Thursday 14 April 2011

2.ラダックのデリケートなこと。

 ジミーが口を開いた。その話の内容は人間の尊厳に関わる内容だった。

ladakh


 このレーの街はムスリムもブッディストも共存している。立ち位置的にはお互い平等な立場だ。でもそれはこのレーの街での事だ。他の地方または村々ではちょっと様子が異なる。たとえばヌブラというエリアがある。このヌブラ地方はレーからカルドン・ラという車が通る道では世界一高いところにある峠だとインドでは言われている。(外国には自分たちのところの峠が一番高いと言っている場所がたくさんあるわけで)

 この峠を抜けると美しきヌブラ地方広がるのだ。まぁとにかく、ここにもブッディストとムスリムが住んでいる。ヌブラ地方のムスリムはブッディストからは下に見られている。そうここではカーストの影が見え隠れしているのだ。それは実体がよくわからないけれど確実にこのラダックにも存在する。

 そして社会の闇はその奇妙な触手を至る所に延ばすことにより形成されているのだ。インド全体で見ればカーストは確実に存在している。この永遠に続く悪魔のパラドックスから逃れるためにムスリムに改宗する人が増えているのも事実なのだ。

 なぜならばムスリムは人々に階級を作らせない、すべての人々は平等だとうたっているからだ。ただそれはムスリム内での話で、宗教ごとには見えない階級が存在している地方もあるのだ。

ladakh


 枕が長くなった。
  
 ここでジミーの先祖の話になる。彼の家系は先祖代々音楽家の家系なのだ。今でこそ音楽家はもてはやされているが、昔はそうでもなかったらしい。話はまず彼のおじいちゃんにさかのぼる。おじいちゃん一族は音楽ジプシーであった。寝るところと言えばボロ切れで作られたテントで地面の上で生活をしていたのだ。

 先祖代々ずっと音楽ジプシーの血脈を受け継いできたのだ。そしてこの音楽ジプシーはインドでも最下層、そう低カーストだった。いろんな村のセレモニーに呼ばれ低賃金で生活をしてきたのだ。彼のおじいちゃんからおとうさんに血脈が受け継がれた時に風向きが変わってきた。

 おとうさんはその音楽家である実力をフルに発揮して、ラダックはもとよりインドでも指折りの音楽家にのし上がったのだ。そして昔では考えられなかった家を持つ事ができたのだ。それも大邸宅だ。彼の一族は音楽家としてのプライドはずっと持ち続けていた。

 その証拠に現在もその血脈は滞ることなく雄大に流れるインダス川のごとく脈々と今もジミーのお姉さんカチヤによって受け継がれているのだ。そうジミーの姉カチアもまたラダックで有数のシンガーになったのだった。

 人が歴史を作る。歴史は人を育てる。僕はただその歴史の傍観者だ。いや人知れず小さな傍観者の風になって歴史に少しでも寄り添えたらと思う。

ladakh


ladakh


0 comments:

Post a Comment

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...