Saturday 23 April 2011

11.学校とチョルテン。

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朝食を済ませると僕は学校を回る事にした。カンジ・ナラに架かる木造の古い橋の麓に二つの学校がある。チュルングスの小川に一番近い学校の名前はガバメント・ガウス・ミドル・スクール・チクタン。そして次の並びにあるのが、マスミ・パブリック・スクール・チクタン・ズガンだ。

 僕はまず最初の学校のガバメント・ガウス・ミドル・スクール・チクタンに顔を出す。覗いてみると、青空の下で授業をしていた。僕は先生に誘われるままに土の上に置いてある椅子に座り、この学校についての話を聞いた。男の子が20人、女の子が25人、先生が8人で教えている学校だ。

 日本でいうところの小学校に当たるのだが、6歳から英語の教育が始まる。次に隣の学校にお邪魔する。マスミ・パブリック・スクール・チクタン・ズガンだ。この学校は日本でいうところの中学校にあたる。ここでも青空の下で授業をしていた。黒板をイーゼルに立てて、それを囲むように半円を描いて生徒たちは座っている。

 中にはたまにあくびをしている生徒もいるが、大部分の生徒も先生も真剣だ。この学校は男の子が24人、女の子が10人、先生が5人で構成されている。教室を覗くとかなり薄暗い。昼間は電気がこないので外で授業をしたほうが効率があがる。それに暖かい。

 僕はこの学校を後にして、カンジ・ナラに架かる橋をわたり左手に川に沿って歩いて行く。春先の日差しは強く、風はない。たまに木の束を背中に背負って行き交う村人と挨拶をかわす。

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「アサラーマ・アレイコム、アラミヨタ!」

 高く鋭角にそびえる岩山の麓のショップを通り過ると、メイン・マーケットが見えて来る。メイン・マーケットと言っても店が2、3軒連なっているだけの愛らしいマーケットだ。そのマーケットの裏側の奥の方にイマンバラ・マスジドが慎ましげに、かつ誇らしげにそびえ立っている。

 メイン・マーケットの前の道をしばらく歩いて行くと左手に降りて行く道がある。僕はその道に入り下って行く。その先にあるのがガバメント・ハイヤー・セカンダリー・スクール・チクタンだ。日本でいうところの高校だ。先生に中に案内してもらう。

 校庭は広くてその外側にも広大な土地が広がっていて、そこでクリケットやポロの試合も出来るようになっている。ここでも授業は青く高い空の下だ。男の子が80人、女の子が42人、先生が19人の学校だ。教室を一回り案内してもらって僕はチクタン村ズガン地区の帰途についた。

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 ズガン地区の裏山にはゴンマ・チョルテンという名の遺跡がある。村人によってはラーンイ・ズゴウという呼び名になる事もある。チョルテンというからにはそれは仏教遺跡なのだ。しかし僕や皆様がご存知のチョルテンではなく、干しレンガで作られた巨大な朽ちかけた壁だけが残っているのである。

 知らずに村の迷路に迷い込みつつ、そして開けた裏山に至る時、この巨大な壁が始めて目に入って来ると人はぎょっとする。それは圧倒的な存在感であり、徹底的な静けさであり、悠久の彼方への思いのかけらなのだ。

 村人にしか知れず、外の人に発見されるのを待ってたかのように、彼はゆっくり眠りから覚める。そしてきっとこうささやくのだ。

「仏教はどこだ?」

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