2011年5月26日木曜日

31.カルギルの日。

 カルギルのポログラウンド(カルギルで一番広いタクシーなどが駐車してある場所)前の道を歩くとカルギル・バザールの道に突き当たるのだが、このT字路の名前をTチョウクといい、ポログラウンドからTチョウクまで道の左側から、なにやらミルク紅茶や塩茶の良香が鼻の周りを遊ぶので、よく見るとそこにはくすんだ赤色やら、はげた緑色やらで塗られた店構えの茶屋が所狭しと立ち並んでいる。

 カルギルは茶屋の街でもある。密度はあの喫茶店天国の名古屋を軽く凌ぐ勢いなので、我が郷土はその点でいうとまだまだよちよち歩きの赤ん坊であるといえる。カルギルの朝はこの茶屋から漂って来る紅茶と焼きたてのローカルパンの匂いで始まる。

 そんな事を考えていると、その中のある一つの茶屋の窓の向こうで紅茶をたてている店のおやじと目が合う。おやじは歯ぐき見せて顔をしわくちゃにしてニッコリ、立ち止まって考える間もなく、僕も日に焼けた顔にアジアの微笑をたたえつつ、あうんの呼吸でその店にゆらりと吸い込まれるように入っていく。

 茶屋の中は仕事前の労働者でところ狭しと埋まっていたから、彼らにはもっとより深くにお尻を移動してもらい、そこにはネズミ一匹分ほどのスペースが開いたので、僕もお尻を小刻みに左右に振りながらその隙間へと滑り込む。

 店のおやじは僕が無事着席したのをちらと見て、寡黙に紅茶をたて始めるのと同時に、棚から卵を二つ指の太いのの間にはさみ込み、フライパンの上でそれを小気味よい音をたてて割る。フライパンに落ちた卵の焼ける匂いの混じった煙は朝の空気と混じり合い、芳醇なカルギルの朝の香りを産み出す。

 スプーンで手際良くかきまぜて作られたスクランブルエッグは朝のまだ星が見えてる時間にスリナガルから運ばれてきた卵たちだ。少し傾いたテーブルに置かれた紅茶とスクランブルエッグ、それに焼きたてのギルダが二枚。

 このギルダはカシミール地方独特のローカルパンで、(レーでも食べられる。)大きな壷を熱して、その内側に小麦粉を練って平たくしたものを貼付けて焼いていく。

 その絶妙な厚みにごわごわパリパリとした焼きたてのギルダは卵を挟むんでかぶりつくと、その食感の上に卵のジューシーさが加わり、はんなりとした甘みが口の中でさわやかに瞬き、その至福な衝撃が食し終わるまでずっと続くのである。

 紅茶で舌を濡らしながら、その至福を味わい尽くすのである。いよいよ食べ終わり、しわくちゃのルピーを一枚ずつ広げてわたすと、店のおやじは”また来いよ。”と目尻の多くのしわを気持ちよく下げながら野太い声で低く言う。こうしていつものカルギルの朝が始まるのである。

 Tチョウクを右に折れたバザールの中で、多くの果物野菜の屋台が赤や黄や緑などの多くの色を鮮やかに発色させているのが目に飛び込んで来る。5月に入り雪で半年以上閉ざされていたゾジ・ラが開通すると、スリナガルやパンジャビ方面から数多くの果物野菜が運ばれて来る。

 バザールを色豊かに彩っているのはパンジャビ方面から運ばれてきた果物野菜で、バナナ、マスクメロン、ウォーターメロン、マンゴ、トマト、ピーマン、きゅうり、大根、じゃがいも、にんじん、たまねぎ、青とうがらし、キャプシキャンなどが淑やかに華やいでいる。

 この中のバナナにはちょっとした思い出があり、僕は去年の初夏にアチナタウン村にて車の中で泥のようになって眠った翌日に、木々の間からやわらかなシャワーのように降りそそぐ朝の天使たちに起こされ、道端に流れ込む湧き水で顔を洗っていると、木々の間から現れたうら若き村の小娘たちに一本のバナナを貰ったのだが、その時彼女たちはそのバナナの皮をさっそうとむくと、懐から果物用の小さなナイフを取り出して、それでバナナの縦の方にサクッと切れ込みを入れ、そこに塩をささっと塗り、渡してくれたのである。

 僕はバナナに塩をつけて食べるのは始めてだったので、躊躇しつつ一口食べると熟したバナナの甘みが押さえられているのと同時に、今まで感じ得なかった繊細な食感と芳醇な香りが立ち上がってきて、味、食感、香りと三つが口の中で踊ったのをよく覚えている。 

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 バザールの外れにミッション・スクールがあり、それの道を挟んで反対側にカルギルの街の天上に続く階段が続いており、街並が一望できるその階段を感嘆しつつ、一段一段登っていくと、ある店の屋根では売り物の繊維を色づけしたものを初夏の太陽のもと乾かしているバルティ職人の姿や、ある家の屋根では赤いスカーフで頭を優しく抱いているお母さんが赤ん坊と一緒に洗濯物の下でうたた寝しているのが見えたりする。

 そして息を切らして登り切った場所に威風堂々と建っているのがカルギル・ミュージアムである。

 この博物館ではカルギルの街を貫いているシルク・ロードにて、あのころ多くの国々、民族と交易をしていた懐かしい栄光の時代に集められた貴重な物たちが、密やかにその頃の思い出を人々にささやきながら、彼らは語り部としてここで寝起きしているのだ。

 それらの品々をちょっと覗き込んだだけでも、中央アジアから1896年に運び込まれたシルク。16、17世紀のモンゴルから19世紀のバルティスタンから18世紀のタジクから18世紀のトルコから17世紀のカシミールからの杯。17世紀の中央アジアからヤクの皮で作られた靴。

 1735年の中央アジアからの馬のサドル。17世紀のキリスト教徒が持ち込んだ多くの薬瓶。1945年の日本が負け第2次世界大戦の終焉を伝えるニュースペーパー。

 ハグニス村からの古き衣装の数々などが我先にと語り始めるのが伺える。シルク・ロードの数多くの品物はその時代の様々な国々の匂いを現在に伝え、これからも伝え続けるのである。

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 カルギルの街の人や文化の交流の季節は今年もまた始まったばかりである。独特の芳香を漂わせるこの街はシルク・ロードの時代より続いているトレーダーや旅人の重要な文化の交差点であり、人間の混沌や優婉や厳峻や悲愁が瞬き通り過ぎる場所なのである。

 小さな茶屋の赤い塗装がはげたテーブルの上で、商人たちは細いパイプの先から出る煙をくゆらせて、大小の商談についてその鋭い眼光を日に焼けた肌とたおやかな表情の影に隠しつつ、大胆かつ声低く語り合っては、泣いたり笑ったりしているのだが、それらがこの街では今日もまた星の数ほど明滅しているのである。

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