マアルーラから戻って来ると、僕はオープンカフェで休憩をした。ナルギーレを吸っている商人がたくさんいる。カフェの中にはアジア系の旅人も紛れており、ナルギーレをうまく吸えないらしく咳き込んで苦笑いをしている。
レッド・ティーを頼んだ。それを飲みながら僕は考えた。今日はセントラル・ダマスカスを歩いてみようと思ったのだ。
セントラル・ダマスカスとは政治、経済の中心の場所でオールド・ダマスカスがダウンタウンなら、さしずめセントラル・ダマスカスはアッパー・タウンだ。大使館がたくさんあり、お金持ちがたくさん住んでいたりして、ダマスカスの表参道と言ったところだ。ショッピング・ストリートも西洋のそれと変わらないのだ。
オールド・ダマスカスにて中庭が美しいモスクを見つけたので入ってみる事にした。礼拝を終えた人と僕は擦れ違いざまに挨拶を交わす。「アサラーマ・アレイコム」「ワレイコム・アサラーム」いつのまにか自然に言葉が出てくるようになっている。
僕もここで礼拝を終えるとセントラル・ダマスカスに向かった。
オールド・ダマスカスの東側にはサウナの遺跡がある。そのまわりは公園になっており、市民の憩いの場となっていた。
セントラル・ダマスカス近くのモスク。
セントラル・ダマスカスの線路跡。路面電車が走っていたなごりらしい。ここまで来ると高価な車を持っている人が多い。
セントラル・ダマスカスから望むカシオン山。旧約聖書創世記よりカシオン山の血の洞窟でカインが弟アベルを殺した場所と言われ、世界で最初の殺人があった場所だ。
セントラル・ダマスカスのモスク。ミナレットが緑色に輝いている。夜のカシオン山からダマスカスを望むとモスクのある場所がミナレットによって緑色に輝き非常に美しいらしい。
ショッピング・ストリートからカシオン山を望む。公園の中心には前アサド大統領の銅像が立っている。この公園から南側は歩行者天国のショッピング・ストリートになっており、夜遅くまでにぎわっている。この地域はお金持ちの人たちが多く、政府の重要な建物もこの地区に固まっている。
僕はオールド・ダマスカスのホテルに夜遅く戻った。ホテル近くのスークは10時を過ぎると店がしまり始め、人もまばらになっていた。
僕はホテルを出ると朝の散歩をする。モスクが見えてきた。
マクタブ・アンバール。中庭が大変美しい建物だ。
僕はここで一人の音楽家に声をかけられた。
「家に遊びにこないか?」
彼はクルド人の音楽家で、国の内外問わず演奏活動をしている。生徒もたくさんかかえていて、彼の家はいつもにぎやかだ。
僕はここでクルド人の事を少し語ろうと思う。クルド人とは世界最大の国家を持たない民族集団だ。クルド人はオスマン帝国の領土内で牧畜を生業として暮らしていた。第一次世界大戦で、オスマン帝国が破れると国は分割させられた。
トルコ・イラク・イラン・シリアなどに分かれさせられたのだ。その国境はクルド人居住区をみごとに分割したのだ。クルド人は各々の国で少数派の民族として、とくにトルコとイラクでは分離独立を求めた彼らに対して激しい迫害をしている。
僕が尊敬してやまないクルド人映画監督バフマン・ゴバディは、イランでゲリラ的な撮影方法も交えながら「亀も空を飛ぶ」、「ペルシャ猫を誰も知らない」などクルド問題をクルド人の視線から優しくかつ辛辣にとらえた逸品の作品を作り続けている。
「ペルシャ猫を誰も知らない」は2009年にカンヌ映画祭で〈ある視点〉部門特別賞を受賞している。「亀も空を飛ぶ」は過酷な運命の少女と出会った主人公の少年の目線で、イラク北部のバラックに住むクルド人のコミュニティーを圧倒的な映像美と希望なき絶望があたりまえのような日常を描き切っている珠玉の作品なのだ。
2010年、バフマン・ゴバディ監督は日本に来る予定だったがイラン政府よりパスポートが発行されずに来日できなかった。
余談ですがクルドの人たちは日本にも移住をしていて、埼玉県に最大のコミュニティーを作っている。
音楽家の家で住み込みで勉強している学生。僕は彼からスンニ派の礼拝の仕方を教わった。僕はお返しに彼にシーア派の礼拝の仕方を教えた。
音楽家の先生と生徒。
先生が作った男の料理。うまかったです。
僕が作ったシリアの音楽家たちのショート・ムービーです。見てくださいね!
