Friday 22 April 2011

10.パルギュ村にて。

 朝起きてヨセフとパルギュ村に向かう。パルギュ村は去年の洪水で、ハグニス村についで被害が大きかった村だ。パルギュ村はチクタン村よりカンジ・ナラを上流に12キロほど行ったところにある。朝の太陽が雲に見え隠れする天気の中、僕らはハグニス村に向かった。

 20分ほど歩くと、前方右手にたくさんの人が集まっているのが見えた。聞くと生まれたばかりの子供に名前をつけるお祭りをやっているのだ。僕らもそのお祭りに招待された。このお祭りにはシャカール・チクタンエリアの一家族から必ず一人は参加している。だから総勢でかなりの数になっている。

 みんなは座り込んで和気あいあいとしていて、話が弾んでいる。グルグル茶やお菓子が振る舞われる。そして炊き出しのバトゥが大きな固まりのマトン付きで出されると、空も晴れ渡ってきて、アポ爺も途中からの参加となり、宴は盛り上がって来る。最後はエリアの代表者からイスラムの祝詞が読み上げられ、宴はしめとなる。

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 僕らは再び歩き出す。ラジー・カルの雄大な岩山の下を通り過ぎ、しばらくいくと大きなケーブが左手に迫って来る。それは頭上の岩山の高いところにあり、ブッディストたちがそこで亡くなった人を火葬して、骨のままその深くえぐり込んでいるケーブに葬るのだ。見上げるとケーブのいたるところに火葬の黒いすすのあとが見えた。

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僕らは、再び歩き出す。しばらく歩くとクッカルチェ村が見えて来る。この村は多くのムスリムの中にひと家族だけブッディストが住んでいる。昔は多くのブッディストが住んでいたのだが今はひと家族だけになっているのだ。

 とは言っても現在も40人ほどがここで生活してきたのだが、そのほとんどがレーの街へ働きに出ている。しかしブッディストとムスリムの関係はクッカルツェ村では非常にいい。子供たちも宗教に関係なく遊んで、大人たちも宗教に関係なく団らんをしている。

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 僕らは再び歩きだした。いくつかの村を通り過ぎ、2時間程歩いただろうか左手奥の山の懐にパルギュ村が見えてきた。パルギュとは天使たちという意味で、訳すと天使たちの住むところという意味だ。

 だが去年の夏の洪水の時は、その天使はどこかに外出中だったのだろうか、低いところにある村や畑や学校は、みんな流されてしまって岩や倒れた木や泥だらけになっている。

 お邪魔した家のある女性が僕に尋ねてきた。

「この村をどう思う?」

「天使たちの村の名の通り美しい村だと思います。」

「うそよ、こんな泥だらけの村・・」

「・・・。」

 その女性は悲しい表情でそう呟いた。

 僕は多くのNGOやボランティアの方たちに入ってきてほしいと切に願う。僕一人での力では限界があり、目の当たりにしたこの絶望的な景色の前で、僕はただ立ち尽くすことしか出来ないのが辛かった。

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僕らは今来た道を帰って行く事にした。途中のクッカルツェ村でブッディストの家族にお茶を誘われたので寄る事にする。その家族の家は大変古いものでな家にはゴンパのような建物も併設されていた。女性が伝統的な衣装で僕らを向かえてくれる。

 僕はそれを見た時確信した。クッカルツェ村の仏教徒はこれからも何代も何代も受け継がれていく事だろう。それは廃れる事なく永久に続くだろう。でもその根拠なき確信は、神なき村のようなもので非常にデリケートで壊れ易いものだというのも僕は分かっていた。

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 帰り道、忙しく日本人の観光客を載せた車の一団のツアー客と擦れ違う。ダー・ハヌー方面からカングラルに抜けて行くだけだと思うが、ツアーの人たちと僕は一言二言話をすると、なんだかすごく懐かしい気がした。

 愛すべきチクタン村にいる僕から愛すべきツアー客へ、このチクタン村の事を日本に帰ったら是非、多くの日本の方々にあるがまま、見たままを話して欲しいと思う。そして一人でも多くの方々にこの村の事を気に留めて欲しい。そう思ってやみません。みなさんお元気で!!

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