僕は始めはクネイトラに行こうと思った。クネイトラとは1974年にイスラエルの爆撃された跡をそのまま残している、ゴラン高原の東端にある村だ。クネイトラに入るには許可が必要なのだ。僕は朝早くセントラル・ダマスカスにある申請所に行くが、今日は休みだとSPに言われ、あっさりあきらめた。
僕はここからガラージュに向かい、マルムーサ修道院に行く事にした。マルムーサはダマスカスの北およそ60キロメートルの場所にある修道院だ。セルビスは荒涼たる道を北に走らせる。僕は休憩のため途中のネベックいう街で降ろしてもらった。
以前ラーマからネベックはスィーツで有名な街だと聞いていたので、なんか甘いものでも食べようかという邪心も少しあった。店は全部閉まっていた。
今日は金曜日。金曜日はイスラム教の休日なので閉まっていたのである。ネベックの街をうろうろしていると、いかついナッツ売り商人に声をかけられ、いっしょに昼飯でも食べようと言う話になった。
僕はタクシーの運転手を探すために、ネベックのモスクに侵入して、タクシーの運転手を募る。僕は一番安く値段をつけた車に乗り込むと、マルムーサに向かった。
ネベックの街。今日は休日なのでモスク以外は人影がすくない。
荒涼たる道をひたすら走る。途中の道では羊飼いくらしか見なかった。陽気な運転手はずっとしゃべり続けている。
マルムーサのある岩山の麓で降ろしてもらい、僕が見上げると遠くの岩山に修道院が見えた。
マルムーサ修道院へ続く階段と入り口のアーチ。
マルムーサ修道院が近づいてきた。マルムーサ修道院は6世紀頃に作られたと言われている。11世紀には教会が付属して建てられた。15世紀に一番繁栄したのだが、徐々に縮小していき、ついには1830年代にはマルムーサは捨てられる事となる。イタリア人農夫が再びマルムーサを見つけたのは1980年代だ。
マルムーサは地方の人々と外国のファンドの力によりリストアされたのだった。そして1991年以来この修道院は小さなモンクたちのグループによって運営されている。
この修道院を支えているのははシリアン・カトリックとオーソドックスなクリスチャンたちだ。この修道院は誰でもどんな宗教の人でも自由に滞在できるのだ。キリスト教、仏教、イスラム教などすべての宗教に解放されている。礼拝もイスラム式でも大丈夫なのだ。
振り向くと長い長い道が続いていた。いにしえの人たちが手作りで一段一段作った道だ。
僕は修道院のドミトリーに通された。僕はマルムーサ修道院を散策する。
食事の時間を告げる道具。
台所への入り口。
注意書き。
マルムーサで飼われている親子。
ダマスカスから遊びに来た学生。
修道院に隣接する宿泊施設。
荷物は階段で運んで来るのではなく、このように荷揚げするのだ。
マルムーサ修道院。
マルムーサ修道院。
マルムーサ修道院。
隣接する教会の内部。
僕はマルムーサから見える夕暮れの写真を撮る。
その時後ろから声がかかった。
「ハマとクラック・デ・シュバリエで一緒だった人ですよね?」
僕は思い出した。クラック・デ・シュバリエへ向かうセルビスの中で一緒だった女の子だ。僕は少し驚いた。なぜ驚いたかというと、彼女が日本の女優の多部未華子にそっくりだったからだ。
たぶん二人を並べてみても見分けがつかないだろうと思う。クラック・デ・シュバリエへ向かうセルビスの中では、朝早かった事で僕は半分寝ぼけていて、彼女の印象がほとんどなかったのだ。僕が彼女に女優の事をいうと、彼女は日本人ではないのでよく分からないようで苦笑いをした。
僕たちは一緒に夕食を食べながらいろいろな話をした。すでにまわりは真っ暗で、月がほんのり明るく光り、空は星で出来ていた。彼女が日の出の写真を撮りたいというので、日の出の時間に合わせて明日朝6時に僕たちは会う事にした。
朝のマルムーサは曇っていた。彼女はすでに起きていて、宿泊所の屋根にのぼり、残念そうな顔で空を見ていた。
僕たちは朝食を食べ終えるとダマスカスへ戻る準備をした。
荷物をまとめると僕たちはマルムーサ修道院を後にした。
僕たちは長い階段を降りて、麓で待っていたセルビスに乗り込むとそれは動き出した。
荒涼な風景の中をセルビスが走っている。
彼女は相当疲れたらしく僕の肩ですやすやと寝息をたてていた。開け放たれた窓から生温い風が入ってくる。その風にはすでにシリアの匂いは無かった。そして僕は思った。
「日本に帰ろう。」
荒涼な風景の中をセルビスが走っている。
終わり。
僕はここからガラージュに向かい、マルムーサ修道院に行く事にした。マルムーサはダマスカスの北およそ60キロメートルの場所にある修道院だ。セルビスは荒涼たる道を北に走らせる。僕は休憩のため途中のネベックいう街で降ろしてもらった。
以前ラーマからネベックはスィーツで有名な街だと聞いていたので、なんか甘いものでも食べようかという邪心も少しあった。店は全部閉まっていた。
今日は金曜日。金曜日はイスラム教の休日なので閉まっていたのである。ネベックの街をうろうろしていると、いかついナッツ売り商人に声をかけられ、いっしょに昼飯でも食べようと言う話になった。
僕はタクシーの運転手を探すために、ネベックのモスクに侵入して、タクシーの運転手を募る。僕は一番安く値段をつけた車に乗り込むと、マルムーサに向かった。
ネベックの街。今日は休日なのでモスク以外は人影がすくない。
荒涼たる道をひたすら走る。途中の道では羊飼いくらしか見なかった。陽気な運転手はずっとしゃべり続けている。
