Wednesday 18 May 2011

23.南京虫とボド・カルブー村。

 どうも最近腑に落ちない事があった。

 布団は外で連日バリバリになるまで乾かしているし、部屋の中の掃除は怠り無くしているし、衣類の洗濯も早朝チュルングス・ナラまで出て行って石けんでごしごし洗濯しているし、自分自身は石けんひとつで頭から足先までたまに磨き上げてるし、爪は切ってるし、歯は磨いてるし、でも朝起きると体中がかゆく、毎晩南京虫に数十カ所とむしゃぶりつかれているのだ。

 ベッド・バグ事この南京虫は半端無く痒く、痒みが引くまでに結構かかる、食われた痕も数キロ先から確認できそうなぐらい強烈だ。で昨晩分かった事があって夜中頭や顔になんか降って来る。ぼとぼとぼとぼと降って来る。それが南京虫だったのだ。僕の頭めがけて降下してきていたのである。

 この地方の家の作りの特徴に天井部分は梁の上に、木の枝を敷き詰めて作ってある屋根がほとんどで、その敷き詰めてある木の枝に、春が来て暖かくなってたぶんもぞもぞと動きたくなったのでしょう、びっちり生息していたのである。そう春は南京虫にもやってきたのである。

 殺生はよくないのでというか、ここは大自然の中であり、南京虫コロースジェットとか南京虫デスアースとか売ってないので僕は彼らと住み分ける事にした。下は僕のすみか。上はあなたたちのすみか。布切れを天井に敷き詰め、貼付けるのである。

 昔のこの地方の人たちは料理などで出る排煙は煙突を使わず直接家のの中でもくもく、そのなごりで古い家などは天井に敷き詰めてある枝が真っ黒になっているのを良く見受けられる事がある。あれは虫たちをいぶり出す事に絶大な効果がある事も今分かった。

 僕がカルギルのアパートに居候していた時も知り合いが天井の絶妙なデザインの敷き詰めた木の枝を布で隠していたのを見た時、なんで隠すんだろうと思っていたのだがその理由も今分かった。たぶん虫との戦いは人間の永続的なテーマなのだ。戦うか住み分けるか。

 日本は戦う事を選択したようだが、この地方では住み分ける方を選択している。とにかく僕は今日から南京虫の隣人となったのだ。

 チクタン村よりバスにゆられ一時間ほど行くとボド・カルブーという村がある。その手前にはムンディク村があり、この村を通過する時に左手のとんがった岩山の頂上にムンディク・カール事、ムンディク城の遺跡が見える。

 その城は廃墟となった今は土台部分しか残っていないが、先人たちの苦労一端が垣間みれて、一瞬目を見開いて視入ってしまう。

 そしてボド・カルブー村に到着する。この村の左手の岩山にもボド・カルブー・カール事、ボド・カルブー城がそびえており、この岩山の頂上はやや平たく広くなっていて、そこに一面、ボド・カルブー城の遺跡が土台部分を残して建っているのだ。

 チクタン城ほどの規模ではないが、これも一瞬”おっ”と声をあげてから”うーん”うなってしまう代物だ。このお城の裏側に道が奥の方まで続いており、これを一時間ほど歩いていくとボド・カルブー・ゴンパが見えてくる。

 このゴンパは小高い丘の上に作られていてラマは寝泊まりする夜にだけ戻って来ると地元の人に聞いて、中を見るのはあきらめて帰途についたが、その途中真っ昼間なのに大勢のラマを載せてボド・カルブー・ゴンパに向かう一台のトラックと擦れ違った。ボド・カルブーのはずれまで進んでいくとある物が見える。

 日本国内で国道なんかを使って旅行をした時に、気持ちのよい田園風景の中、赤白金色の豪華絢爛の中国の寺院風のはたまた台湾の寺院風の道の駅に出会う事がある。

 あのデザインと色彩は中国や台湾の中にあってその派手さと存在意義に意味を持つのに、日本国内ののどかな牧歌的風景の中にそれが突然出てきてわびしい気持ちになった事がある。

 そして今、ボド・カルブー村のはずれの地区にそれが目の前に猛然と現れて、僕はとっさに目を伏せて踵を返した。僕は何も見ていない僕は何も見ていないと独り言を言いながら歩いてる日本人を見たという地元の人に出会ったらたぶんそれは僕の事です。

ladakh


ladakh


ladakh


ladakh


ladakh


0 comments:

Post a Comment

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...