僕たちはマグドゥンソブ聖者廟に向かう。石で出来た大きな門をくぐり、丘を登っていく。丘の中腹に車を止め、階段を登っていく。階段を登りながら左手に目をやると、古い大きな石製の建物が見える。これは以前は使われていたマグドゥンソブ遺跡だ。この遺跡は1658年に造られたものだ。今は新しい建物がこの遺跡の上の方に建てられている。丘の中腹から見るスリナガルの街並みはすばらしく美しい。僕たちはマグドゥンソブの聖者廟に入っていく。
旧マグドゥンソブ遺跡。
マグドゥンソブ聖者廟。
僕たちはマグドゥンソブ聖者廟の長い回廊を歩いていく。東西南北長い廊下が伸びていて、窓から差し込む光がより神聖なイスラム文化を演出していた。山の上にあるのにムスリム教徒がたくさん来ていた。女性はマジッドには入れないので、代わりに聖者廟という亡くなった過去に存命した偉大な聖者の墓にお参りに行く習慣という話を後日聞いた。各々の教徒が各々の場所で祈りを捧げている。厳粛でいて幽玄で、壮大でいて繊細なところもある聖者廟なのだ。窓から見えるスリナガルの景色もまた格別だった。
マグドゥンソブ聖者廟の回廊。
祈りを捧げる教徒。
談話する教徒たち。
僕たちも祈りを捧げる。ゆったりと静かに祈りを捧げるのだ。クアラーンを唱えるのだ。ムスリムにとって大切な六信五行という六つの教義と五つの行為があり、この礼拝というのが五つの行為の内の一つなのだ。礼拝はスンニ派は一日五回、シーア派は一日三回と決められている。スリナガルにはシーア派が多いと思っていたが、実は圧倒的にスンニー派が多いという話も後日聞いた。お祈りをしていると日本の禅寺にでもいるような錯覚に陥る。深く深く祈りを捧げる。そして目を覚ますと同時に僕はこちらの世界に帰って来るのだ。
祈りを捧げる女性。
マグドゥンソブ聖者廟の窓から望む
スリナガルの街並。
僕たちはマグドゥンソブ聖者廟の出口でタマルクを貰う。ここのタマルクはサフランライスだった。このタマルクというのは日本では神社を参拝した後に頂く神酒のおとそのようなものなのだ。
タマルク。
僕たちは車に乗り込むとさっそく出発した。車の窓からはハリ・パルバが見えてきた。このハリ・パルバは1808年にスリナガルを統治する目的でドゥッラーンが建てた巨大な砦だ。
丘の上のハリ・パルバ。
旧マグドゥンソブ遺跡。
マグドゥンソブ聖者廟。
僕たちはマグドゥンソブ聖者廟の長い回廊を歩いていく。東西南北長い廊下が伸びていて、窓から差し込む光がより神聖なイスラム文化を演出していた。山の上にあるのにムスリム教徒がたくさん来ていた。女性はマジッドには入れないので、代わりに聖者廟という亡くなった過去に存命した偉大な聖者の墓にお参りに行く習慣という話を後日聞いた。各々の教徒が各々の場所で祈りを捧げている。厳粛でいて幽玄で、壮大でいて繊細なところもある聖者廟なのだ。窓から見えるスリナガルの景色もまた格別だった。
マグドゥンソブ聖者廟の回廊。
祈りを捧げる教徒。
談話する教徒たち。
僕たちも祈りを捧げる。ゆったりと静かに祈りを捧げるのだ。クアラーンを唱えるのだ。ムスリムにとって大切な六信五行という六つの教義と五つの行為があり、この礼拝というのが五つの行為の内の一つなのだ。礼拝はスンニ派は一日五回、シーア派は一日三回と決められている。スリナガルにはシーア派が多いと思っていたが、実は圧倒的にスンニー派が多いという話も後日聞いた。お祈りをしていると日本の禅寺にでもいるような錯覚に陥る。深く深く祈りを捧げる。そして目を覚ますと同時に僕はこちらの世界に帰って来るのだ。
祈りを捧げる女性。
マグドゥンソブ聖者廟の窓から望む
スリナガルの街並。
僕たちはマグドゥンソブ聖者廟の出口でタマルクを貰う。ここのタマルクはサフランライスだった。このタマルクというのは日本では神社を参拝した後に頂く神酒のおとそのようなものなのだ。
タマルク。
僕たちは車に乗り込むとさっそく出発した。車の窓からはハリ・パルバが見えてきた。このハリ・パルバは1808年にスリナガルを統治する目的でドゥッラーンが建てた巨大な砦だ。
丘の上のハリ・パルバ。
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