僕はダマスカスの北東にあるガラージュ・マアルーラからセルビスに乗り込みマアルーラ村に向かう。セルビスは北へ向かい、途中から道を逸れて荒涼として岩山に入っていく。走る事一時間、セルビスはマアルーラ村に到着する。
マアルーラは岩山にへばりつくように広がっている小さなキリスト教徒の村だ。イエスが布教の時に用いてた言葉はアラム語と呼ばれる言葉で、古くは紀元前1800年前後から紀元前1600年前後のバビロニア帝国時代、紀元前600年前後から紀元前500年頃までアムル人が使っていた言葉だ。
アラビア語が普及する7世紀頃までは西アジア一帯の国際語となっていた。しかし今はアラム語を話す地域は減ってきていて、東方アラム語はシリア・イラク・イラン・トルコ・グルジア・アルメニアの少数の村で、現代アラム語は少数民族アッシリア人によって話されている。
そしてこのマアルーラで話される言葉は西方アラム語で、イエスも西方アラム語を話していたのだが、この西方アラム語を話す村はマアルーラ、バハー、ジュッバーディンの三つの村だけになってしまったのだ。
聖テクラ修道院。
紀元一世紀、パウロの弟子であったテクラ婦人が父の差し向けた兵士に追われて、この山に逃げ込んで来た。テクラが祈ると山はまっぷたつに割れてテクラはその割れ目を通って逃げる事ができたのだ。
岩山の頂きに立つイエス・キリスト像。
岩肌にへばりつくように立つマアルーラ村と教会。
マリア像。
テクラ婦人が逃げてきた時、祈ると現れたとされる山の裂け目。この裂け目が100メートルほど続く。実際に裂けたような、自然の力でもなく、人の手が加わった裂け目でもない、不思議な場所だ。
僕は岩にへばりつくマアルーラ村の路地を散策する。
トンネル状の路地をくぐりぬけて。
僕は路地を下っていく。
さらに路地を下って行き、振り向くと教会が覗いていた。
下まで降りて道を歩いていると、上から声がする。僕は声のした方向を探す。5階建ての建物の4階部分から一人の若者が顔を出している。
「上がってこないか?」
僕は少し考えてから、
「OK、行くよ!」
と返事を返す。
僕は建物に上がっていき、その窓から見える美しい景色に驚いた。
窓からみえる岩肌にへばりつくマアルーラ村の景色。彼はこの景色を僕に見せたかったのだ。
彼の子供とおばあちゃん。
下では子供たちが手を振っていた。通学用のトラックだ。
僕は彼の家を後にしてまた歩き出す。マアルーラ村の路地があるエリアは広い。有名教会には観光客がたくさん集まっているが、路地を散策しているのは僕だけのようだ。
マアルーラの風景はどこから見ても美しいのだ。
岩肌に立つ教会。
散策していると子供たちに出会った。
上から声がしたので見上げると女の子がいた。
マアルーラはキリスト教の村と言われているが、実際はモスクもありムスリムもたくさん住んでいるのだ。もちろんこのマアルーラ村ではムスリムは少数はなのだが、しっかりキリスト教とイスラム教は共存しているのだ。
僕はモスクの前でセルビスを拾うとダマスカスに向かった。
マアルーラは岩山にへばりつくように広がっている小さなキリスト教徒の村だ。イエスが布教の時に用いてた言葉はアラム語と呼ばれる言葉で、古くは紀元前1800年前後から紀元前1600年前後のバビロニア帝国時代、紀元前600年前後から紀元前500年頃までアムル人が使っていた言葉だ。
アラビア語が普及する7世紀頃までは西アジア一帯の国際語となっていた。しかし今はアラム語を話す地域は減ってきていて、東方アラム語はシリア・イラク・イラン・トルコ・グルジア・アルメニアの少数の村で、現代アラム語は少数民族アッシリア人によって話されている。
そしてこのマアルーラで話される言葉は西方アラム語で、イエスも西方アラム語を話していたのだが、この西方アラム語を話す村はマアルーラ、バハー、ジュッバーディンの三つの村だけになってしまったのだ。
聖テクラ修道院。
紀元一世紀、パウロの弟子であったテクラ婦人が父の差し向けた兵士に追われて、この山に逃げ込んで来た。テクラが祈ると山はまっぷたつに割れてテクラはその割れ目を通って逃げる事ができたのだ。
岩山の頂きに立つイエス・キリスト像。
岩肌にへばりつくように立つマアルーラ村と教会。
マリア像。
