Sunday 2 September 2012

22.チクタン村の話 その11。〜ハヌーのさらに奥へ(ハヌー・カスカス村編)

ハヌー・カスカス村の朝日は優しく静かだけれど鋭く、地球の果てのこの大地に今日の光を賜与していた。テント這い出た僕は、まだ眠たげな空気の中、眠い目をこすりつつ、ブランケットに包まれながらお茶をすするのだが、それでもまだ夢の中に入るようだった。朝は近くの湧き水で顔を洗い歯を磨い、そして小さな散歩を試みる。ハヌー・カスカス村いつもの変わらない人々の朝の営みは、いつも変わらず村の中心を流れる清流のように、清らかでいてきらきらと輝いて見える。静かに佇むマニ車。村人がそれを回すとチンコロと音をたてゆっくりと回り出す。山の端の背より差し込んでくる朝日。ティーカップに落ちたその光は波紋を少し紅茶に広げる。家の入り口で語らう親子。いたるところに小さな幸せは落ちている。そしてそれは隠れもせず、どこででも感じる事ができる。朝食の準備の間、僕らチクタングループは、少しだけ疲れた体を起こして、昨日の続きと言わんばかりに、まだまだ踊り続けた。夏の終わりの夢はいつまでも覚める事はない。朝食が終わると僕たちはテントを片付け、炊事用具を片付け、そして車に乗り込んだ。

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車はヒマラヤの谷の昨日辿った道を引き返して行く。谷の清流沿いには小麦の畑が狭く長く続いていて、収穫得を終えた麦畑は午前の光に照らされて、のんびりと休んでいるようだ。岩山と人の手の入った耕作地とのコントラストの美しさは、まるでゴーギャンの絵の中に飛び込んでみた気分だ。そしてゆっくりと谷の風を感じながら車はつづら折りの道を下りて行く。村が見えた。ハヌー・ゴンマ村(ハヌー・ヨクマ村)だ。来る時に結婚式で賑やかだったこの村も、今日の午前中はなんだか眠たそうだ。象徴的なのは村の中心に大きなマニ車がある。色鮮やかなそのマニ車は村人たちが常に回しにくるので休む暇も無く、この午前中に唯一起きて動いている村の願いを一心に背負っている大切なものだ。近くから子供たちの声が聞こえて来たので、そに方向に引き込まれるように歩いてみる。目の前のハヌー・ヨクマ村のガバメント・ハイスクールが立っている。どうやらその裏手から声が聞こえて来ているようだ。脇の柔らかい光が注いでいるような細い道を歩いて行くと校庭が見えて来て、大勢の子供たちの朝礼の様子が見えた。金網の目から僕はその光景を覗いていると校庭の縁に立っていた1人の先生がにっこりと笑って手招きをしているので、僕は学校の入り口から校庭に入って行った。子供たちは一心に手を合わせて教を唱えていた。ハヌー村という場所はブッディストが多く住んでいる場所なので、学校も礼節については仏教の思想を取り入れている。また少数ながらムスリムの生徒たちも学校におり、驚いた事にその生徒たちも手を合わせて仏教流の朝礼を受け入れていた。この辺りのムスリムはあまり仏教に対しては偏見がなく、そしてとても関係は良くて、数年に一度はこのエリアに立ち寄られるダライラマ法王のティーチングにも彼らはこぞって参加するのだ。ハヌー・ヨクマ村の小さな散歩を終えると僕たちはインダス川にむけて出発した。

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渓谷は狭くなると、車道は高地を走り出し、清流は谷の落ち込んだところに轟音を伴って流れている。インド軍の基地の中を通り抜けるとつづら折りの道はインダス川に向って下っていき、インダス川の側面を通る道と合流すると、右折をして僕たちはビャマ村(ベマ村)に向って車を進めた。サンジャク村のチェックポストを左に見つつ、どんどん進んで行くと正面の山の頂きに大きなゴンパを抱えるビャマ村が見えて来た。ビャマ村の入り口はこの手前の商店があるところから入りやすそうに見えるが、もう少し進んだところにゴンパまで上って行くリンクロードがあるので、それを使う事にした。車はきついつづら折りの道をギュルギュルとタイヤを空回りさせながらなかなか上って行かない。
「ティッカ、ティッカ」
と声をたてる。きつい山道で背中に重い荷物を背負ったドンキーが立ち止まった時に使うかけ声だ。みんなで声をたてる。
「ティッカ、ティッカ」
「ティッカ、ティッカ」
すると溝の無くなった車のタイヤがアスファルトを掴むのに成功し、なんとかグリップしながら道を上って行く。坂道を上ると緑が深く香るなだらかな高原が広がっていて、その真ん中に一本道が続いている。ビャマ村のこの高原をラダックの人々はフォタンと呼んでいて、この美しい場所までこないと、とうていビャマ村を見た事にはならない。この高原の一本道を進んで行くと緑が無くなった大地が突如と現れてその先は行き止まりになっており、その先に大きな大きなゴンパが高原の頂上に立っていた。ゴンパは金色が至る所に施されていて、かなり立派で目がくらみそうになる。最近出来たばかりのようなピカピカな装飾は太陽の光を存分に受けてキラリと空に向って笑っている。ゴンパの裏側に出てみるとインダス川に向って断崖が落ち込んでおり、厳しいヒマラヤの景観を形造っている。堂々たるインダス川がヒマラヤを分ちその所々にある緑が人の痕跡を表している。そのゴンパの横にはこれもまた立派な宿泊施設があり、ダライラマ法王がティーチングに来られた時に滞在する施設だ。これらの施設が並んでいる場所にはきつい太陽の日差し以外になにもなく、主人のいなくなった荒涼とした風景が寂しげに佇んでいた。僕たちはまた下手に広がる高原に戻り、アプリコットが生い茂る木々の下で、昼飯の準備に取りかかった。食事の準備をしている間はもちろん踊りに踊るのだ。ラダック式ピクニックはフォリナーにとっては、体力勝負で地上の半分の酸素量の場所で踊ると大変疲れるが、がんばって踊った後には、また何でもない食事が一段と美味しく感じられるものだ。食事を食べ終わり僕らがあたりを散策していると、ビャマ村の女性の方がアプリコットを分けてくれるというので、ついていくと黄色い実がふんだんになっている一本の木を指差した。
「好きなだけお採りください」
その声は天使か神かはてはペテン師かと一瞬躊躇したが、僕たちは運命をその天使に掛けてみると、さっそく段ボールの箱にアプリコットを入れていく。右手で摘み取りそれらを箱に投げ入れ、時々左手で直接口の中に持っていき、その豊潤のやつを頬張る。箱が一杯になったが、アプリコットの木を見てみるといっこうに減った感じがしないから、質は最高だがその豊富な量にも驚かされる。僕たちがアプリコットをとっていると村の子供やお年寄りが楽しげにその様子を眺めている。最後に丁寧にお礼を言うと僕たちはフォタンを後にした。そして車は暮れ行くヒマラヤの中を遊び疲れた小鳥たちを乗せ、サンジャク村を通ってチクタン村に帰っていく。こうして僕たちの最後の夏は終わりを告げたのだ。

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