Saturday 30 April 2011

17.再生。

 チクタン村ズガン地区からカンジ・ナラを下流に向かって1時間ほど歩くとマングモルという村見えて来る。路傍には店が軒先をならべて、競ったように立っている。

 20軒以上はあろうか、しかし営業している店は少ない。年老いたものたちが一日中店の前に座っていて、今年の作物の出来の予想だとか、往年のクリケットの名選手の話だとか、かみさんのぐちだとか話は尽きない。

 店はこんなにたくさんあるのに肝心のマスジドがどこにあるこか皆目検討がつかない。男にたずねると店の裏に建っていると言う。覗いてみるとそこには古ぼけた建物がまるで眠るように横たわっていた。

 建物の扉を開くとやっとそこがマスジドだと確信するに至る。窓から差し込む粒子を包み込んでいる光が、一面に引きつめてあるジャネマスを浮き上がらせていたのでそれと分かったのだが。

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 少し歩くとくたびれた橋が架かっている。橋は足下を先の洪水に大部分を食われてしまい、その凶暴な歯形が未だ残っており、かなり傾いていた。僕はなんとかその橋を渡り切り川の向こうの村に行く。アーイート村が見えて来る。

 この村は非常に小さな村で4、5軒ほどで形成されている。お墓を囲んで家が墓守のように建っており、大声で来村を知らせたが誰も出てこなかった。

 僕はその家々の左手に続いている小道を進んでいくと、反対側にも家が建っていた。その家は非常に古く見え、岩の崖のふちの部分をうまく使い、崖下から崖上までまるで芋虫のように家がへばりついていた。

 その外見はちょっとしたパレスのようにも見える。その家族は近くの農地で土地を耕していた。僕は家族の男に大声で一言二言尋ねると、家はやはりそうとう古いものだという事がわかった。

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 僕はカンジ・ナラを2、3分ほど戻り、T字路を入っていく。しばらく進み、架かっている橋を渡り切り左に進むとハグニス村にでる。でも右側に目をやると学校が見えたので僕は訪ねることにした。

 学校の先生が向かえてくれた。その男の話によると学校の名前はガバメント・ハイスクール・ハグニス。男の子は30人、女の子は35人。先生は10人とわりと中規模の学校だ。僕は男と話をし終えるとハグニス村の深部に向かった。

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 ハグニス村の中心には30分ほど歩くとたどり着く。その途中は先の洪水で壊れてしまった家や農地が延々と続くが、川の淵には新しい家も建ち始めている。街の中心にある壊れたマスジドのすぐ脇では村民たちが力を合わせて堤防を作っている。セメントを入れた鉄の入れ物が左から右へと移動する。

 村民たちはかけ声をあげて女性も男性も手から手へセメントを移動している。端にいる男はセメントを受け取ると足下の木枠に流し込む。今度は空になった入れ物が右から左へと戻って来る。村民たちの顔にはすでに悲壮感はない。乗り越えたのだ。

 未来への生への希望を胸に抱き、このハグニス村は村民の手ですでに回復の糸口が微かだが確実に見え始めている。遠くから子供たちの声がこだまする。遠くから動物たちの声がこだまする。遠くから春の風の声がこだまする。そう長い冬が終わりハグニス村にも再生と言うなの春がやって来たのだ。

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