チクタン村の真ん中を流れるチュルングス川は遡上するとカクホル山の山頂に源流を持つ。その山頂付近にシュクパ・ワンチャンという名の古い古い大きな木が2本あるという。僕は3人の少年に先導され、その伝説の木に向かうことにした。
その少年たちの格好はみんな揃ってせった履きで一人はジャージの上下、一人はニット生地のパーカー、一人はわりとまともに見えるアウターを着ていた。
今日はいつ雪が降ってもおかしくないような天気であり、頂上付近は標高4000メートルをゆうに越えており、しかも最近にしてはめずらしく寒い日ときているのに、みんな近所のコンビニにでも行くような格好なのだ。(コンビニなんていうものはないのだが・・。)一方僕はトレッキングシューズにマウンテンジャケットにとなんだか大変引け目を感じしまう。
とにかく僕らは出発した。チクタン村の家々が途切れてきて、植樹してあるエリアに入っていく。このエリアは日曜日の休養日になると村人が新しい木を植えに来るところで、土地を人が持つのではなく木を人が持つ場所なのだ。
おのおのの木々にはどの村人のものかの所有が分かるように布が巻き付けられていたり空き缶が木に括りつけてあったりとしてあるのだが、それが時々わんぱく坊主たちの標的になり、クリケットの腕を磨くために石をぶつけられて、目印がみごとに落とされたりする。
ジャージ姿の少年が植樹してある二メートルほどある木を二本引き抜いて、手に一本ずつ持って歩き出した。僕がどうするのと聞くと内緒という答えが返って来る。とにかく僕たちは植樹エリアを抜けしばらく渓流に沿って歩いていく。
目の前に雪を山頂に頂いている山が見えてきていて、この山の左斜面にある丘には女の子が神と一緒に登ったという伝説があり、この丘の名前はボモ・ドンサと言うのだが、この付近で二人の女の子は二つの岩に姿を変えてしまったと言われている。そんな話を聞きながら、しばらく歩くと雪渓が目の前に現れて来る。
この雪渓の下には渓流が流れており、僕はこれをたびたび踏み抜いた。踏み抜いたとしても真下50センチくらいのところに静かに日にかざすときらりと光る水が流れており、そこに足を落としても流れに足が持っていかれるわけでもなく、どうなるわけでもないのだが。だが少年たちは実に軽やかに雪渓を踏み抜く事無く進んでいく。
僕はせったことサンダルに特殊な秘密があるとにらみ5分ほど借りてみたのだがとても普通に歩ける代物ではなかった。やはりハートと経験とあれやこれやが違うのだ。途中小さな滝が勢い良く落ちており、僕らはそこで短い休憩をとった。
写真をとったり小便をしたり・・。また歩き出すと目の前が開けてきて山頂が迫ってきた。15分ほど歩いたところでそれは飛び込んで来た。
シュクパ・ワンチャン。山頂付近にそれはあった。樹齢2000年を越えると言われるその大木は緑の葉を大量に抱え、それが乾いた山の尖ったところの懐にこつ然と現れた時、ミレーの騙し絵的衝撃が頭の中を走る。
それは乾いた山頂と緑の大木の対比があまりにも現実的でないからであり、突然遠い黄昏の日の映画の記憶が蘇ってきたからでもあった。
昔、”ヒマラヤ杉に降る雪”という映画があって、それはイーサン・ホークと鈴木杏が大木の穴の中で密かな恋を育む物語だったが、今その木が目の前にあるのだ。
映画のヒマラヤ杉は甘美で優しかったが、目の前のヒマラヤ杉は徹底的に孤独で厳しくもあり生命力が伝えようとしているものは、その優しさの中にあった。
少年たちはヒマラヤ杉ことシュクパ・ワンチャンの足下にいろりを作ると、ジャージの少年が運んで来た植樹の木々を細かく割ったり、引き裂いたりして、それで火を熾す。少年たちの一人がシュクパ・ワンチャンの緑が少し入ってる枝を折ってそれに火をつけ、僕に説明した。
昔々まだチクタン村が仏教の村だった時代、このシュクパ・ワンチャンの木の枝を炙ってそこから出る煙を体に浴びるまたは吸い込むと万病に効くと言われていたのだ。僕はその枝を灯した煙を吸ってみると甘い香りがした。体にあびると”あぁとげ抜き地蔵みたいだな”と思った。
少年たちは言った。
「今僕たちはムスリムだが、村で信じられている伝説などは仏教のものが多く、心の一番深いところにある文化的習慣の半分は仏教的なものです」
そんな話をしながら僕たちはラーメンをすすった。ジャージ姿の少年はかなり寒いらしく火のそばからなかなか離れようとせず、パーカーの少年はその美声で歌を聴かせてくれ、もう一人の少年は僕のアイフォーンでゲームをしている。
そうしているうちに雪が降ってきて、山頂付近は雪雲に飲み込まれようとしていた。僕たちは早々と下山する事にした。少し歩き振り返るとシュクパ・ワンチャンは吹雪の中にあった。それは伝説とか歴史などとは関係のない、ただ孤独の中にあった。
