「・・ワ・レーコン・サラーム。」
「どこに行くの。」
「シャカール村。」
「車で?」
「歩いて。」
「片道15キロ、往復30キロあるんだぜ。」
「分かってる。」
僕は自転車が欲しかった。
昔、クロスロードという映画があって冒頭にロバート・ジョンソンが悪魔に魂を売る代わりに神をも超越したギター奏法を手に入れる話があり、このエリアの村人は悪魔ならぬ天使に魂を売り、その代わりとしてヒマラヤ山脈とカラコラム山脈に囲まれた大自然の中での生活を手に入れたのだ。
よって自転車屋さんという店はこのエリアにはない。60キロ向こうとか80キロ向こうとかそのぐらい遠くにある店で買って持ち込まなくてはならない。そんな気力も体力も財力もないので僕はあきらめた。
とにかく徒歩でシャカル・ドまで辿り着き、分岐を左に折れ、カンジ・ナラに架かる橋を渡り、シャカール方面に舵をとり進む。ここから4キロから5キロほど渓流沿いの道を歩いていく。渓流に沿ってのどかな田園風景が続いている。
この小麦畑はちょっとした段々畑になっており、それがずっと続く。と言う事はおいしい景色が途切れる事無く長く長く続くという事になる。この小麦畑は石を積み上げて段々畑を作っており、その石は平らな石だ。
この石は垣根やあぜ道の両側の塀などにも使われていて、イギリスのコッツウォール地方でも平たい石を積み上げただけの古い塀が見られるが、作りはそれと同じなのだ。
日本で段々畑というと丸山千枚田や能登の千枚田、他に島根や新潟などのものが有名で、それは上から下まで圧倒な段数と猫の額程の田んぼたちが魚の鱗状にみっちりと貼られてるわけだが、ここの段々畑は上ではなく横に長い。2段3段4段と作られている段々畑が横にそして奥に伸びていく。
時にそれは上と下が入れ替わったりしながらも滑らかにかつ優雅に伸び続けるのだ。
そして僕はシャカール村の中心地に到着した。時計を見ると出発してから3時間以上が経過している。まっ、こんなもんだろう。
メイン・マーケットの中にある茶店に入り、僕はおやじにチャ・ナム・キン・トンを注文する。茶店の窓からはシャカール村が密集して山の懐に建っている。その後ろには立派な岩山が見える。
すると店のおやじが言う。
「昔々、あの岩山の頂上には王様の家が建っていて・・・。」
僕はもう一度窓の外にある岩山に目を移す。今は壊れてなくなってしまったらしいが、目を薄くしてまぶたの間から見るとまだ建っているようにも見える。・・・見えないヵ。それはカチョ王が建てたパレスだと言われている。そしてこの王様の子孫がこのシャカール村の人々らしいのだ。
文献がないので言い伝えを信じればそんなところだ。チャ・ナム・キン・トンが出てきた。チャ・ナム・キン・トンなんてかっこいい事言ったがようはグルグル茶である。塩バター茶である。この地方の言葉はプリキー語と言われる言葉でラダッキ語とはリトル・ビット違う。チャ・ナム・キン・トンというのもプリキー語らしいのだが。
茶店に座り、窓の外にある今は亡き望城の事を考えながら頂くグルグル茶はまた格別である。これをちびりちびりと頂くのである。鼻孔にはバターの香り、のどごしには茶葉と塩の感覚。胃袋にはそれらが混ぜ合わさって落ちていく。そしていっきに疲れと乾きが癒えていくのだ。
このエリアは先ほども語ったが石の文化である。そしてシャカールのパレスも石を積み上げて作られた。チクタン・カールも石を積み上げて作られている。このような岩山に咲く石の花は作りにくくて壊れ易い。でも石文化のこのエリアでは壊れたら作り直す。必要なら作り直す。何度でも何度でも作り直す。
その気の遠くなるような頑強なまでの文化の継続には敬服するばかりである。そして僕はシャカール村を調査して帰途につく事になる。
「どこに行くの。」
「シャカール村。」
