Monday 15 February 2010

15.たくさんの集落

 僕たちはまたサンジェルンマ沿いを走っている。6人も乗ると窮屈なのだが話と車ははずんだ。
いろんな質問を浴びせられたし、僕もいろんな事を聞いた。
「日本はどこにあるの」
 僕は地図を広げながら説明する。中国の西の果てに接しているこのエリアと中国の東の果ての日本。彼女たちは地図を食い入るように見る。世界の大きさと日本の小ささに驚いているようだ。
「日本は車を作るのが上手ね。」
「トヨタとか。」
「トヨタ?」
「スズキとか。」
「あっ、スズキ知ってる。村の人で乗ってる人がいる。」
 なんて話をしていると
「あそこに見えるのがパルグ村。」
 僕がその方向に目を向けると、山の斜面にたくさんの家が密集していた。

Chiktan village

パルグ村。
山の斜面にたくさんの家が集まっている。
その下には村を見守るようにマスジドが建っている。
どんな村だろうと僕は思いを馳せる。
その村で生活している、おじいさん、おばあさんを想像する。
その村で生活している、子供たちを想像する。
その村で生活している、若者たちを想像する。
笑ったり、泣いたり、喜んだり、悲しんだり。


「食べ物はどんなものがあるの?」
「お寿司、すきやき、てんぷら。」
「お寿司知ってる。食べた事ないけど。」
「すきやきって?」
「牛肉を砂糖とジャパニーズソースで味付けして煮込んだ料理。」
「牛肉食べるんだ。イスラムは牛肉はハラール処理がしてあれば食べられるんだけど、このエリアの人たちは牛肉は食べないの。鶏肉とマトンがほとんど。」
「日本もね。100年以上前は牛肉を食べる文化はなかったんだよ。」
「へー、そうなんだ。」
 そう話しているうちにサムラ村に到着した。僕らはここでラジーの友達二人をおろした。

Chiktan village

サムラ村。
山の懐に密集する村。
ここチクタンエリアは広い平地があっても、
山の中腹とか山を背にして作られている村が多い。
ここの山岳民族はムスリムだが、
はるか昔には土着の宗教のようなものがある。
その最たるものが山岳信仰なのだ。
憂愁の昔は山の神(そんな言い方はしないか、レジェンドと言っていた。)
を信仰していたのだ。
集落は神にちかいところに作られる事が多いのだ。


 僕たちはまたしばらく車を走らせる。ラジーが
「あれは、トングス村。」と言った。

Chiktan village

トングス村。
この村の先に橋が架かっており、
橋の向こうにチェックポストがある。
カルギル方面からチクタンエリアに入るときは、
このカングラルチェックポストで申請しなければならないのだ。
レー方面からはサンジャクチェックポスト、
カルギル方面からはカングラルチェックポストで厳重に出入りは
チェックしている。


 橋の手前でUターンをしてチクタン村ズガン地区に引き返す。帰路の車の中で僕はラジーにいろいろ聞いてみた。
「チクタンエリアは、すごく危険なところを想像してたよ。」
「危険てどんな事?」
「テロリストが出没したり。内紛が起こってたり。外国人観光客が拉致されたり。」
 ラジーは飲みかけのミネラルウォーターを吹き出した。
「ここは今まで、そういう危険な事は起こった事がないの。先のカルギル紛争でも、危ない事に巻き込まれた事がないし、最近はアイスホッケーの親善交流のため毎年アメリカからチームや先生がやって来るのよ。チクタンホッケーチームは強いんだから。」
「へー。」
 僕は驚きの声をあげた。そうしているうちに僕らはチクタン村に帰って来た。

Chiktan village

チクタン村のメインストリートのチクタン川。
この川を車で奥まで遡上したりするのだ。


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