Tuesday 15 July 2014

13.ダンマハウス・サマーキャンプ

僕は両側を土の壁で囲まれたストクの遊歩道を大きな三つのバックパックを背負って歩いている。雲は低く空は高い。後ろでクラクションがひとつ鳴る。細い道の中、砂煙を高く巻き上げつつ一台の古バスが近づいてくる。僕の横をすり抜けていくそのバスの窓から覗く顔が一様に何かを言う。
「ホンジョ!」「ホンジョ!」
どこかで見た顔がバスの窓に一列に並び、爽やかな歯を見せながら笑っている。僕は再び戻ってきた。仲間たちも再び戻ってきた。明日からダンマ・ハウスことインターナショナル・スクール・オブ・イングリッシュ・スクール・ラダックで始まるDhamma Summer Camp Cum Youth Leadership Training 5-15 JUNE 2014に参加するために。このキャンプは、将来のラダックを担う青年たちを育成するために行われる10日間集中のキャンプで、チクタン村に滞在していた僕にも参加のオファーが来たのだ。






明日から始まる過酷なスケジュールとは裏腹に、今日はキャンプ開始前日のウェルカム・パーティが行われた。キャンプ中は専属の料理人のザンスカール出身のノルブが毎日の食事を担当する。パーティの食事はいつもより豪華で床には伝統的なラダッキ・フードたちが華やかに並ぶ。音楽は途切れることなく続き、お調子者のダーナといつもクールなメタルとそれに女の子たち、そして講師であるヴィヴェックがフロアで踊っている。三十名以上もの生徒たちの熱気は静かな夜を感じさせない。パーティはたけなわ、音楽は晩春の夜に響き渡り、躍りは生徒が入れ替わり、立ち替わりしつつも、月が大きく傾き、夜が静寂の眠りにつくまで続いた。



朝靄が起床時刻五時三十分のストクの千畳敷大地を覆い始めているとき、ダンマハウスに鐘の音が響く。一人の生徒が右手に持った小さなばちで、左手のひらの上の小さなお椀上の鐘を鳴らしながら、各部屋を忙しげに回る。一部の生徒がモゾモゾと布団から抜け出すと、それに呼応して残りの生徒たちは次々と繭から抜け出すカイコの成虫のように羽を広げ始める。昨日の夜に最後まで踊っていたダーナとメタルはまだ深い眠りの中で、生徒たちが彼らのブランケットを一気に剥ぎ取りにかかる。なんとか生徒全員が揃ったところで朝のランニングが始まる。ダンマハウスから一キロほど離れた山の麓まで走るのだが、慣れない初日はみんな眠い眼を擦りつつ、よろよろとあくび混じりで走ったり歩いたりしている。山麓までたどり着いたところで、円陣を作り、軽いストレッチを始める。それが終わると円陣を組んだまま大声で一斉に空に向かって叫ぶのだ。靄も大声に流されて、いつの間にか空は晴れ渡り、一日の始まりにふさわしい朝になる。

朝七時よりヴィヴァッサーナ・メディテーションが始まる。足を組み、呼吸のリズムを整え、精神を今だけに集中する。吐いたり吸ったりする呼吸だけを感じとり、過去にも未来にも振れない精神状態を作り上げていく。メディテーションが終わると、ブッダの言葉を毎日取り上げ、それらの意味をヴィヴェックは英語で説明していく。

そして八時半から朝食が始まる。ザンスカーリのノルブが作る料理はとても美味しく生徒たちにも好評だ。ターリ、タキ、ツァンパ、ホワイトブレッド、ライス、ベジタブル他様々なものが日替わりで出てくる。それにミルクティが朝の定番だ。朝食はみんな和気あいあいと和やかなムードの中続き、朝食が終わると次のセッションが始まるまでに短い間グランドでバレーボールやサッカーなどの遊びに興じたり、ギターをつま弾いたりしている。



九時半から始まるセッションはブレインウォッシング的なものが多く、例えばコーポレートという単語に関係する単語を挙げていき、それらの意味の違いを英語で説明していったり、英語でのしりとり(生徒たちは知識が深く辞書外の単語がたくさん飛び交いました。)、また日本では決して経験することができないアクティビティ溢れたゲームなど、例えば生徒たちがツーリズムカンパニーのスタッフという設定でストクカングリ・トレッキングのプランを他のツーリズムカンパニーが考えたことがないものを作り上げていく。この時の僕らのチームは第一ベースキャンプで日本の花火を打ち上げる企画、途中の谷が広い場所でハンググライダーで舞う企画など、ちょっと難しいかなと思える企画もどんどん取り入れ発表していく。そして発表が終わるとその企画の内容を一つ一つ生徒たち全員で精査していく。その企画は実現可能かどうか、実現がむずかしいならば、どうすれば実現可能になるか、またその企画は斬新か?など様々なディベートが行われ、英語のスキルアップにも繋げていく。

