしているかと思ったが、リーダーはそのまま水中に沈んでいった。慌てた僕らは救命浮き輪を投げ込むと、再びリーダーは浮きあがりそれに必死に捕まる。そしてみんなでボートにリーダーを引っ張り上げると、彼はとても蒼白な顔をして震えていたのが印象的だ。




かなり長い時間ラフティングを楽しんだと思う。対岸にラフティングの終着ポイントが見えてきた。生徒たちはずぶ濡れの体の中、一様に震えていて、岸が近づくと我先にと這い上がる。異変に気づいたのはその時だった。一人の生徒がボートの中で倒れている。それは女生徒のウプシだった。気はすでに失っていて、腕に触れるととても冷たく、身体中から血色がなくなり、とても危険な状態であることがすぐに分かった。みんなでウプシを担ぎ上げ、バスまで運ぶ。時間との戦いだった。女生徒たちがウプシを着替えさせ、タオルや服その他のあらゆるもので彼女を暖めてやる。そしてみんなでウプシをさすり、体温を上げることに集中する。心肺は弱いが動いている。みんなで必死にウプシをさすってやる。どのくらいの時間がすぎたのだろうか?それはとても長く感じたしとても短くも感じた。徐々に体温が戻ってきているようだった。その数分後、ウプシはまるで小人たちに囲まれた白雪姫のように、ふと深い眠りから目覚めたのだ。
「ありがとう」
とゆっくりとつぶやきながら静かに微笑んだウプシを囲む生徒たちから、ワッと歓声が上がった。

ダンマハウス・サマーキャンプの最終日。生徒たちはホールで”祈りの手”の彫刻を手に手に次々と隣の生徒に渡していく。その”祈りの手”を渡された生徒は生涯決して語ることのなかった心の奥底に眠っている出来事をここで初めてつまびらかにしてゆく。ここで語られる事は絶対に外で語ってはならないここだけの秘密にしておく。告白の途中で大泣きしてしまう生徒も多く、そこにはいろいろな辛い思いが秘められている事を知る。すべての生徒の告白が終わるとダンマハウス・サマーキャンプの修了証をヴィヴェックから生徒一人一人が受け取ってゆく。そして生徒全員が全ての生徒たちとハグをしてこのキャンプは神聖に静かに終わりを迎えた。

日本では決して経験することができないような素晴らしいキャンプだったし、こんな世界は映画や小説だけの事だと思っていたが、僕の認識は大きく変わった。人生観が根底から覆されたような、しかも人間ドラマがいたるところに転がっているプログラムで、本当の意味でみんな笑い、泣き、喜びもしたキャンプだった。人が育つ変わるというのはこういう事なんだなととても実感させられた。ここで得た友は生涯の友と成りうる友で、これからずっと助けられたり、助けたりすることになるだろうなと思う。そしてきっとこの素晴らしいドラマはこれからもずっと続いてゆくのだろうなという予感がする。


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