Tuesday 19 April 2011

7.チクタン村への道。 

 春先のカルギルの朝がまたやってきた。労働者が集うショップで朝食を食べ終えると、カルギルのティ・チョウクで僕とジミーはテレビ・レポーターのホサイン・アリを待っている。僕はどういうわけでこうなったのかはわからないが、カルギルのテレビ局の取材を受ける事になったのだ。

 10分後にホサインはやって来た。無精髭をたくわえ、帽子を目深にかぶり、茶ぶちの大きめのサングラスをかけた業界人風情の男だった。近くのレストランに入り取材を受ける。僕は自分のNGOの目的を話した。初年度はシャカール・チクタンエリアの徹底的なリサーチで始まる。

 トレッキング・ルートの開拓、キャンプ・サイトの整備、ホーム・ステイ受け入れ先の募集とミーティング。シャカール・チクタンエリアの歴史と伝統的無形文化財の調査。有形文化財の調査(パレスなどの保存状態と歴史の調査)。

 シャカール・チクタンエリアのマップの作成。去年の洪水で流された地域の調査。その復旧方法の検討。次年度は観光客の受け入れ。などの仕事の話をした。

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 僕らはホサインと分かれた後、カルギルの周りの村を回る事にした。カルギル・スリナガルロードの脇に小さな村ある。チャニゴンと言う村がカルギルから30分ほどのところにある。その村にはバトー・ムンタンという地区とチュリスカンボという地区があり、両地区は離れている。その両方を尋ねる事にした。

 バトー・ムンタン地区は激斜面にある村だ。斜面が急なところは普通はつづら折りなどの道を作り少しでも上り下りの負担をかけないような道をつくるのだがこの村は違った。垂直に近い状態で天上の村まで道が延びているのだ。もちろん車では行く事ができないので僕らは徒歩で登った。

 村までの道は危険との隣り合わせだった。村人までがあまりの登りのきつさに途中で休憩する人がいるほどだ。息が切れかけたころに村に到着した。村人と一言二言挨拶を交わし僕らはより天空にある小学校の向かった。村を通り越して途中にあるマスジドも十分高地にあるのだが、学校は天空の山のてっぺんにあるのだ。

 小学校に到着すると僕たちは熱烈な歓迎を受けた。先生といろいろな話をして、生徒たちと遊んで僕たちはバトー・ムンタンを後にした。次にチュリスカンボに向かった。チュリスカンボも山の斜面にある地区だがつづら折りの道が地区の入り口まで続いており楽々村までたどり着く事ができた。

 地区の女性にティブレイクの歓迎を受けた後、僕らは女性に村を案内してもらった。その地区の小学校も村の一番上の方にあり僕らはたずねた。ここでも学校の先生と話をして、生徒と遊び僕らはこの地区を後にした。

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僕らはカルギルに戻りカシムとヨセフを拾ってチクタン村に向かった。パスキュン村、ロッツン村を通過して、ムルベク村で農夫たちと戯れた。そしてナミカ・ラという峠に向かう。ナミは空と言う意味だ。

 カは支えるものと言う意味だ。そうナミカとは天に伸びた柱のような山が空を支えているという意味なのだ。ナミカ・ラにさしかかると多くのムスリムたちが唱える魔法の言葉がある。僕らはそれを唱えた。

”アラー・フマ・ソアレー。アラー・モハンマッ。ワ・アリ・モハンマ。”

 困難な道のりを乗り越える時に唱える言葉だ。

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 僕たちはカングラル・チェックポストを左折してチクタン村に向かった。前回チクタン村に続く道沿いに流れる川をとある本を参考にしてサンギェ・ルンマと記したが、シャカール・チクタンエリアではこの名称は使われていないので訂正する。今回からこの川を現地の呼び名で記す事にする。

”カンジ・ナラ”

 これがシャカール・チクタンエリアを縦断している川の名前だ。

 カンジ・ナラ沿いを進んで行くと去年の洪水の様子がそのまま残っている村多い事に驚いた。道はろくに補修されておらず、もちろん被害は全村に広がっている訳ではないが、一部の村は洪水で洗い流されたままなのだ。政府やNGOはレーのディストリクト地域に重点的に資金を投下して復興させているのも事実だ。

 シャカール・チクタンエリアにはNGOも入ってきていないし、政府の助けも全くといっていいほどないのが現実だ。僕はこの光景を目の当たりにしてしばらく動けなくなった。

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 チクタン村に到着すると僕らはクルスンの家に向かった。家にはクルスンの両親と、妹のタイラがいた。タイラが夕食の準備を始めている。僕はショッキングな光景を目撃した。

 チクタン村の人々は薪を使ってタップスという炉で料理する。タイラがまだ赤々としている炭になりかけの木の破片を幅30センチほどの板の上に集めて、頭に巻いているスカーフの余っている部分で炭を囲い、逃げ場所を失った煙を集めて吸っているのだ。

 タイラは去年の洪水の時にレーの街でたくさんの子供たちの死体を目撃した。そして心の一部を壊してしまったのだ。

 その夜、僕は眠った。シャカール・チクタンエリアの子供たちが笑っている。その子供の半分が流された。僕は手を伸ばした。でもその子供たちの半分しか救えなかった。そしてうなされて目が覚めた。しばらく呆然としている。その時、僕はシャカール・チクタンエリアの明日に灯す明かりの事について考えていた。

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