Tuesday 15 July 2014

18.ザンスカールへ。

今、僕は公営バスに揺られてザンスカールへ向かっている。ダンマフレンドのノルブの計らいでザンスカール行きが実現したのだ。レーのオールド・バス・スタンドで750ルピーを払い、バッグパック類は屋根に載せてこのオンボロバスに乗り込んだのだ。朝五時半に出発したバスの右前の座席には日本人らしき旅行者も乗り込んでいる。今回のザンスカール行きの最大の目的は、カラーチャクラの前夜祭としてパドゥムで行われることとなったダライ・ラマによるティーチングに参加するためだ。僕の横にはノルブのお兄さんがエスコートとして座っている。ノルブは途中から僕らと合流予定だ。途中カルツェの村で休憩を取ると、バスは再び出発をした。カルツェのチェック・ポストにはお馴染みの警官が常駐していて、僕がパドゥム行きを告げると大変喜んでくれた。



途中の分岐でバスは左に進路を取りインダス川を渡る。もしバスが進路を変えずにこのまま真っ直ぐ行くとダー・ハヌーに出ることになる。しばらく進むと道沿いには不毛な景観が続き、少し開けてくると、緑の畑が目立つようになり、そんな場所の丘の上にラマユル・ゴンパが見えてくる。道はラマユル・ゴンパを舐めるように作られていて、あらゆる角度からゴンパが見えるが、それもつかの間で、再びバスは不毛の中を走る。大きな峠が連続して二つ続くと少々疲れても来るが、ザンスカール行きを思えば、疲れもどこぞと飛んでゆく。ムルベク村を通過する時、右手の丘の中腹にスプリング・スクールが見えてくると、この学校に短期で赴任してきたチェコ・パブリック出身のピーターはどうしているだろうかと気になったりした。窓辺に映る風景に込められた思い出がメリーゴーランドのようにクルクル回る。

そんな事を考えていると谷は左右に大きく開け、水量が豊富なスル・リバーが谷を駆け抜けているそばに横たわるようにしているカルギルの街が見えてくる。その街の後ろには雄大なヒマラヤの山がそびえている。カルギルは僕にとってはラダックの第二の故郷と思っている街で、ここにもたくさんの思い出が転がっている。よくカルギルのどこが良いのかと聞かれる。真っ先に浮かんでくる答えはこうだ。とにかく人がいい。打算的ではない付き合いかたができる人たちがたくさんいる。最初は取っつきにくいかもしれないが、中に入ってしまえば兄弟も同然だ。バスがカルギルの街に到着したのは午後の二時、とても早いペースで来ているように思う。バスはここで一時間の休憩を得て午後三時に出発する事となった。僕とノルブのお兄さんともう一人の日本人とで昼食を取る。日本人の名前は失念してしまったので仮にスナフキンさんとお呼びすることにする。そしてその三人とで僕の行きつけの茶屋で食事をする。ここは少し前の章に登場したロシア人とよく行った茶屋でマスターがとても実直ですごく好感が持てるので僕の行きつけとしているのである。みんなでパラタを注文する。ここでスナフキンさんが中央アジアをこよなく愛して、よく旅をする方だという話を聞き、とても共感が沸いたのを覚えている。一時間というのはとても短いものであっという間に出発の時間が来てしまった。

僕らはバスに乗り込むと再びザンスカールに向けて出発した。このバスはとてもオンボロなのだが、中央アジアのある国を知っているスナフキンさんからバスの話が出て、ここのバスはとてもファシリティが高い事を知らされる。とある国ではもうバスの体を成していないと聞かされてたじたじとなる。スル・リバーに沿うように続くスル谷は濃厚な緑が満ちている場所で、ほどよい夏の香りがバスを包み込んでいるのに気づくのにそう時間はかからない。サンクー村ではバスの横をケーブをかぶった子供たちが下校の途中だろうか行き交っているところに手を振ってみせると、みんな一様に笑顔で手を振って返してくれる。この村には大きなバザールもあり、地元でとれた物産も数多く揃いとても活気に満ち溢れている。ハイキングのメッカとしてとても有名なこのサンクー村の先のチェックポストを通過する時も子供たちが元気に手を振っていた。