彼らの家を出ると踏みイスラエルフラッグあった。僕はシリア人の心でこのフラッグを踏み、イスラエル人の心でこのフラッグを踏まず、日本人の心でこのフラッグをただ眺めるだけだった。
レッド・ティーを頼んだ。それを飲みながら僕は考えた。今日はセントラル・ダマスカスを歩いてみようと思ったのだ。
セントラル・ダマスカスとは政治、経済の中心の場所でオールド・ダマスカスがダウンタウンなら、さしずめセントラル・ダマスカスはアッパー・タウンだ。大使館がたくさんあり、お金持ちがたくさん住んでいたりして、ダマスカスの表参道と言ったところだ。ショッピング・ストリートも西洋のそれと変わらないのだ。
オールド・ダマスカスにて中庭が美しいモスクを見つけたので入ってみる事にした。礼拝を終えた人と僕は擦れ違いざまに挨拶を交わす。「アサラーマ・アレイコム」「ワレイコム・アサラーム」いつのまにか自然に言葉が出てくるようになっている。
僕もここで礼拝を終えるとセントラル・ダマスカスに向かった。
オールド・ダマスカスの東側にはサウナの遺跡がある。そのまわりは公園になっており、市民の憩いの場となっていた。
セントラル・ダマスカス近くのモスク。
セントラル・ダマスカスの線路跡。路面電車が走っていたなごりらしい。ここまで来ると高価な車を持っている人が多い。
セントラル・ダマスカスから望むカシオン山。旧約聖書創世記よりカシオン山の血の洞窟でカインが弟アベルを殺した場所と言われ、世界で最初の殺人があった場所だ。
セントラル・ダマスカスのモスク。ミナレットが緑色に輝いている。夜のカシオン山からダマスカスを望むとモスクのある場所がミナレットによって緑色に輝き非常に美しいらしい。
ショッピング・ストリートからカシオン山を望む。公園の中心には前アサド大統領の銅像が立っている。この公園から南側は歩行者天国のショッピング・ストリートになっており、夜遅くまでにぎわっている。この地域はお金持ちの人たちが多く、政府の重要な建物もこの地区に固まっている。
僕はオールド・ダマスカスのホテルに夜遅く戻った。ホテル近くのスークは10時を過ぎると店がしまり始め、人もまばらになっていた。
僕はホテルを出ると朝の散歩をする。モスクが見えてきた。
マクタブ・アンバール。中庭が大変美しい建物だ。
僕はここで一人の音楽家に声をかけられた。
「家に遊びにこないか?」
彼はクルド人の音楽家で、国の内外問わず演奏活動をしている。生徒もたくさんかかえていて、彼の家はいつもにぎやかだ。
僕はここでクルド人の事を少し語ろうと思う。クルド人とは世界最大の国家を持たない民族集団だ。クルド人はオスマン帝国の領土内で牧畜を生業として暮らしていた。第一次世界大戦で、オスマン帝国が破れると国は分割させられた。
トルコ・イラク・イラン・シリアなどに分かれさせられたのだ。その国境はクルド人居住区をみごとに分割したのだ。クルド人は各々の国で少数派の民族として、とくにトルコとイラクでは分離独立を求めた彼らに対して激しい迫害をしている。
僕が尊敬してやまないクルド人映画監督バフマン・ゴバディは、イランでゲリラ的な撮影方法も交えながら「亀も空を飛ぶ」、「ペルシャ猫を誰も知らない」などクルド問題をクルド人の視線から優しくかつ辛辣にとらえた逸品の作品を作り続けている。
「ペルシャ猫を誰も知らない」は2009年にカンヌ映画祭で〈ある視点〉部門特別賞を受賞している。「亀も空を飛ぶ」は過酷な運命の少女と出会った主人公の少年の目線で、イラク北部のバラックに住むクルド人のコミュニティーを圧倒的な映像美と希望なき絶望があたりまえのような日常を描き切っている珠玉の作品なのだ。
2010年、バフマン・ゴバディ監督は日本に来る予定だったがイラン政府よりパスポートが発行されずに来日できなかった。
余談ですがクルドの人たちは日本にも移住をしていて、埼玉県に最大のコミュニティーを作っている。
音楽家の家で住み込みで勉強している学生。僕は彼からスンニ派の礼拝の仕方を教わった。僕はお返しに彼にシーア派の礼拝の仕方を教えた。
音楽家の先生と生徒。
先生が作った男の料理。うまかったです。
僕が作ったシリアの音楽家たちのショート・ムービーです。見てくださいね!
彼らの家を出ると踏みイスラエルフラッグあった。僕はシリア人の心でこのフラッグを踏み、イスラエル人の心でこのフラッグを踏まず、日本人の心でこのフラッグをただ眺めるだけだった。
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