2011年5月5日木曜日

18.不思議な時。

 朝日の差し込む部屋で本を読んでいると、ヨセフの父が飛び込んで来た。

「裏の家の女が死んだ。」

 僕は女の家に向かった。既に女の家の前では沢山の人だかりできており、家の中からはコーランを読み上げる声と家族がすすりなく声が絶え間なく聞こえて来る。

 今日は女の葬儀で忙しい日になるのだが、もう一つ忙しい日の理由がある。今日は金曜日で金曜礼拝の日なのだ。一週間に一度宗教の指導者はチクタン村に訪れて、演説と礼拝を行う。それの用意でもチクタン村は忙しくなる。

 昼のなるとモスクに集まるように呼びかけるアザーンがチクタン村の渓谷にこだまして、村人は男女問わずモスクに集まりだす。

 モスクの前の広場で村人が並んで座り出すと、指導者の演説が始まる。その男は黒ぶちの眼鏡をかけ、白く長い口ひげをたくわえ、シャークと呼ばれる白い布を頭にかぶり、茶色の長いアバと言われるマントを颯爽にはおり、アサとよばれる杖でその大きな体を支えながら演説が始まった。

 コーランに書かれている内容をどのようにチクタン村での生活に生かしていくかを事細かくその男は聴衆の前で、時には叱咤して、時には優しく、時には鋭く聴衆の心を掴み、時には聴衆の心を突き放し、様々な手練手管で聴衆を魅了していく。

 その様子は歴史上の様々な偉人たちが辿ってきた長い道のりの一場面を見ているようでもある。演説が終わり次に礼拝が始まる。チクタン村はイスラム教シーア派がほとんどをしめる土地だ。シーア派の礼拝技法で村人は祈りを捧げていく。

 一斉に頭を下げたり、頭を上げたり、両手を水をすくうように上げたり、両手をお腹の前で組んだり、立ち上がったり、座ったり、読み上げたり、無心になったりをしながら礼拝をした。僕はまだ宗教を多くの民衆が信じていた頃の古き日本の姿と重ねてみる。

 でも僕はその古き日本の姿を本やテレビでしか知らない。そしてその日本の宗教は死に際にビジネスとして生活に関わって来る事しか僕は知らない。そして僕はその宗教を何も知らない。

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 裏山に行くと一匹の羊が解体されていた。この村では人が亡くなると動物が一匹食される。それは古くからのしきたりのようでもあり、日常の習慣のようでもある。亡くなった女は大きく穴が掘られた山の斜面に安置された。村人はそれを囲んで見ている。そして土が上からかけられる。傍らでは家族がすすり泣いている。

 そして安置場所のすぐ横に大きなテントが張られ、そこで三日三晩、女のためにお祈りをするのだ。そのテントの傍らで先ほど解体した羊などを料理し、食しながらお祈りを続けるのだ。朝も昼も夜も。その様子を見て僕はいつもコーランを読み上げているカルギルのマーケットの一人の男を思い出した。

 その男は朝、昼、晩と毎日いつも同じ場所で少し体を左右に揺らしながらコーランを読み上げていた。老眼鏡をかけ一心にコーランを読むカルギルの男の姿にテントの中で夜通しコーランを読むチクタン村の男の姿を重ねてみる。

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 そして三日後の朝がきた。葬儀最終日のセレモニー。この日は近隣の全ての村々の家族から一人ずつ集まってみんなで食事をする。朝からチュルングスの脇でマトンやダルやベジタブルのスープを大鍋で煮込む香りがチクタン村に漂う。次々と近隣の村々より人が集まって来る。

 チュルングスを挟んで右側が男たちのスペース。そして左側が女たちのスペースだ。日差しが頭上高く上がるまで村民たちの雑談が続く。近隣の学校より子供たちが集まって来ると、大皿にご飯とソースがのせられて、みんなに配られる。

 一つの皿で4人から5人分の量だが、日本人の感覚でざっと目視計算をしても7人から8人分くらいありそうだ。みんなでそれを食べながら雑談は続く。食事が終わったらセレモニーは終わりとなる。最終日は実にあっさりしたものだ。

 コーランを読み上げるでもなく、風変わりで興味深い儀式があるわけでもなく、ただ食べて雑談して終わりになったのだが、これが実に大切な事なのだ。近隣より家族の代表者が一人づつ集まる事で、より深い村々との絆が深まり、亡くなった人も浮かばれるというものだ。絆というのは社会作りの中で一番大切な物だと思う。

 絆なき社会そして利害関係のみで成り立っているような社会がどこかにあると聞いた事がある。本末転倒な社会がどこかにあると聞いた事がある。昔どこかの国にもあったような良き風習がチクタン村には残っている。今日僕はある男に聞かれた。

「この村の生活をどう思う?」

 僕は答えた。

「次世代の生活スタイルを送っている村だと思うよ。」

 夕日の差し込む部屋で本を読んでいると、ヨセフの父が飛び込んで来た。

「隣の家の女に子供が生まれたそうだ。」


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