Wednesday 27 April 2011

14.ひょうが降る。

 
 僕はカンジ・ナラ沿いの道を下流に向かって歩いている。その道は乾燥していて車が通る度に砂を舞いあげたり、山側から流れて来る水により泥道になっていたり、舗装はしてあるがほとんど剥がれてでこぼこしていたりと一筋縄ではいかない。そして今日の雲は厚くて速い。風が生まれているのだ。

 その風は砂も舞い上げ、僕の体も前より押さえつける。そして僕は次第に歩みも遅くなる。一瞬とびきり大きいのがふいたかと思うと次の瞬間、白い小さな固まりが降ってきた。ひょうだ。僕が左手に持っているドロワー帳の描きかけの地図の上にそれはぱらぱらと音を立てて落ちる。

 ほんの少し冷たくなった手でウィンドブレーカーのフードを引っぱり上げる。フードにぱらぱらと落ちるひょうの音が反響する。そして僕はふたたび歩き始める。各村と村の間は非常に近い。隣の村には2、3分でついたり5分、10分でついたりと様々だが非常に近い。

 そして各々の村には必ずウォーターポンプが設置してある。いつも常に奇麗な水が確保できるのだ。僕は各村の男たちや女たちに挨拶をする。彼らは「ナンソミ?」「ガルノミン?」などと返して来る。どこに行くのか?どこから来たのか?さて僕もどこに向かっているのか皆目検討がつかない。

 そんなときは「トゥール」と答える。僕は下流へ向かっているのだ。たぶん。彼らは僕の答えに満足したのかカップを口元に持っていく動作をして、「お茶をのんでいけ」と言う。

 僕は全ての村でお茶を飲んでいたら、胃袋がパンクして行き倒れになってしまうので、相当疲れている時以外は断る事にしている。僕は彼らに納得してもらおうとするが、それでも飲んでいけと言われたときはありがたく頂く事にする。

ladakh


 しばらくよたよた歩いていると後ろからヨセフのお父さんが追いついてきた。僕は軽く挨拶をして再び歩き始める。今日は天気が悪くひょうも降ってきて寒い日だなどと会話をしながら歩く。彼のよく日に焼けた横顔はよく働く農夫のそれだ。屈強な体躯にその優しいまなざしは父親としてのそれだ。

 カンジ・ナラを挟んで向こう岸の山の麓に小さな村の固まりが見えてきた。彼はタグマタンだと言う。僕らは橋を渡り村に向かって並木道を歩いていく。途中木の枝を伐採している男がいた。道いっぱいに木の枝が散乱している。そしてその木の枝を束ねる作業をしている。

 この枝は家の屋根に使われるのだ。沢山の木をたくさんルーフにあたる位置に配置して屋根を作っていく。木で編み込んでできた屋根はラダックの伝統的な手法で、冬は暖かく、夏は涼しく、タップで受け損なった料理の時に出る煙はこの屋根から抜けていく。

 僕らは枝をまたいで進んでいくと道の突き当たりに白い土壁の緑の柱を抱えたマスジドが見えてくる。タグマタン・マスジドだ。そのマスジドの前を通り過ぎると目の前の山に抱えられるようにして、台形型で安産型のずっしりと重そうな古い古い家並みが目に飛び込んで来た。

 タグマタン村だ。いつからそこに立っているのだろうか。旅人でも破れない静寂の中にその古い家並はある。聞こえるのは白色と黒色を体に携えたポロコと呼ばれている鳥の鳴き声だけだ。その鳥は春になると子作りのため人里にやってくる。何年も何百年も同じ時間が繰り返されてきたのだ。

 鳥も変わらず、村も変わらず、ただ変わってしまった僕のような遠い世界からきた人間は、この世界は取り残されているのではなく、すべてを知った上でじっと何かを待っているような気がしてならない。遠い世界の僕らのほうが間違った道を歩んでるのではないか。

 その遠い世界をこの世界はじっと凝視して、熟考して、静かに進みつつ立ち止まり、静謐の中にいながらゆっくり流転して、何かを待っている。そんな気がしてならない。

ladakh


ladakh


ladakh


ladakh



 ひょうはまだ降っていた。体が冷えてきたので僕はズガン地区に帰って、タップにくべた薪の火で体を温めようと思った。見上げるとポロコが鳴きながら飛んでいた。ひょうは降り続け、ポロコは鳴き続け、僕は歩き続けた。
 

0 comments:

Post a Comment

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...