2011年4月28日木曜日

15.公営バスの話。

 四日前の事だ。僕はカンジならにかかる橋の麓で立っていた。

 朝の七時。朝の空気は険しく厳しく、まだ陽が届いていないチクタン村は長くて深い影のかにあり、吐く息は白く煙霧のようであった。七時発着予定のカルギル行きの公営バスが時間通りにズガン地区にくる。始めはそう信じていた。でもバスはこない。

 七時三十分、朝の太陽がチクタン村の高い山々のを越えて顔を出し始めると、やっと村にも少し陽が届くようになる。空気が朝の日差しを浴びて熱を持ち始める。でもバスはこない。

 八時、日差しの範囲が徐々に広がり、村の細部に陽が届き始め、動物たちもざわめき始める。でもバスはこない。

 八時三十分、村は完全に目を覚まし、影と光は入れ替わり、早朝の農作業から戻ってきた村人は、あさげの準備に余念がなく、家々の煙突より細くて白い煙が揺らいでいる。でもバスはこない。

 九時、朝の登校を始める子供たちが家から徐々に吐き出され、チュルングスでは食器を洗う女たちの姿が見られ始める。そんな時、遥か彼方にバスの姿が確認できた。

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 やって来たバスは、年代物の製造国不明のバスで、人はすでに満員近く詰め込まれており、僕が乗り込むと席はまだ後ろに一つだけ空いていたので、そこに座る。

 隣の人とは肩をふれあいつつ、バスが右に傾くと乗客も右に傾き、左に傾くと乗客も左に傾き、突発的な事象がおこりバスが飛び跳ねると乗客も飛び跳ねる。僕は前の席の背もたれから飛び出ているスプリングが左に揺れたり右に揺れたりしているのをじっと凝視していた。

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 バスの車掌は体を乗客やシートの角や足下の鞄にしこたまぶつけながら運賃の徴収に回っている。僕は男に130ルピーを渡し、男はそれをわしづかみにすると無造作にポケットに突っ込んだ。バスは右に大きく揺れた。僕の右前に座っている女がバスの窓に首を突っ込み嘔吐している。

 それを横目に僕は隣の男と会話を交わす。男の顔はアジア系が少し入っており、むっちりとよく太ったその体躯は、バスが揺れるたびに揺れる。男はサンジャク村から乗ってきたと言う。僕はサンジャク村のアプリコットを褒めると、男は左手にはめているセイコーの時計を僕に掲げ、日本製はすばらしいと満面の笑みとともにそれを褒めた。

 バスはナミカ・ラをその年式では考えられないパワーで峠をひたすら登っていく。右に左にバスは体を大きく揺らせ登っていく。ナミカ・ラが見えて来ると、みんな一斉にあの呪文の言葉を唱え出す。

「アラー・フマー・ソアレ・アラー・モハンマ・ワ・アリー・モハンマ」

この言葉を三回唱えると、満足したように再びバスの軋む音以外は静寂に入り、空は青にかざすと宇宙が透け、山は動かず、谷は深い。

 バスに揺られ3時間30分、カルギルの街が見えてきた。インターネットをするべくカルギルに再度入るのだが、往復で7時間の道のりである。1泊以上の旅になるのだ。インターネットがなければ不便だとある人は言うかもしれないが、僕にとってはインターネットがあるから不便だなと思う事がある。

 こんな中央アジアの山岳地帯の牧歌的風景の中に住んでいるとそんな事も考えてしまう。それからもう一つカルギルの街を見る度に考えてしまう事だが、100年前のこの街を見てみたかった。陸の貿易行路の交差点。商店ではあらゆる言語が飛び交い、商人たちは体を大きく使って異言語間の意思疎通をして商取引をしている。

 北の東トルキスタンからきた商人はラバの横で疲れた体を安めタバコをふかしている。チベットからきた僧はレーへ教典を運ぶ途中、バルティ商店街のチャイ屋でトゥクパを啜っている。西から来たペルシャ人は路上に多くの絨毯を並べて、中国人の商人と何か言い争いをしている。

 どこから来たのか流れの音屋は、次の雇い主が決まるまで楽器の掃除に余念がない。僕はそんな光景を見たかった。

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