「車で?」
「歩いて。」
「片道15キロ、往復30キロあるんだぜ。」
「分かってる。」
僕は自転車が欲しかった。
昔、クロスロードという映画があって冒頭にロバート・ジョンソンが悪魔に魂を売る代わりに神をも超越したギター奏法を手に入れる話があり、このエリアの村人は悪魔ならぬ天使に魂を売り、その代わりとしてヒマラヤ山脈とカラコラム山脈に囲まれた大自然の中での生活を手に入れたのだ。
よって自転車屋さんという店はこのエリアにはない。60キロ向こうとか80キロ向こうとかそのぐらい遠くにある店で買って持ち込まなくてはならない。そんな気力も体力も財力もないので僕はあきらめた。
とにかく徒歩でシャカル・ドまで辿り着き、分岐を左に折れ、カンジ・ナラに架かる橋を渡り、シャカール方面に舵をとり進む。ここから4キロから5キロほど渓流沿いの道を歩いていく。渓流に沿ってのどかな田園風景が続いている。
この小麦畑はちょっとした段々畑になっており、それがずっと続く。と言う事はおいしい景色が途切れる事無く長く長く続くという事になる。この小麦畑は石を積み上げて段々畑を作っており、その石は平らな石だ。
この石は垣根やあぜ道の両側の塀などにも使われていて、イギリスのコッツウォール地方でも平たい石を積み上げただけの古い塀が見られるが、作りはそれと同じなのだ。
日本で段々畑というと丸山千枚田や能登の千枚田、他に島根や新潟などのものが有名で、それは上から下まで圧倒な段数と猫の額程の田んぼたちが魚の鱗状にみっちりと貼られてるわけだが、ここの段々畑は上ではなく横に長い。2段3段4段と作られている段々畑が横にそして奥に伸びていく。
時にそれは上と下が入れ替わったりしながらも滑らかにかつ優雅に伸び続けるのだ。
そして僕はシャカール村の中心地に到着した。時計を見ると出発してから3時間以上が経過している。まっ、こんなもんだろう。
メイン・マーケットの中にある茶店に入り、僕はおやじにチャ・ナム・キン・トンを注文する。茶店の窓からはシャカール村が密集して山の懐に建っている。その後ろには立派な岩山が見える。
すると店のおやじが言う。
「昔々、あの岩山の頂上には王様の家が建っていて・・・。」
僕はもう一度窓の外にある岩山に目を移す。今は壊れてなくなってしまったらしいが、目を薄くしてまぶたの間から見るとまだ建っているようにも見える。・・・見えないヵ。それはカチョ王が建てたパレスだと言われている。そしてこの王様の子孫がこのシャカール村の人々らしいのだ。
文献がないので言い伝えを信じればそんなところだ。チャ・ナム・キン・トンが出てきた。チャ・ナム・キン・トンなんてかっこいい事言ったがようはグルグル茶である。塩バター茶である。この地方の言葉はプリキー語と言われる言葉でラダッキ語とはリトル・ビット違う。チャ・ナム・キン・トンというのもプリキー語らしいのだが。
茶店に座り、窓の外にある今は亡き望城の事を考えながら頂くグルグル茶はまた格別である。これをちびりちびりと頂くのである。鼻孔にはバターの香り、のどごしには茶葉と塩の感覚。胃袋にはそれらが混ぜ合わさって落ちていく。そしていっきに疲れと乾きが癒えていくのだ。
このエリアは先ほども語ったが石の文化である。そしてシャカールのパレスも石を積み上げて作られた。チクタン・カールも石を積み上げて作られている。このような岩山に咲く石の花は作りにくくて壊れ易い。でも石文化のこのエリアでは壊れたら作り直す。必要なら作り直す。何度でも何度でも作り直す。
その気の遠くなるような頑強なまでの文化の継続には敬服するばかりである。そして僕はシャカール村を調査して帰途につく事になる。
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