Thursday 3 September 2009

3.ラマユル行きと道連れハイウェイ。

 ジミーの車でラマユルの村まで連れて行ってもらう。ラマユルはレーから北西124キロメートルのところにある神秘の村だ。インダス川に沿ってひたすら真っすぐ進む。チベットで生まれたインダス川はラダックに入ると南から北に向かって流れを変える。そしてパキスタンに向かって大きく弧を描き、パキスタンに入ると南に向きを変え、一気にアラビア海に向かって流れ出す。中国、インド、パキスタンと世界の火薬庫をまたがっているが、インダス川はそんな事には気も止めず有史以前から今日まで悠々と流れているのだ。そしてこれからも流れ続けるのであろう。僕らはそんなインダス川に育まれて来た小さな村々に立ち寄って行く。

 スピトク。ピャン。ファタル・サハブ。マグネット・ヒル。サンガム・ナディ。ニム。バスゴ。サスポル。
リキル。アルチ。ラルド。テミスガム。カルチ。ラマユル。

 多くの村、名勝、名刹がインダス川沿いにある。有史にはインダス川の恵みで文明が開花して、誕生と発展と停滞と消滅を繰り返し、それは明滅しながら今に至っている。

 途中、カルチで日本人カップルに会う。ラマユルから来たという事だ。これからザンスカールに行くという話を聞く。ザンスカールはラダックより西側、深部に分け入って行く広大かつ難所が多い場所だ。彼らはザンスカールがいかに素晴らしい場所かを昼食を取りながら僕に説いた。謎につつまれた歴史の事。巨大で素朴な素晴らしいゴンパがたくさんある事。それ以上に雄大にして幽玄、大胆にして繊細な景色の様を語ってみせた。

 彼らと別れると、ここで一人のバックパッカーに声をかけられ、一緒にラマユルに行くことにした。彼はコロラドの国立公園の従業員という話だ。3ヶ月の休暇をとって来たと言う。ラダックを旅した後は、ダラムサラに行くらしい。ダライラマに会うのだ。チベット仏教が大好きなシャイなアメリカ人だ。名前はグランと言う。日本にも来た事があって、京都を観光したらしい。物価の高さに嘆いていた。僕らはジミーの車に乗り込んだ。

 途中、ヒッチしていた現地の学校帰りの女の子3人も車に乗せた。女の子たちからラダッキ語をならった。「アマレイ~マザー」「アバレイ~ファザー」「チュ~ウォーター」などなど女の子の後に続いて発音する。これがなかなか難しい。その後、みんなでラダッキ・ソングを歌ったりしながらラマユルに向かう。

Ladakh range


 マナリ・ハイウェイからの眺め。広大なラダックレンジが広がる。

Saspol village


 サスポルビレッジ。村内でおばあさんに木の実をもらう。不思議な味がした。

Basgo gompa


 バスゴ・ゴンパです。

Ladakh tree


 ラダックの象徴的な木、チャンマ。成長過程で名前がどんどんかわって行くのだ。

Indus river


 インダス川にてジミーが小指を立てる。ラダックでの小便の意味だ。ここでちょっと休憩。

0 comments:

Post a Comment

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...