Monday 21 July 2014

21.ザンスカールのパドゥム。

僕とタンチョス僧侶はパドゥムに向かう。途中のトゥングリ・ゴンパ(ナンゴンパ)のある村を抜けると、とても広い平原が目の前に現れる。どうやらパドゥムに入ったようだ。その平原の広さは尋常でなく、ザンスカール自体はとても広い谷が多いのだが、それでもヒマラヤの山々に囲まれたこのラダックでは毛色の違う土地の形状をしている。とても高い場所にある原っぱなのに、目立った凹凸はなくとても平たく広い。言ってみれば山々の間の宇宙のよう広い空間に緑のペルシャじゅうたんを敷き詰めたようなそんなイメージがあり、そんなじゅうたんで出来ているパドゥム盆地は風に乗ってどこかに飛んでいけそうな勢いでもある。そんな事を考えているうちに、僕らはパドゥムのバザールに到着した。バザールには百件近くもの商店があるが、その七、八割の店は閉まっている。ダライ・ラマのティーチングの直前で、しかも内外からの観光客がなだれ込んできている状況でこれなのだから、平時は九割以上の商店が閉まっているだろうなと想像がつく。僕がバザールのT字路付近で佇んでいると途中で別れたスナフキンさんが道を横切っているところに遭遇する。僕はスナフキンさんを捕まえると、今日の予定はお互い未定ということだったので、僕とタンチョス僧侶とスナフキンさんとの三人でパドゥムの裏山にあるスタクリモ・ゴンパに行く事にした。

トゥングリ・ゴンパ




砂ぼこり舞うメイン・バザール街をぬけると、右側にあった商店の建物は消え、そこからはスロープ状の大地が山に向かって延びており、その山の中腹にスタクリモ・ゴンパの頭ちらりと見えている。その緩やかに延びる大地にはゴンパに向かう小道が見える、僕たちはその道を入ってゆく。小道はパドゥムの家々や畑の横を通り抜け、石積の塀を横切り、緩やかな丘陵地を登っているが、フランス・プロヴァンス地方やイタリアのシシリア島やレバノン・シリアのオリーブ畑のような、地中海沿岸の名だたるぶどう酒やオリーブの生産地の丘陵地と錯覚してしまいそうな美しさの土地でもある。山の裾のにたどり着くと後はひたすら登るだけである。山の中腹から振り向くと遥か右から遥か左まで、そして遥か奥までパドゥムの平原が広がっている。そして右側の山々の手前に岩と土くれで作られたような小高い丘があり、その頂上に王宮が見える。さらに山を上って行き、車道に沿って進むと左側にマニ車が見え、それを通り過ぎるとすぐにゴンパへの門が現れる。門をくぐり抜け植物に囲まれた小さな階段を上り切るとすぐにスタクリモ・ゴンパが見えてくる。ゴンパは白亜の四角い箱のようで、そこに入ると奥の壁の中心には金色の仏陀の像が鎮座しており、三方の壁は赤系統の色を中心に使われた壁画で囲まれている。タンチョス僧侶と僕らは仏陀の像に向かい三度のバウをしてからゴンパを後にして、バザールに戻ると一人のとあるモンクに出会った。彼が流暢な日本語を話しているので、いろいろ伺ってみると日本に10年ほど住んでいた経験があるという。この人里離れたというか、外からの文明を拒絶しているがごとくの遥かに遠いこのザンスカールから、日本に長い間住んでいたモンクがでているという事実に、とても不思議な気がしたし、待てよ、もしかしたら世界中を旅するよりも、日本にいた方が、エスキモーやインディアンやアポリジニなどの少数民族に会える機会があるのではないかという気がちょっとだけしてきた。





それから僕とスナフキンさんとタンチョス僧侶はピビティン・グルに向かう。途中の平原の奥の方で竜巻が発生している。ここザンスカールのパドゥムではいたるところに毎日竜巻が発生していて、それが市街地であろうと、農地であろうと、荒野であろうと、あらゆるもの巻き上げて移動している姿が度々目撃できる。僕らは車道をのんびり歩いてゆく。しばらく歩くと右手に土で出来ている小さな丘があり、その頂上に白い箱をちょんと乗っけたようなピビティン・グルとその隣にはチョルテンが見えた。ピビティン・グルの周りには小さな集落が広がっていて、僕たちはその集落の中の小道を通ってゆく。そして小さな丘の斜面の小道の跡を登ってゆくと、すぐに頂上に出ることができ、そこには何度も改修はされているが、とても古そうなゴンパがある。ピビティン・グルだ。グル・リンポシェは不在だったが、僕たちはゴンパの中に入っていく。中にはゴンパに囲まれた中庭があり、その回りの建物は古い造りなので若干傾いていてそこに味の妙がある。建物の外にはまた古いチョルテンがあり、そこからパドゥム盆地が見渡せる。雲の切れ目から天女の光が大地に落ちてきていてザンスカールの神秘な部分が垣間見られた。ピビティン・グルのそばには大きな川が流れ、それは長い年月をかけて削ったパドゥムの平原が川の形のまま沈み込んでいる。そして対岸の遥か彼方の山の裾のには微かにカルシャ・ゴンパが確認できる。僕たちはピビティン・グルのある丘をおりると次のゴンパに向かう。





次のゴンパはポタン・ゴンパといい、明日ダライ・ラマのティーチングが行われる場所だ。車道を歩いてはいるが、この広いパドゥムの平原では、なんだかどれだけ歩いても一向にポタン・ゴンパが近づいてくる気配がないのは、このだだっ広い平原では目に見えるものが近く感じるが、実際は気の遠くなるほど遠い場合が多いのだ。目は事物の形を確認する参考程度にしか当てにならず、そして距離的なところはほとんど当てにならず、またその事物の形を確認する目も結局のところあまり当てにならないので、実際今見えているものが事実かそうでないかの確認するすべはなく、だからといって何がどうなるわけでもなく、ただただそんなものだ、うん、とうなずくより他になく、だとしたらとにかく歩くしか他にないのである。そして僕たちはパドゥムの平原を歩いている。そうこうしているうちについにポタン・ゴンパの正面入り口に立つことができ、その門をぬけるとその広い敷地にまっすぐに道が続いていた。この広い土地にラダックの人たちが集まるのかと思いながらその道を行くと、感慨もひとしおで、少し襟を正しながら歩きたくなる。



空にぽっかりと浮かぶ雲の下の、ポタン・ゴンパの本堂は思ったより小さく感じたが、中に入り明日ダライ・ラマが座る鮮やかな色彩が施された玉座を見た時も、なにやら質素に感じたのは、日本の大乗仏教の豪華絢爛すぎる建物に慣れてしまっているからかもしれなく、時として中身よりその入れ物の方が重要視されてきた日本の文化を思い、インドの入れ物より中身を重要視する質素な文化が脈々とガンジーに受け継がれたのを感じ、まてそれはただインドが怠惰なだけではないかという迷いが生じては何度も打ち消し、そうしているうちに比較することにあまり意味がないことに気づくとそんなことを考えるのもどうやら面倒になり、ただただ空にぽっかりと浮かぶ雲を再び眺めているだけで十分な気がしてきたのである。

そして僕たち三人はいろいろ思うことを胸に秘め、パドゥムの街に引き返すことにした。











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