Saturday 23 October 2010

9.天空の城、クラック・デ・シュバリエ。

 次の日、ホテルを7時に出てクラック・デ・シュバリエに向かう。ハマからは直接クラック・デ・シュバリエに向かうセルビスやミニバスが出ていないので、ホムスで乗り換えなければならない。ホムスには8時頃到着して、クラック・デ・シュバリエ行きのセルビスに乗り込む。セルビスが一杯になってから出発するので、出発は何時になるかわからない。僕はぼんやり窓の外を見ている。窓の外ではシリア人のバスの運転手同士が、朝っぱらから大げんかをしている。何についてのトラブルかわからないが、とにかくけんかをしている。9時近くになり乗り込む乗客数も増えて来たようだ。
 その時、前列に乗り込んで来た一人の女の子が僕に気がついて英語で話しかけてきた。
「昨日ドミトリーで一緒だったよね。」
 僕は昨日の夜、遅かったので同室の人たちの事は全く覚えていなかったが
「うん。」
 と生返事をした。彼女はホテルを8時にでてきたらしい。僕はもっとゆっくり寝ていればよかったと少し後悔した。彼女は前に体を向き直すと韓国製のMP3を取り出し操作し始めた。

 満員になるとセルビスは出発した。すでに9時を過ぎている。高速道路をまっすぐ西に向かうと、荒涼とした風景がしばらく続く。道がほんの少しでこぼこなのと、セルビスのポンコツな具合がまざりあって、やたらスピードが出ている感じがした。実際には日本の高速道路を走る車ほどスピードはでていないのだが、やはり怖い。何度乗っても慣れる事はない。インドで2年前に9人乗りのワゴン車が4千メートルの断崖から滑落していたのを見てトラウマになっていた。その時は屋根にも4人乗っていたので、13人の死者が出たのだ。どれだけ走っただろうか、高速道路を降りてセルビスはさらに北へ向かう。山に入って行くとオリーブ畑の丘陵地が広がっている。コーカサス地方の丘陵地もこんな感じなのだろうかと漠然と思った。突然カフカス地方に住んでいる知り合いの事を思った。

Mountain near Krak des Chevaliers




 セルビスは丘陵地をどんどん上に登って行った。

Krak des Chevaliers


 セルビスはクラック・デ・シュバリエに到着した。クラック・デ・シュバリエは1131年に建築、改築を重ね1170年にはほぼ完成していた。この頃の時代、地中海に近い街は十字軍の街がたくさんあり、このクラック・デ・シュバリエも十字軍国家の聖ヨハネ騎士団の重要な拠点となっていた。重厚な作りのこの城を落城させるのは非常に難しく、難攻不落の城として名を馳せていた。あのサラディーンでさえ落とせなかった城なのだ。

Krak des Chevaliers


 脇の水道橋がクラック・デ・シュバリエへ伸びている様は大変美しい。

Krak des Chevaliers


 天空の城ラピュタのモデルになったと言われている城で、この遠方からの景色はまさに天空に浮かぶ城だった。

Village near Krak des Chevaliers


 クラック・デ・シュバリエの下には村が広がっている。僕はその村を散策する事にした。村の中心には教会が見える。小さな地図にも乗っていない村だが、なんだか心惹かれるものがある。

Village near Krak des Chevaliers


 この村は本当に美しい村だった。シリアに入って始めて出会うような素朴さだった。素朴さが最高に心地よい村なのだ。

Village near Krak des Chevaliers


 村から見上げるとクラック・デ・シュバリエがそこにはある。

Children at Village near Krak des Chevaliers


 村の子供たち。

 僕はこの村でセルビスを拾い、麓まで乗せて行ってもらう事にした。セルビスはこのままホムスに向かうようだったので、僕は高速道路の手前で降ろしてもらった。

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