Monday 21 July 2014

27.ヘミス・フェスティバルとゴツァン・ゴンパ。

また僕はダンマ・ハウスに滞在しているわけだが、この七月の初旬はチョグラムサルでのダライ・ラマによるカラーチャクラ・ティーチングがあるので、ダンマ・ハウスは外国人観光客と外国籍のお坊さんとであふれていた。そこで一番親しくなったのは、イスラエル人のロイで、彼は壊れやすく繊細な心の持ち主のとても優しい男なので、かの国では生き難いのではないかと心配になったりする。よく彼がダンマ・ハウスのテラスに座り、ギターを抱え、ボサノバを爪弾いている姿を良く見かけた。それはアントニオ・カルロス・ジョビンだったり、ジルベルト・ジルだったりした。二番目に親しくなったのは、日本人カメラマンの方で名前は失念したので、カメラマンさんとお呼びすることにする。彼はレーでタイのお坊さんからこのダンマ・ハウスの事を聞き、また日本では僕のブログを通してダンマ・ハウスの事を知っていたので、ここにお世話になりに来たと言う。もちろんダンマ・ハウスのスタッフ一同は大歓迎だ。そして僕は彼から前項でも書いたスクルブチャン村の五体倒置の話を聞き、涙が出るほど感動したと言っていたのがとても印象的だった。

ダライ・ラマのティーチングを数日聞いた後、ヘミス・フェスティバルの行きの話が出たので、それに参加することにした。だから僕とロイとカメラマンさんはワンボックスのタクシーに揺られ、インダス川沿いを、ヘミスに向かい走っている。レー・マナリ・ハイウェイの左に向かうとパンゴン・ツォ、右に向かうとマナリへ行くところにある分岐の村より道を外れて、インダス川を渡りヘミスに向かう。ヘミスへ向かうなだらかな高原は千畳敷の丘陵となっていて、そこからインダス川対岸のヒマラヤの山々が良く見える。




僕らはヘミス・マナストリーへ到着するとその門をくぐり抜け中庭に入って行く。すでにその中は外国人観光客でいっぱいだった。払ったお金で席が決められているらしく、高いところの見晴らしが良い場所はたくさんお金を払った方のものだった。少々げんなりしたが、致し方ない。”ブオー”の縦笛の音と太鼓の変拍子のリズムが鳴るとさっそくフェスティバルが始まった。境内をカメラを持った大勢の外国人たちが囲む。最初に金色のお面を被った使徒が登場し、手に持ったけん玉のようなものをくるくる回しながら、太鼓の音に舞う。その次に様々な色とりどりで、大小のお面を被った者たちが現れ、その中の一番巨大な体躯の黄金色のお面の者はリンポシェである。その者たちは次々と境内を一周すると、その一辺に一列になって座る。きっと真ん中の黄色の傘の下の巨躯がリンポシェ、その右側の黄色い顔で小さな玉をあたまにたくさん持っているのが仏陀、あとはよく分からなかった。閻魔大王のような顔を持つ者、獅子舞のような顔を持つ者、ヒンドゥーの神のような顔を持つ者、弁財天のような顔を持つ者、こなきじじぃのような顔を持つ者、ピッコロのような顔を持つ者など様々な何かがそこにはいた。次に子供たちが登場して、変拍子の太鼓に合わせてリンポシェたちに舞いを献上する。金属の小さな楽器のしゃんしゃんという音や手に持つ小さな太鼓をバチで叩くと鳴るポポンポンという音に合わせて子供たちは舞う。艶やかに楽しげに舞い終わると、その献上されたものにリンポシェや周りの仏や神はとても満足した様子を見せる。次にあちらの世界に並んで座っていた仏や神々までもがリンポシェに舞いを献上する。さながらこの光景は天の岩戸に隠れた天照大神を誘い出すために、神々が楽しげな舞いを演じるあの場面を思い起こさせた。そんな感じで前半の催しは終わった。












後半は見る意味があまりないように感じた。僕たちの総括としては、フェスティバルが観光客のための見世物イベントに落ちぶれており、そこには神聖なもの、儀式的なもの、神秘的なもの、呪術的なものは少しも感じられず、何のためのものなのかが分からなくなってきている。果たしてこれは正しい道なのだろうかという事も含めて僕らはこの催しの未来を危惧した。これならばラダックの小さな村々で行われるお祭りのほうが、とても意味があるものが多いと感じた。例えば今年ストクの村でこんな不思議な祭りを経験した。モンクが仏陀の骨を持って村内を練り歩くのだ。伝統的な笛の音と太鼓の音に合わせて練り歩くのだ。そして最後のゴンパに差し掛かると村人たちが仏陀に舞いを献上する。これにはとても感動した覚えがある。仏陀の骨が入った入れ物は東京タワーの展望台で売られているような安物のその中がキラキラ光るガラス容器にしか見えず、しかしその祭りの心は僕にはしっかりと見えたのである。スリランカで催される仏歯をゾウの背に乗せ各街を練り歩く祭りも素敵だったが、このような質素でいて神聖なまつりもとても刺激的だったのを覚えている。

さて僕たちはこのヘミス・マナストリーの裏山の頂上にあるゴツァン・ゴンパに向かうこととした。始めは森林の木漏れ日の中を歩いて行く。脇には清流がさやさやと流れており、疲れたら時々山から流れてきているその水を口に含む。よく外国人観光客の参拝者たちとすれ違う。ご高齢の方々も多く、しかしみんな自分達なりのペースでこのショート・トレイルを楽しんでいるようだ。突然その木漏れ日地帯がなくなり、目の前が開けてくると、岩肌がむき出しのある程度斜度がある山が見えてくる。その山肌には参拝コースが作られていて、それが山頂まで続いているのが見える。山頂には白い建物が集まっているのが確認できた。ゴツァン・ゴンパだ。僕たちはゆっくりとであるが、そのゴンパに向かい道をしっかりと登ってゆく。道は何度もくねりながら高度を上げていっており、右手側は深い谷である。ここまで来ると行き交う人たちの顔には疲労が見えるが、しかしみんな額の汗を拭いつつも充実した顔をしている。山頂近くのゴンパの手前まで来ると、複数のチョルテンが鎮座しているので僕たちは時計回りにそれらを征服してゆく。ヘミス・マナストリーを出発して一時間半ほど経っただろうか、やっとのことでゴンパにたどり着く。山頂の白亜のゴンパ群は青い空によく映えてとても美しく、登頂を果たした人々がその横で寄り添うようにして休んでいる。ゴンパに入ってみると仏陀の描かれた画が壁一面を飾っており、黄金色のリンポシェの像が真ん中に鎮座している。そのゴンパもまた厳しい場所にある他のゴンパと同じで、山肌のケーブの形を生かした作りになっており、そのほら穴の中にはリンポシェが寝泊まりや炊事をしたスペース、そして見上げるとリンポシェが穿ったと言われている指の形をした跡などが確認できた。僕たちはゴツァン・ゴンパでの参拝を終えて、このヘミスの地を後にした。



ダンマ・ハウスに戻るとヴィヴェックより、イスラエルがガザ地区への爆撃を開始して、すでに数多くの死傷者が出ている話を聞いた。それを聞いたイスラエル人のロイは絶句して悲痛な顔をしたかと思うと、次の瞬間には嗚咽を漏らし始めていた。


1 comment:

  1. 本城 純一郎様
    日本よりこのHPの写真とチクタン村のYouTubeを少しお借りしたく。新しいHP作りの参考に。お許し下さい少しの間だけです。あらヨット

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