Sunday 7 February 2010

7.仏教とムスリムの地で

 カルシのチェックポストを抜けてすぐに分岐がある。そこを右に行くとダー・ハヌー方面だ。僕らは分岐を右に進んだ。しばらく進むと、広い荒涼とした土地が広がっている。そこに一つの小さなモニュメントが立っていた。ここではそれをメモリーと言う。先のパキスタンとの紛争で亡くなられた方々の記憶をとどめる場所だ。僕とジミーは車を降りると、その土地に向けて深々と頭を下げた。

Memorial

そんなに遠くない昔、ある紛争があった。
この地ではたくさんの人々が亡くなった。
この荒涼とした土地の向こうにそびえる山々。
この山を越えるとすぐ向こうにある国。
その国の名はパキスタン。


 夕暮れも近づいてきたので、僕らはタクマチク村を通り過ぎとうと思ったが対岸の山の斜面に広がるの村の景色があまりにも美しかったので、立ち寄る事にした。橋を渡ってしばらく進むと目の前に仏教徒のタクマチク村が見えて来た。

Tagmachig village

タクマチク村。
夕日に照らされて心なし輝いている。
山の斜面にはりついてるその様は、
厳しいのに美しく、優しいのに幽玄でいる。
山の斜面に作られた村に心ときめく。
厳しい環境に作られた歴史的な意味がそうさせるのか。
山の斜面に作られた村に心ときめく。
昔もそうだった。
今もそうだ。
これからもきっとそうなのだ。


 タクマチク村に入っていく。僕らは車を村の中を上へ上へ走らせる。驚いた事がある。この村には子供が非常に多いのだ。村の中の小さな道を曲がるとそこで大勢の子供たちが遊んでいる、次の道も、その次の道も曲がると子供たちでいっぱいだ。子供たちの元気な声が聞こえる。ふと日本の現状と比べてみた。日本では山奥の村なら、限界集落と呼ばれて子供なんかはいない村が多い。ラダックはどんな僻地の小さな村にも元気な子供たちが遊んでいるのだ。この地から日本に思いを馳せて胸がしまる思いがした。

Tagmachig village

空に視線を感じる。
ふと見上げると、
月と目が合う。
僕が笑うと月も笑った。
僕は尋ねてみた。
月が言う。
昔も今もかわらず子供たちが遊んでる。


Tagmachig children

子供たちが遊んでいる。
でも時に大人たちも混じって遊ぶ。
夕げの時間が近づく。
まわりも暗くなり始め、
大人たちが夕げの支度ができた事を告げる。
もっと遊んでいたいのに。


 僕らがゴンパの回りを散策していると頭上から声がかかる。見上げると一軒の家から少年が顔を出している。
「お茶を飲みませんか?」
 僕らは少年の家で休憩する事にした。

family at Tagmachig

少年とその母親。
気さくな少年に、優しいそうな母親。
この家の窓から見える景色が僕は好きだ。
この家族を僕は好きだ。
タクマチク村を僕は好きだ。
ラダックを僕は好きだ。


 僕らは紅茶とパンと杏のドライフルーツを頂いた。調度品に古い物が多かったので、それについて僕はいろいろ事を聞いてみた。少年も母親も一つ一つ丁寧に説明してくれた。そして紅茶とパンを食べ終わった僕たちはタクマチク村を後にした。

dinner

パンとドライフルーツ。
この村での産物だ。
パンはやわらかくふわふわ。
ドライフルーツは噛むと濃厚な風味と味が舌先から徐々に
口の中いっぱいに広がる。
ろうそくの光の中、僕は幸せについて考える。


 僕らはドンカル村、スクルブチャン村と足早に通り過ぎる。そしてアチナタン村に入った。この村で一晩過ごすことにした。アチナタン村はムスリムの村だ。村の真ん中にはマスジドが建っている。その奥には切り立った崖がおちこんでいて、インダス川がひっそりと身を委ねるようにして流れている。車を村の脇に止め、バックシートを倒すと、そこをベット代わりにして僕らは深い眠りに落ちた。

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