Sunday 23 September 2012

3.聖地アヌラーダプラ。

今朝早くケッタラーマ寺の僧侶の僕を含め6人で、アヌラーダプラへ向う。クルネーガラの街を抜けると、ひたすら真っすぐな道が、地平線の向こう側まで投げられた長い長いロープのようにスリランカの太古のジャングルの中を走っている。クルネーガラ近隣のウェットなジャングルは北に進むにつれてドライなジャングルに変わっていく。木々の間の緑は土の色に変わり、ジャングルの中のサバンナの様相が濃くなってくる。乾いた土地に作られた大きな貯水池の水量は少ない。それでもジャングルはスリランカの北部をも覆っている。広く深く濃い未知の森はとても多くの生物たちを育んでいる。孤独な島と栄養豊富な川や湖と眩しい太陽は固有生物を育み、スリランカ独自の匂いを作っている。それらはスリランカの神秘的な文化と解け合うと、どこの島にも似ず、どこの島にも有らず、どこの島よりも強力な個性を発揮する。きっと伝統的な呪術の魔法は未だ森の中に健在で、その気になれば時を止める事もできる。

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そんな事を考えながら車に揺られて数時間で、まずはアヌラーダプラの近くにある僧スボーダ・テロの実家に辿り着く。彼は3ヶ月程前に出家したばかりの若干16歳の僧侶で、仏教をこよなく愛し、歌をよくし、大食漢であり健康で大きな体躯を持っている。スボーダ・テロのお父様は日本で仕事の経験があり、日本語を話す事ができる。スリランカには、日本に働きにいった事がある方が非常に多い。愛知や関東あたりには大きなスリランカ人のコロニーで出来ているという話を聞く。家の中は白亜の壁で仕切られており、天井付近の梁は日本での古民家のように複雑に入り組んでいて、そこを時折涼しげな風が駆け抜ける。僕たちは椅子に腰掛けると、日本では見た事もないジュースが出て来た。黒糖色をしたその中にはたっぷりと果物の果肉が泳いでいる。一口飲むと甘酸っぱい南国の香りが口の中で弾けた。
「ラサイ!(おししい!)」
人生で経験した事のない不思議な味がした。名前はデュール。このジュースにうつつを抜かしていると、さっそくメインのスリランカン・カレーが出てきた。ご飯の上にふんだんに様々な食材が色鮮やかにのっかっている。ここまで来るとスリランカ丼と呼びたくなる。たぶん日本の丼もののチェーン店でこれを作って出されたならば、軽く二千円を越えそうなそんなどんぶりいやカレーだ。ベジタブル、ドライフィッシュ、煮魚、ココナッツ、ピットゥ、ジャックフルーツ、スウィーツなどいろいろものがのっかっている。それを少しずつ好きな物をご飯と混ぜながら食べていくのだが、もちろん日本の食事とは比べ物にならないほど量が多いので、半分くらいでお腹は一杯になる。しかし食後のフルーツの分の胃袋は開けておかなければならない。とりあえずゆっくりゆっくりと食を進めると、スリランカ・カレーのスパイスのおかげか急速に消化作用が働いて、フルーツの分の胃袋が空いてくる。ランチが終わると、ケッタラーマ寺一行はそのままアヌラーダプラに向った。

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アヌラーダプラに向う途中に変わったお寺があるというので、僕らはちょっと寄ってみた。そのお寺に入ると遠目に赤い袈裟姿の人が一列に並んで見えたが、近づいてみるとそれがすべて仏陀らしき人形だと言う事が分かる。人形の作りはなかなか雑で日本のB級スポットを彷彿させる。僕が住んでいた愛知県にもこのような人形が雑然と立ち並ぶお寺(たしか五色園とかいう名だったような)があったが、圧倒的に違うのは寺に訪れる人の数だ。日本の寺は閑散として少し寂し気な感じがしたが、スリランカのこのお寺は非常に訪れる人が多く、活気があり、今日も結構な人で溢れていた。その雑な作りの人形たちは寺の中をうねるようにして並んでいて、それに沿って散歩道が敷設してある。僕たちはゆっくりと人形沿いに歩をすすめると、その後部は岩山に向って続いていた。岩山の頂上からは広大なスリランカのジャングルが広がっていて、長閑な風はそのお寺からジャングルへと吹き抜ける。

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車を走らせ大きな湖が見えてくると、その遥か向こうの森の中にダーガバ(仏塔)が顔を出している。そうしているうちに車は聖地アヌラーダプラに滑り込む。僕たちはその聖地ですぐに裸足になる。そして目の前にはルワンウェリ・サーヤのダーガバが建っている。言葉に言い表せない程巨大だ。その大きさは奈良の大仏殿と同じくらいの規模なのではないかと感じる。ダーガバの丸い白亜の帽子は空に向けて反射している。あいにくの曇り空なのだが、雲の下でもその幾何学的な放物線の完璧な美しさは、スリランカの大地に溶け込んでいて、その帽子たるものはまるで天を支えているかのようだ。ダーガバを左回りに一周してみる。たくさんの人がおのおののお祈りをしてりるし、猿たちと戯れている子供たちもいるし、名調子で講談調の説法をしている坊主までもいる。今日は曇りで床の敷石もぬるく歩きやすい。去年はさんさんたる太陽が敷石をぐつぐつと熱していたので、非常に熱くて歩くたびにブルース・リーのような声を発していたのを思い出す。ダーガバを一周して、次は回廊で結ばれているスリー・マハー菩提樹に向う。なぜアヌラーダプラは聖地と呼ばれているか?仏塔も聖地なのだが、スリー・マハー菩提樹がとても大切なのだ。仏陀が悟りをひらいたブッダガヤの菩提樹の分け木をスリランカのこの場所に植樹したのだ。スリランカでは菩提樹信仰がとても熱く、スリー・マハー菩提樹意外でもすごく大切に扱われている。各々のお寺には必ずといっていいほど菩提樹が大切に植えられて周りは神聖な柵で飾り付けられる。もちろんここのスリー・マハー菩提樹も周りには神聖な要塞のような枠でも守られていて、東西南北の四方向から巡礼が出来るようになっている。その四方向にもうけられた聖台には、たくさんの蓮の花が静かに置かれおり、その周りで多くの人々が祈りを捧げていた。多くの人が巡礼に来るが、静寂で、静謐で、平穏でいて、9月のアヌラーダプラに喧騒さはあまり感じられない。平和が脅かされていた聖地は、何年もの間平和を望み、そしてやっと平和が訪れた今、幸せの意味を深く知る。そして僕たちはみんな小さな仏陀になる。人が生きる目的は幸せになる事。僕たちは車に乗り込み、背中の大きな大きな白亜のダーガバが徐々に遠ざかると、やっとクルネーガラが近づいてくる。

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