その少年たちの格好はみんな揃ってせった履きで一人はジャージの上下、一人はニット生地のパーカー、一人はわりとまともに見えるアウターを着ていた。
今日はいつ雪が降ってもおかしくないような天気であり、頂上付近は標高4000メートルをゆうに越えており、しかも最近にしてはめずらしく寒い日ときているのに、みんな近所のコンビニにでも行くような格好なのだ。(コンビニなんていうものはないのだが・・。)一方僕はトレッキングシューズにマウンテンジャケットにとなんだか大変引け目を感じしまう。
とにかく僕らは出発した。チクタン村の家々が途切れてきて、植樹してあるエリアに入っていく。このエリアは日曜日の休養日になると村人が新しい木を植えに来るところで、土地を人が持つのではなく木を人が持つ場所なのだ。
おのおのの木々にはどの村人のものかの所有が分かるように布が巻き付けられていたり空き缶が木に括りつけてあったりとしてあるのだが、それが時々わんぱく坊主たちの標的になり、クリケットの腕を磨くために石をぶつけられて、目印がみごとに落とされたりする。
ジャージ姿の少年が植樹してある二メートルほどある木を二本引き抜いて、手に一本ずつ持って歩き出した。僕がどうするのと聞くと内緒という答えが返って来る。とにかく僕たちは植樹エリアを抜けしばらく渓流に沿って歩いていく。
目の前に雪を山頂に頂いている山が見えてきていて、この山の左斜面にある丘には女の子が神と一緒に登ったという伝説があり、この丘の名前はボモ・ドンサと言うのだが、この付近で二人の女の子は二つの岩に姿を変えてしまったと言われている。そんな話を聞きながら、しばらく歩くと雪渓が目の前に現れて来る。
この雪渓の下には渓流が流れており、僕はこれをたびたび踏み抜いた。踏み抜いたとしても真下50センチくらいのところに静かに日にかざすときらりと光る水が流れており、そこに足を落としても流れに足が持っていかれるわけでもなく、どうなるわけでもないのだが。だが少年たちは実に軽やかに雪渓を踏み抜く事無く進んでいく。
僕はせったことサンダルに特殊な秘密があるとにらみ5分ほど借りてみたのだがとても普通に歩ける代物ではなかった。やはりハートと経験とあれやこれやが違うのだ。途中小さな滝が勢い良く落ちており、僕らはそこで短い休憩をとった。
写真をとったり小便をしたり・・。また歩き出すと目の前が開けてきて山頂が迫ってきた。15分ほど歩いたところでそれは飛び込んで来た。
シュクパ・ワンチャン。山頂付近にそれはあった。樹齢2000年を越えると言われるその大木は緑の葉を大量に抱え、それが乾いた山の尖ったところの懐にこつ然と現れた時、ミレーの騙し絵的衝撃が頭の中を走る。
それは乾いた山頂と緑の大木の対比があまりにも現実的でないからであり、突然遠い黄昏の日の映画の記憶が蘇ってきたからでもあった。
昔、”ヒマラヤ杉に降る雪”という映画があって、それはイーサン・ホークと鈴木杏が大木の穴の中で密かな恋を育む物語だったが、今その木が目の前にあるのだ。
映画のヒマラヤ杉は甘美で優しかったが、目の前のヒマラヤ杉は徹底的に孤独で厳しくもあり生命力が伝えようとしているものは、その優しさの中にあった。
少年たちはヒマラヤ杉ことシュクパ・ワンチャンの足下にいろりを作ると、ジャージの少年が運んで来た植樹の木々を細かく割ったり、引き裂いたりして、それで火を熾す。少年たちの一人がシュクパ・ワンチャンの緑が少し入ってる枝を折ってそれに火をつけ、僕に説明した。
昔々まだチクタン村が仏教の村だった時代、このシュクパ・ワンチャンの木の枝を炙ってそこから出る煙を体に浴びるまたは吸い込むと万病に効くと言われていたのだ。僕はその枝を灯した煙を吸ってみると甘い香りがした。体にあびると”あぁとげ抜き地蔵みたいだな”と思った。
少年たちは言った。
「今僕たちはムスリムだが、村で信じられている伝説などは仏教のものが多く、心の一番深いところにある文化的習慣の半分は仏教的なものです」
そんな話をしながら僕たちはラーメンをすすった。ジャージ姿の少年はかなり寒いらしく火のそばからなかなか離れようとせず、パーカーの少年はその美声で歌を聴かせてくれ、もう一人の少年は僕のアイフォーンでゲームをしている。
そうしているうちに雪が降ってきて、山頂付近は雪雲に飲み込まれようとしていた。僕たちは早々と下山する事にした。少し歩き振り返るとシュクパ・ワンチャンは吹雪の中にあった。それは伝説とか歴史などとは関係のない、ただ孤独の中にあった。
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