マルムーサのある岩山の麓で降ろしてもらい、僕が見上げると遠くの岩山に修道院が見えた。
マルムーサ修道院へ続く階段と入り口のアーチ。
マルムーサ修道院が近づいてきた。マルムーサ修道院は6世紀頃に作られたと言われている。11世紀には教会が付属して建てられた。15世紀に一番繁栄したのだが、徐々に縮小していき、ついには1830年代にはマルムーサは捨てられる事となる。イタリア人農夫が再びマルムーサを見つけたのは1980年代だ。
マルムーサは地方の人々と外国のファンドの力によりリストアされたのだった。そして1991年以来この修道院は小さなモンクたちのグループによって運営されている。
この修道院を支えているのははシリアン・カトリックとオーソドックスなクリスチャンたちだ。この修道院は誰でもどんな宗教の人でも自由に滞在できるのだ。キリスト教、仏教、イスラム教などすべての宗教に解放されている。礼拝もイスラム式でも大丈夫なのだ。
振り向くと長い長い道が続いていた。いにしえの人たちが手作りで一段一段作った道だ。
僕は修道院のドミトリーに通された。僕はマルムーサ修道院を散策する。
食事の時間を告げる道具。
台所への入り口。
注意書き。
マルムーサで飼われている親子。
ダマスカスから遊びに来た学生。
修道院に隣接する宿泊施設。
荷物は階段で運んで来るのではなく、このように荷揚げするのだ。
マルムーサ修道院。
マルムーサ修道院。
マルムーサ修道院。
隣接する教会の内部。
僕はマルムーサから見える夕暮れの写真を撮る。
その時後ろから声がかかった。
「ハマとクラック・デ・シュバリエで一緒だった人ですよね?」
僕は思い出した。クラック・デ・シュバリエへ向かうセルビスの中で一緒だった女の子だ。僕は少し驚いた。なぜ驚いたかというと、彼女が日本の女優の多部未華子にそっくりだったからだ。
たぶん二人を並べてみても見分けがつかないだろうと思う。クラック・デ・シュバリエへ向かうセルビスの中では、朝早かった事で僕は半分寝ぼけていて、彼女の印象がほとんどなかったのだ。僕が彼女に女優の事をいうと、彼女は日本人ではないのでよく分からないようで苦笑いをした。
僕たちは一緒に夕食を食べながらいろいろな話をした。すでにまわりは真っ暗で、月がほんのり明るく光り、空は星で出来ていた。彼女が日の出の写真を撮りたいというので、日の出の時間に合わせて明日朝6時に僕たちは会う事にした。
朝のマルムーサは曇っていた。彼女はすでに起きていて、宿泊所の屋根にのぼり、残念そうな顔で空を見ていた。
僕たちは朝食を食べ終えるとダマスカスへ戻る準備をした。
荷物をまとめると僕たちはマルムーサ修道院を後にした。
僕たちは長い階段を降りて、麓で待っていたセルビスに乗り込むとそれは動き出した。
荒涼な風景の中をセルビスが走っている。
彼女は相当疲れたらしく僕の肩ですやすやと寝息をたてていた。開け放たれた窓から生温い風が入ってくる。その風にはすでにシリアの匂いは無かった。そして僕は思った。
「日本に帰ろう。」
荒涼な風景の中をセルビスが走っている。
終わり。
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遊びに来ました。
今回のシリア旅行、特に気合入ってるように見えました。
ちょうど十字軍物語などを読んでて、こういうところなんだと写真見て、イメージが膨らみました。
日本ではシリアのことは、どちらかというと偏った報道しかされないのであまり知りませんでしたが、普通に観光にいけそうな見どこらが沢山ある国みたいですね。
今回音楽聴いてましたら、青森の弘前で三味線ライブ聴いたときを思い出しました。
もしかしたら商人同士、言葉より先に音楽で仲良くなって覚えた曲が巡り巡って日本まで来たのかなと聴いてて感じました。
続き楽しみにしています。
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yamamotoさん
三味線はたぶん、シルクロードルートでペルシャ→古来中国の場所にあった国→琉球→16世紀に日本に入ってきたようですね。津軽三味線と速弾きの技は大変似ていました。
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シリアにこんな修道院があったなんて、まったく知りませんでした。
荒涼とした岩山の中に建つ建物はチベットの要塞のように見えますね。
シリアはイスラムとキリスト教の様々な宗派が(少なくとも観光客が見る限りは)仲良く共存していて、日本でイメージするのとはずいぶん違う国でした。いいところですよね。
他の記事もゆっくり読ませていただきますね。
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luntaさん
シリアには修道院があるのです。素敵なところでした。シリアは宗教のモザイク国家。また行きたいです。
ルンタさんはもしかしてルンタプロジェクトのルンタさんですか?間違っていたらごめんなさい。
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ルンタプロジェクトは知っていますが私は単なるチベット好き。
あちらのルンタさんとは縁もゆかりもありません。
まぎらわしくてすみません。