Saturday 6 February 2010

6.大河ドラマとチェックポスト

Farmer

人は畑を耕す。
人は有史以来、土とともに生きて来た。
土は人にだけ恵みを与えるのではなく、
いろいろな動植物の命の礎(いしずえ)となるのだ。
土は命の母なのだ。
いつからだろう、人が土を隠すようになったのは。
セメントで土を覆ったり。
モルタルで土を覆ったり。
コンクリートで土を覆ったり。
アスファルトで土を覆ったり。
今日もどこかで何かが土を覆っている
今日もどこかで命の母が泣いている気がした。


 ヌルラ村の中を走っている。農婦たちが畑を耕していた。その様子をぼんやり見ていると、僕のお腹がかすかに鳴った。”グルグルグル”ちょいとだけ悪い兆候だ。ジミーにカルシに急ぐように頼んだ。カルシは交通の拠点となる村なので、トイレくらいはあるだろうと思った。

「ホンジョどうした?」
「カルシでトイレを探したい。」
「スモールワンか?ビッグワンか?」
「でかいほう。」

 ジミーの車の速度が上がる。上下に車は悪路のためホッピングしている。僕はルーフにしこたま頭をぶつけながら、車が傾いたり、揺れたりする方向へ体をあずける。
 まもなく車は、カルシに入った。さっそくトイレを探す。店の人に聞いて回った。店員はみな畑の方を指差すのだ。そう畑でしろと。仕方がないので畑に向かう事にした。この通りから畑への入り方がわからない。通りと畑の段差は2メートル以上あるのだ。飛び降りる事は可能なのだが、今はそんな事できる状況ではない。考えただけでぞっとした。
 僕はジミーに頼んで、車でもう少し上手の方の商店が途切れるところまで連れて行ってもらった。僕は車をおりて回りを見渡した。ちょうど車の右手10メートル先ほどに古くてでかい岩があった。その岩はただ古いというよりも、人類が地球に誕生する前からそこにあるんだぞという、悠久かつ、いにしえの存在感を醸し出していた。その岩の後ろには地中から何層のも重なっている地層が垂直に天高くせり出していた。僕はまっすぐ岩に向かって歩き、そして後ろに回った。そしてそこにある壮絶な光景を見て一瞬のけぞった。
 なんとそこには、うんこの化石の層の上にうんこの海ができていたのだ。貝塚とかそんなものは日本でも見た事があるが、人類の汚物の化石は初めてだった。何百年、何千年、何万年かはわからないがここで隠れて気が遠くなるほどたくさんの人たちが用を足していたのだ。昔からずっと長い時をかけて発酵し、熟成して、化石化するというこの永久輪廻のバトンがいま僕に渡されたのだ。僕はこの壮大な大河ドラマの出演者の一人としての重い宿命を背負って、ここで用を足した。

Karsi village

カルシのメインストリート。
商店が軒を並べている。
物が東から西へ。
西から東へ。
時にここから北へ、流れていく。
ここは物流の拠点でもある。
戦争時には武器を運んだり、
はるか昔には、国を越えて物が運ばれていたのだ。
カルシは時代を静かに見続けている。
これからもそれは変わらないのだろう。


 ジミーの知り合いの店に入って、昼食を取る事にする。マサラが胃を変に刺激したのか、ここ一、二日はマサラ食を控えようと思った。メニューを聞くと今はマサラ食しか出せないなんて言うので、ヌードルの袋を見せてもらって、そこからマサラの粉末を抜いてもらい、塩とコショウだけで料理してもらった。そこではネパール人が料理を作っていて、出されたヌードルの味に期待はしていなかったが、一口食べて見るとこれがうまい。僕の味覚は日本人の平均からしてもかなりあやしいのだが、それを差し引いてもうまかった。ふはふはといいながら、ヌードルを食べつつ、途中水を何回か食道に流し込み、最後にヌードルの残り汁をすべてたいらげた。

Noodle

ヌードル。
インスタントの麺に手作りのスープに野菜。
香りと味とほどよい食感。
ラダックでは料理人といえばネパール人。
先のウレトポ村のロイヤルファミリーの
料理人もネパール人。
ネパール人はきっと料理が上手な人種なのだろう。


 そしてぼくらはカルシのチェックポストを通過した。

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