十二時から一時の間に昼食が入る。ノルブが腕を振るった料理が並ぶ。いつもながら大勢の生徒たちの食事をてきぱきと作っいくその腕には感服する。朝昼晩の食事はタイトなスケジュールの中の心地良い清涼剤だ。ノルブはこのイングリッシュ・スクールの生徒でもあり、ツーリズム・カンパニーのトレッキング・ガイドでもある。そして精力的によく動き、おおらかな心を持ち、学をよくする、とても魅力的な男だ。食事が終わると休憩時間に入り、各々が好きな事をして時間を過ごす。



午後二時ごろからのセッションは生徒たちの頭も体も良く働きだすので白熱してくる。青空のもとでのセッションも多く、ゲーム形式のセッションは熱い。例えばこのようなセッションをする。一脚の椅子を置いて、生徒たちはその回りに手を繋いで円を作って並ぶ。手は絶対に離さない。生徒たちは椅子を中心にして、右や左方向に回りだす。そしてここで肝心なのは椅子に触れてはいけない。椅子に触れそうなったら椅子を跨いだり、ジャンプしたり、隣の仲間の繋いだ手をおもいっきり引っ張って自分と仲間の位置を強引に変えさせ、形勢を逆転させる。椅子に触れたり、手を離したりした生徒は一人づつ脱落して円の外に出ていく。そして最後に残った生徒が勝ちとなる。なぜか何回やっても最後の三人にあのクールなメタルが勝ち残る。絶妙な運動神経で椅子をひらひらとかわしていく。ダンスが趣味の彼には重力が無意味なごとく、実にみごとに舞っている。この椅子に触らないゲームが終えると、生徒たちでこのゲームの必勝方を分析し、討論していく。午後からのセッションはこのように体を使ったものが多く、英語でのディベートはやはり熱くなる。



四時頃からの休憩にはお茶とお菓子が出る。疲れた頭と体をおもいっきり癒していく。

五時頃からのセッションはブッディズムの勉強になる。時々プロジェクターを使い、英語とラダッキ語を交えながら丁寧にヴィヴェックが説明していく。例えばこんな感じだ。ブッダが生まれてから亡くなるまでの人生を事細かく追っていく。また基本的な仏教徒が実施しなくてはならないプリセプトを分析していく。世界中の仏教徒にとっては幼いころから何度も聞かせられ実践している内容なのだが、仏教徒である(私たちのほとんどはオートマティカリーブッディストで、親がブッディストだと自動的にブッディストになっている形が多い。)僕たち日本人のほとんどは知らない内容ばかりだと思うし、つくづく名ばかりの仏教徒だった自分がとても恥ずべき存在に思えてくる。仏教とは何なのか?宗教なのか、哲学なのか、科学なのか、芸術なのか?始めて考えさせられる事ばかりで、深い思考の沼にはなされた一匹の魚のようになる。あわてふためくと沈んでいくが、知のスープに静かに横たわると気づかされる事が数多く見つかる。日本人は唯物主義という名のブッダの教えとは反対の不思議な亜宗教のなかで窒息しそうになっているが、このキャンプは正しい人間性を見つめ直すいい機会だと思う。



夕方のセッション後の夕食もまたノルブが作る。この時間になるとさすがに疲れてくるが、ノルブの作る夕食のメニューにはこの疲れを吹き飛ばすには十分の力がある。すべてがベジタリアン食なので、そのシンプルな食事に慣れない日本人には、最初は食が進まないかもしれない。しかし体が見違えるように健康になっていくのがわかると後は体がそれを自然に欲してくる。そして食後の果物は、心身のバランスをパーフェクトにしてくれる魔法の食べ物だ。



食後には一日の最後のセッションが始まる。時間は夜の九時を回っている。ヴィヴェックによる一日の締めくくりの短い講義が終わると、生徒たちによる一日の総括のブリーフィングが始まる。一人づつ生徒たちの前に立ち、一日の感じた事、身に付けたスキル、今日の一番すばらしいかった出来事などを事細かく英語で発表していく。みんなのブリーフィングが終わった頃合いにちらと時計を見てみる。それが十二時前のこともあるし、十二時をとっくに回っている事もある。

一日のセッションが終わると生徒たちは部屋にもどり布団になだれ込む。十秒もしないうちに部屋の暗がりのあちらこちらから寝息が聞こえてくる。こんな具合に一日一日のキャンプが過ぎていく。夜空にはノーブルな星たちの声が沈黙の中、ひそひそと何やら語り合っていたのはすでに夢の中。



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