Tuesday 15 July 2014

14.ストク・ベースキャンプ・トレイル。

ある朝のセッションが終わると生徒たちが外に並べさせられる。生徒たちは眠たげなまなこを擦りつつなんとか立っている。セッションはタイトながらプログラムは斬新で毎日が新しい朝だが、生徒たちは新たな変化を欲していた。ヴィヴェックが生徒たちの前に立つと一言いう。
「今からストク・ベースキャンプ・トレイルに行く。五分以内に用意をしてもう一度ここに集まること。」
生徒たちの間から歓喜の声が上がる。ストクには標高六千百メートルのストク・カングリという名の名峰があり、ラダッキの間には何度も登っているつわものもいるが、生徒たちはまだ若くこのトレイルを経験している者は少ない。この時これから始まる困難はまだだれも想像していなかった。





朝七時に僕たちはダンマハウスを出発して、両側を土煉瓦壁で囲まれた細い遊歩道を歩いていく。時々その道は古くて半分ほど崩れ落ちているようなチョルテンを加え込んでいたりするので、僕たちはそれらを時計と同じ方向の右回りで次々と征服してゆく。また遊歩道の真ん中をさらさらと清流が流れていたり、壊れかけた土壁からちらと見える白や茶や黒の馬たちが草を頬張っている様を見るのはとても楽しいし愉快だ。一時間ほど歩くとストクをぐるっと囲むように走っている周回道の一番奥にたどり着く。ストクの中心にはストク・カングリから流れてくる川が横たわっていて、周回道の一番奥にはその川を横切る橋がかかってる。その橋の横には小さな売店があり、僕たちはそこで休憩をとる。売店でミネラルウォーターを購入したり、お菓子のメギを食べたりする。(このメギというのは小さなビニールの袋に入った乾麺で、実際は沸騰したお湯で三分間ほどそれを茹で、内包されている粉末の汁のもとをそのお湯に溶かし、それらを器に移してから、ずるずると音をたてて食べるのだが、現実は内包粉末を袋の中にすべてあけ、袋の外からバリバリと手で乾麺を砕きながら粉末と混ぜ合わせて、細かくなり味がほどよくまとわりついたその乾麺を手でつまみ上げて食べる人の方が圧倒的に多い。)その休憩ポイントでは他に写真の撮影をしたりする。生徒全員で飛び上がり宙に舞ったその瞬間をスナップしたいのだけれども、タイミングを合わせるのがなかなか難しく、しかしそのショットが決まると爽やかな青春映画のワンシーンのようになり、今までの苦労もどことやら飛んでいく。



僕たちはその橋よりさらに奥に向かって道なき道を進んでいく。ここはストク・カングリへのトレッキング・コースの入り口になっていて、その名峰からストクに流れ込んでくる清流を中心にして大きなお椀状の谷となっており、先程まで点在していた家々もきれいさっぱりなくなり、人の手が加えられ緑が煌めいていた大地も消え失せ、なめし革色をした不毛がただ続くだけである。しかし自然が作り出したその不毛も、天の深い青に溶けている様を見つけると、様々な色がこのヒマラヤに溢れている事に気づくのにそう時間はかからない。

そんな光景の中を進んでいくと広い谷の中心あたりに1本の巨木が立っているのが見えた。ここストクで遥か昔より自然の神として奉られてきたご神木だ。それは仏教以前かもしれないし仏教以後かもしれない。ストクのみならずラダックの村々では観光客の目に触れることのない遥か奥の地にこのような自然神を奉る風習がある。チクタン村でも二時間ほど山合に分け入る人里離れた場所の大きなヒマラヤ杉を自然神として崇める風習があった。またストクの神木の横には小さな祠も作られており、風習は日本の風土とも良く似ていて、違いは圧倒的な自然の中にあるかいなかぐらいだ。



谷の中心にある川に沿うよりも、その回りにそびえる山肌にトレッキング・コースがつけられている場合が圧倒的に多く、そうなるとコースの起伏は川沿いよりもいくらか厳しくなり、体力的にもきつくなる。後ろの方を仰ぎ見ると、谷の間の遥か彼方にストクの村の印であるひとかたまりの緑がヒマラヤの麓に集まっている姿が見える。そして後方手前には一組の人の姿がコースを登って来るのが見え、目を凝らして良く見てみると、その一人はストクでゲストハウスを経営しているネオ・ラダックのナムシャンで、もう一人は日本人女性の観光客のように見えた。





さらに僕たちダンマハウスのメンバーは進みながらも徐々に高度を上げていく。谷の山肌を登ったり下ったりして、時には平坦な道をただ進み、時には小さな峠をいくつも越えて、そんな同じ行為を気が遠くなるほど何度も繰り返すと面前に小さな山小屋が見えてきた。そこで僕たちは休憩を取ることにした。山小屋の右側はヒマラヤの山々がそびえ、左側は山の雪を溶かして出来た清流が流れており、その向こうもやはりヒマラヤの山である。小屋の左の山肌に何かうごめく物が見えた。目を凝らして見てみる。この時の僕たちは非常に運がよかった。目の前の対岸にアイベックスの群れが見てとれた。その一群は僕らを気にも止めていない様子でおり、ヒマラヤの斜面でのんびりとくつろいでいる。時々彼らと目が合うが、寝返りを打つのみである。その角はくるりと弧を描いて先っぽは鋭く尖っており、またその体躯は薄茶色の山肌の色に良く似たふさふさの毛で覆われている。一匹がもぞもぞと起き上がり動き出すと、他のアイベックスもそれに呼応して動き出すが、中の一匹が座りだすと他のみんなも座りだし始める。そんな様子を眺めていると山小屋の中で作ったインスタント・ラーメンが美味しそうな湯気をたて始めていた。枝のかけらで作った箸でずるずると音をたてながら食べ始めているこの場所は、奥深いストク・カングリの懐に抱かれた谷の中。アイベックスたちもその様子を興味深げに見ていたが、途中で飽きたのか、ごろりんと寝返りを打ち始めた。時計をみるとすでにダンマハウスを出発して五時間が経過しようとしていた。










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