テクラ婦人が逃げてきた時、祈ると現れたとされる山の裂け目。この裂け目が100メートルほど続く。実際に裂けたような、自然の力でもなく、人の手が加わった裂け目でもない、不思議な場所だ。
僕は岩にへばりつくマアルーラ村の路地を散策する。
トンネル状の路地をくぐりぬけて。
僕は路地を下っていく。
さらに路地を下って行き、振り向くと教会が覗いていた。
下まで降りて道を歩いていると、上から声がする。僕は声のした方向を探す。5階建ての建物の4階部分から一人の若者が顔を出している。
「上がってこないか?」
僕は少し考えてから、
「OK、行くよ!」
と返事を返す。
僕は建物に上がっていき、その窓から見える美しい景色に驚いた。
窓からみえる岩肌にへばりつくマアルーラ村の景色。彼はこの景色を僕に見せたかったのだ。
彼の子供とおばあちゃん。
下では子供たちが手を振っていた。通学用のトラックだ。
僕は彼の家を後にしてまた歩き出す。マアルーラ村の路地があるエリアは広い。有名教会には観光客がたくさん集まっているが、路地を散策しているのは僕だけのようだ。
マアルーラの風景はどこから見ても美しいのだ。
岩肌に立つ教会。
散策していると子供たちに出会った。
上から声がしたので見上げると女の子がいた。
マアルーラはキリスト教の村と言われているが、実際はモスクもありムスリムもたくさん住んでいるのだ。もちろんこのマアルーラ村ではムスリムは少数はなのだが、しっかりキリスト教とイスラム教は共存しているのだ。
僕はモスクの前でセルビスを拾うとダマスカスに向かった。
SECRET: 0
ReplyDeletePASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
初めまして
11月23から一人旅でダマスカスに行きます。
そこでこちらのHPを拝見させて頂いてます。
子供たちの笑顔の写真素敵ですね!
マアルーラにも行っていみたいと思っているのですが、観光地をセルビスで行くのは意外に簡単なものでしょうか? 一人で行くので言葉や地図も苦手なので心配しています。 (時間があればどうにかなるのでしょうか、4日の滞在なので時間との勝負な感じです)
よろしくお願いします
SECRET: 0
ReplyDeletePASS: 3abe93660a3a620780d39cbd219b1211
マアルーラは半日もあれば、ダマスカスから行って戻ってくる事ができます。観光地をセルビスで回るのは非常に簡単です。日本の市バスや地方バスのほうが難しいです。(例えば僕は東京ではバスに乗っていろんな場所を回る自信がないです。)
マアルーラ行きだと、ガラージュ・マアルーラのバス・ステーションまで行きます。ダマスカスからだと徒歩で北東の方角に歩けば、バス・ステーションまで行く事は可能ですが、僕はタクシーを適当な場所で捕まえて、バス・ステーションまで行きました(タクシーはすべて黄色なのですぐわかります。たまに黄色じゃない車が止まりますが、黄色のタクシー以外は無視してください。)。タクシーの運転手に一言『ガラージュ・マアルーラ」と言えば運転手はすぐ理解してくれます。僕の時はただで乗せてもらえたので、値段は非常に安いと思います。ガラージュ・マアルーラに着いたら「マアルーラ」「マアルーラ」とガラージュにいる人に適当に尋ねると、自分が乗るべきバスを確実に教えてもらえます。
SECRET: 0
ReplyDeletePASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
どうも有難うございます!
皆さんの日記を読んでますと全般的にシリア人は迷ってると声をかけてくれたり親切のようですね。 でもやはり初めての国だと勢いに圧倒されそうで、少し不安ではあります(笑)。
クラック・デ・シュバリエもセルビスで考えています。
頑張って行ってみますね!
SECRET: 0
ReplyDeletePASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
シリアの人は面倒見が良くて、ホスピタリティーは高いです。
クラック・デ・シュバリエは大変美しいです。お勧めです。