Tuesday 25 September 2012

5.アーユルヴェーダとボーディ・プージャと。

土曜日の午前中、ケッタラーマ寺では近隣の村人のためにアーユルヴェーダの出張診療所が開設される。医療機関よりアーユルヴェーダ専門の先生がお寺を訪問されて無料で診療が行われるのだ。朝早くから近隣の村々より人が集まり始める。人が集まり始めると病院からの車がお寺に到着し、さっそく診療が行われる。アーユルヴェーダとは現代西洋でいう医学のみならず、生活の知恵、生命科学、哲学の概念も含んでおり、現在、世界各地で西洋医学の代替手段として利用されている。(WIKIより)

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テーブルの上には様々な色味の瓶が並べられている。朝のひんやりとした空気の中に、微かなハーブの香りが漂っている。患者は順番に診察ルームに入り、診療を受け、出てくるとカルテを見ながら看護婦がハーブ液を調合していく。出来上がった飲み薬、塗り薬が患者に渡されていく。診療が始まって1時間程経って後、僕も受付を済まし、静かに順番を待つ。その時、風が突然強く吹き、大粒の雨が激しく落ちて来た。屋根だけの待ち合い所は両側から激しく雨が降り込んでくる。椅子を中央に移動して僕たちは雨に濡れないようにする。スリランカの雨は突然滝のような雨が降ってくるも、数十分でピタッと降り止む事が多い。この日の雨を30分とは続かず祭りの後の静けさのごとく降り止んだ。そして僕の診察の順番がやって来た。サンダルを脱ぐと先生に左足の親指の付け根を見せる。少し傷ができている。靴ズレだ。アーユルヴェーダで靴ズレも治療できるのだろうか?そんな疑問を持ちつつも、先生は終始ニコニコ顔で足の傷をチェックしている。そして先生はシートにアーユルヴェーダ・ハーブの調合率を詳細に記述していく。それが終わると僕に「大丈夫」とにっこりと笑いシートを渡すと、それを持って診察ルームから外に出る。シートを看護婦さんに見せると、彼女はそれを受け取り、目の前に並べられてた瓶からお目当ての瓶を取り出し、僕が渡したベットボトルにそれを丁寧に詰めていく。次に小瓶に調合したオイルを詰めていく。ペットボトルに詰められたアーユルヴェーダの薬が飲み薬で小瓶に詰められたオイルが塗り薬だ。そのハーブの飲み薬は甘く優しい味がした。そして塗り薬を塗った傷口はなぜか安心した表情を見せている。最後の診察も終わり、アーユルヴェーダ治療は静かに幕を閉じた。

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毎週土曜日の夜はボーディ・プージャの日。仏陀を忍び、供養をするのだ。ボーディ・プージャはいつも静かに始まる。村の周りから村人たちが手に手にトーチを持ってひっそりと集まってくる。白く涼し気な服を身につけた村人たちは各々の場所に座る。お堂の中に入って座る人。仏塔のそばで足を伸ばして座る人。お堂を囲むようにして座っている人々。数多くの人が集まって来ている中、小さな小さなお堂の中では僧ダマナンダー・テーロの読経が始まる。夜に良く通るその声は、独特な音階を操り、ふんわりとしたここちよいそのリズムは日本のお経とは全く違うものだと分かる。読経は詩のようであり歌のようであり、また僕たちが今まで出会った事のない不思議なものであった。
ブッダン サラナン ガッチャーミー
ダンマン サラナン ガッチャーミー
サンマン サラナン ガッチャーミー
一言一言、夜にこだますると僧ダマナンダー・テーロの手に持たれた大きな団扇がゆらりぱたぱたとはためく。お堂の柔らかな光には虫たちが駆けつけている。お堂の外では灯されたろうそくの光の中で肌が白い仏塔がぽっと優しい闇の中に浮かび上がっている。光と闇は絡み合いその境界はいつもあやふやだ。闇に光が浮かんでいるのか、光に闇が浮かんでいるのか、ときおり分からなくなる。そしてその闇と光の中に、白い服をまとった仏塔と村人たちが溶けているのだ。8月の満開に飛び騒いでいた蛍たちの恋の季節は終わりを告げ、スリランカの9月の夕べは秋の様相を濃くして、涼し気で幸せな夜がしんしんと静かに万物を包み込む。読経のこだまは夜の星たちにも作用し、それを浴びた星たちが強く瞬き始めると、スリランカの夜の闇は星の光とも溶け合うのだ

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その日の夜が深まった時、お寺のそばの村で、1人の老人が静かに息を引き取った。僕は葬儀に参列するために、次の日トゥクトゥクでその家に向う。ケッタラーマ寺から5分ほどのひっそりとした森の中にその家はあった。葬儀は三日間行われ、最終日にお坊さんたちが参列する。周りの住人たちはすでに集まって来ており、ゆっくりと葬儀の準備が進められている。亡くなられた老人の小さな小さな家の中にも、親類たちが集まって来ていて、白いお棺の中に、白い布を羽織った、小さな老女が静かに眠っていた。スリランカでは土葬が一般的で、三日後にはお墓の中に入り、土となるのだ。静かに亡き人の話が集まった村人の間で話される。僕は出された紅茶を静かに頂く。この家の方と僕とは少しだけご縁があり、毎日僕は、朝早く起きてジャングルの中をジョギングしているのだが、その時にこの家の前を必ず通るのだ。そしてここの家の方と目が合うと必ず「アーユルボーワン」と挨拶をしていた事を思い出す。袖がふれあう程のわずかなご縁なのだが、僕が葬儀に出かけると、ご家族の方々はとてもうれしがっていた。僕の足下ではそんな事も意に介してないような大きな大きな犬が寝そべっている。近所の小さな子供たちがはしゃぎ合っている。この日本の少々華やかな葬儀とは違い、それはひっそりと切り取られた日常の一場面で、特別な行事ではなく、静かに始まり静かに終わる。スリランカの文化は僕たちが忘れていたものを思い起こさせてくれる。それはきっと人間にとって一番大切なものだと思う。人間はシンプルに生きる程、より人間らしく生きられるのではないかと最近よく思う事がある。僕にとっては大げさに飾り立てられた文明は大変疲れるのだ。国々の間で行われているルールの押し付け合いのゲームは、小国の中から見ていると、とても滑稽に見える事がある。そしてもっと静かに生きさせてくださいと小さな国々は力一杯ささやいているように思えるのだ。もっとゆっくりと、もっとのんびりと、もっと人間らしく生きたいな。

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