バスはしばらく進んでゆく。するとゆりかごの中で眠っている谷が、起き抜けに体いっぱいに伸びをした跡のようなとても大きな形状の中に、夕暮れの日差しに溶けるスル・リバーが水面をきらきら反射させて流れゆく様の美しさには、息を飲むよりほかなかった。ここはパニカルという名の村でラダックのフンザとも呼ぶ人もおり、ラダックの中では最も緑が濃く、ムスリムのラダッキたちが一番憧れている場所のひとつにあげられ、ピクニック・シーズンとなるとバスが押し寄せてくる。優雅なスル・リバーはゆっくりと大きな谷をくねりながら、静かにとうとうと流れていて、谷に溢れる緑はどれも香り高く、畑にはケーブを被った女たちが土を触っている姿が見られ、牧童たちもはしばみの小枝を持ち、その畑の畦道を羊や山羊を追っている姿がみられる。ラダックで最も豊穣なこの土地の誇り高き文化の中で暮らす人々の姿はとても幻想的であり、朝夕の柔らかな光の中に浮かび上がるその姿には感動すら覚える。インドの中で”風の谷のナウシカ”の舞台を挙げろと言われれば、真っ先にスル谷とこのパニカル村の名前が出てくる。そしてこのパニカル村はパキスタンのフンザ側から続くひとつの文化圏となっおり、まさにラダックの桃源郷と呼ぶにふさわしいところなのだ。





バスはこの美しい谷を抜けてますます進んでゆく。標高は高くなり、大地が不毛に変わっていくのが知覚できた。寒くなりつつある空気の気配が、どことなくうら寂しい気持ちを生む。しかし岩肌の不毛の中にある穴という穴からマーモットたちが鼻をひくひくさせつつこちらを伺っているさまを突如として見かけると、不毛は人からの視線であり、彼らマーモットにとってはこの地は豊穣な土地以外のなにものでもないことを知る。バスが彼らの地を抜けようとすると、あるマーモットはこぞって驚き穴から抜け、バスから遠いもっと安全な穴に避難しようとする。あるマーモットは自分の穴に入ってきた他のマーモットを追い出し、追い払おうとその後を追いかけてゆく。ここはマーモットの楽園であり、いたるところでマーモットが見られる。マーモットそれは日本では”なきねずみ”と呼ばれている種族で、僕はそれらを北海道の東雲湖の湖畔でよく見かけたことを思い出す。







ザンスカール・ロードの最高地点ペンジ・ラ(ペンジ峠)が近づいてきている。その手前のチョルテンでバスは小休止をする。ここの光景は右手に深い谷、左手方向にペンジ・ラと標高は高いが素晴らしい光景が見られる場所でもある。その付近で一台の四輪駆動車が故障で止まっている。様子を伺っているとエンジンはかかり、走ることはできるが、ハンドルがまったく効かなくなっているようだ。結局車はここで乗り捨てて僕らのバスに四駆のドライバーも運転手も便乗していくようだ。ここヒマラヤの峠での車の故障はなんともならないし、季節を間違えると命に関わる事もある。例えJAFのような機関がこのラダックに存在していたとしても、電話一本ですぐにここまで来るのは不可能だろう。その前にきっと電話が通じない。でも偶然ぼくらのバスがここを通りかかってよかったと思う。もしかしたらこの峠で一晩を越す事態も考えられたからだ。







夜の八時、バスはとある寂しげな村に到着する。村の名前は失念したがペンジ・ラを越えてすぐのところだ。本日僕たちはこの村で泊まることになった。ノルブのお兄さんがこの村に親戚がいるということで、僕とスナフキンさんをその家に招待してくれた。とても寂しげな村だったが、出された食事のモクモクには、とても愛情がこもっており、食べきれないほどの量をご馳走になり、そのどれもがとても美味しかった事を覚えている。僕とスナフキンさんはザンスカールの夢を見つつ、その夜はすやすやと深く深く眠った。

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