Sunday 17 April 2011

5.カルギルの道。

 朝、目を覚まして外を見るとフィフティ・フィフティの天気だった。というのも空は晴れているのに雪がちらついてのだ。僕たちはカルギル行きを決定した。これ以上天気は良くはならないだろうという判断だった。かくして僕らはレーから脱出したのだ。

ladakh



 レーの街でデリー出身の旅人を広い出発した。やはり思った通り村々は去年の洪水の様子を色濃く残していた。しかし復興はかなり進んでいた。途中のザンスカールリバーはクリームブルーが溶け込んでおり春の日差しを受けて輝いていた。

 ニンム、バスゴ、サスポル、ヌルラを通過する頃には拾った旅人とジミーの関係はなぜだかわからないのだが険悪になっており、ののしり合いが続いていた。カルツェに到着したとたんに旅人のバッグを後続の車に押し込んで、降りてもらった。

 カルチェでは顔見知りのチベタン・レストランでトゥクパとチョウメンを食べた。スリナガルで食べたチョウメンはビネガーたっぷりですごく酸っぱかったが、このレストランのチョウメンは全く日本の焼きそばと同じ味なのだ。ジミーはそれにケチャップをつけて食べていたが、僕はソースをつけて食べたかった。

ladakh


ladakh



 カルツェのチェック・ポストでアーミーに名前を書き込んでもらった時、ノートを見せてもらったが僕の数時間前に日本人が一人通過をしていた。ラマユルへのツアー客の一人だろうか。とにかく僕らはチェックポストを抜けて進んで行く。ラマユルに続く道は相変わらず悪路だった。

 日本では雪深い地方に行くと除雪を経験するだろう。それと同じようにここでは除岩を経験する事になる。降り注いで来る岩を常に除岩機が押しのけて道を作っている、その中を縫って進むのだ。時には完全に道が塞がって数十分から数時間まったく進まない事もある。

 ラマユルに続く道は二つあって一つは今通っているこのメインロード、もう一つは途中で脇にそれるサイドロードでこの道は長い長いつづら折りの迂回の道なのだが、ラマユルの天空を走るので景色は抜群にいいのだ。かくして僕らはラマユルを抜けて行く。

 フォト・ラは天気が抜群に良かった。雪が積もっている峠だが車道は除雪がされていて思った以上のイージーコースだ。フォト・ラを下り切った村でジミーの友人を二人拾いいっしょにカルギルに向かった。なかなか感じの良い二人組で、僕とジミーのジョークは全く通じなかったが、とても楽しい旅路だった。

 ボ・カルブー村を抜けて二つ目の峠ナミカ・ラも制覇する。天気がいいので、雪が積もっていても実に走り易い道になっていた。ワカ村そしてムルベク村を通過する。そしてブッディストの村のシェルゴル村を通過ここがカルギルに向かう村では最後のブッディストの村だ。

 シャカール村までの抜け道があるロッツン村を通り過ぎパスキュン・マスジドがあるパスキュン村、ソッド村を通り過ぎると上空から舞い降りる飛行機から見える景色のように眼下にカルギル・タウンが広がって来る。

ladakh


 ジミーの友人をカルギルで降ろして、クルスンの弟のマフマッド・クシムと落ち合った。クシムはチクタン村の隣人であり友人のヨセフ・アフマッドを連れていた。僕たち4人はカルギルのレストランに入り、モモを食べたあとにクシムのアパートに向かった。

 カルギルにもアパートがあるんだと僕は少し驚いた。その部屋は六畳一間程の大きさで角に手洗い場がありトイレは共同、そしてガスレンジが一台あるだけのすごく質素な部屋だったけど僕はこの部屋が好きになった。そして僕らは今夜はここで眠る事になった。

ladakh


0 comments:

Post a Comment

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...