2011年4月20日水曜日

8.チクタン村での仕事。

 
 朝起きるとチクタン村は快晴だった。朝の光がチクタン村の真ん中を流れるチュルングスに反射してチクタン風情を作り出していた。

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 僕は朝食のタギ・カンビルとスクランブル・エッグを食べ終えると、アーミー・フェスティバル・イン・チクタンに向かった。

 インド軍主催の地元の村々との交流の祭りだ。会場に到着するとシャカール・チクタンエリアの村人がほとんど集まってきており、地元の人が出している出店は、輪投げ、シューティング、様々な食べ物の屋台など日本の縁日さながらの粋で乙な空気を演出していた。

 このフェスティバルのメインは二つありそのひとつは伝統的な弓矢の大会だ。一人が二本づつ弓を引き一番まとに近いことで勝敗をきめる。もうひとつはチクタン村に伝統的に伝わるフォークダンスの披露だ。

 衣装はきらびやかで伝統的な衣装にふんだんにアクセサリーをつけて着飾り、ミドルテンポの伝統的フォークソングにあわせて、軽やかに、きらびやかに、かつ慎ましく踊るのだ。

 僕はインド軍より来賓席に案内されて、どこかの王族の横に座って踊りを鑑賞した。フェスティバルのしめは昼食会だ。大鍋に大人数の食事を作り、みんなで食べるのだ。フェスティバルは成功裏に終わり、僕はチクタン村のズガン地区に戻った。

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 午後からはチクタン村の地図作りを始める。ズガン地区の下手のエリアから上流に向かって地図をつくる計画だ。ドロワーブックを片手に下手に流れる川から書き込んで行く。橋を書き込み、小学校を書き込み、チュルングスのストリームを書き込んで行く。想像はしていたが、仕事はなかなか進まない。

 それはいろんなところからブレイク・ティに誘われるのだ。途中でヨセフにティ・ブレイクに呼ばれたのでヨセフの家で休憩することにした。途中でカシムも加わり、今後のNGO活動について議論した。

 この二人はチクタン村でも非常にインテリジェンスな二人でチクタン村の頭脳と呼ばれている。とくにカシムはここ10年で村から出るか出ないかの秀才なのだ。

 ディスカッションの結果まず四本の重要な事柄について中心に考えて行く事となった。

 まずひとつ目は貧しい家族へのサポートについて。二つ目は村の子供たちのサポートについて。三つ目は去年洪水にあって生活苦の家族のサポートについて。四つ目は高い教育は受けているが仕事がないひとたちの問題の解決方法。

 そしてそれを全てとりあえずの解決に向かわせるだろう答えのひとつは観光を目指した地域づくりと観光客を呼び込む事。

 その事をふまえた上で今年するべきミッションは

1.シャカール・チクタンエリアの地図の作成とトレッキング・ルートのリサーチ。
2.シャカール・チクタンエリアの文化、教育システムのリサーチ。
3.老人たちからシャカール・チクタンエリアの歴史の断片を収集する。
4.良きローカル・ガイドのリサーチ。

 そしてこの結果をまとめてWEB上などで公開する。来年の観光客の呼び込みに役立てる。

 その他たくさんの事柄についてディスカッションをした。それはどれも素晴らしい内容で、決して遠くない未来に実現可能なものばかりだった。

 ヨセフの家の裏手に面白い物があると言う事で連れて行ってもらった。それは冬の間野菜不足になるのでドライ野菜をストックしておくヤードだった。そしてもうひとつはおおきな洞穴に牛の糞を乾燥させたものをストックしておく。これも長い冬の間に使える物だ。最後に小さな縦穴を見せてもらった。そこには70年前に白骨化した白い服を身にまとったミイラが横たわっていた。

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