カルギルの朝は労働者たちの朝食から始まる。通りは学校に通う学生、ショップ・キーパー、軍服を着た人、労働者であふれている。”チロチロ、シュクアラ”の声がいたるところで飛び交う。
僕たちはアパート近くのティー・ショップで朝食を食べる事とした。店に入ると人の匂いがした。久しぶりに嗅ぐ人の匂いだった。店の中は労働者でひしめきあっている。僕たちは店の一角に席を取って座り、適当にオーダーを通す。僕はオムレツとカルギルのケーキのような形をしたパンを頼んだ。
僕が頼んだパンはほんのりとした甘さが口の中に広がった。日本にいると当たり前の味覚が、ひさしぶりに蘇ってきたので大変おいしく感じたのを覚えている。ジミーとヨセフが食べているパンはタンドゥリ・タキと言う名のパンでシャカール・チクタンエリアからスリナガルまでの地域でよく食されているパンで非常にポプュラーなものだ。
僕ら朝食を食べ終えるとシャカール・チクタンエリアの滞在許可証(インナー・ライン・パーミット)を取るべくカルギル・ディストリクト・オフィスに向かった。
途中カルギルのメインストリートを通ったがゴミひとつ落ちていなかった事に驚いた。去年カルギルの街に滞在した時は観光シーズンでゴミがたくさん落ちていて汚かった憶えがあるからだ。
オフシーズンの朝はゴミの回収車が町中を回ってストリートを奇麗にしていた。きっとカルギルの街の人々が街を汚くしているのではなく、訪れる観光客のマナーがそうさせていたのかもしれない。去年カルギルタウン・イズ・ガーベージと言っていたのは誰だったか?
ディストリクト・オフィスでは去年ILPを取った前例があったので、書類を数枚書き込みオフィスをたらい回しにされただけで一日で取れた。これは驚きだ。去年は4日~5日かけてやっと3日分のILPを取れたのだが今年はいきなり一ヶ月分のILPと電話連絡だけで自動的にILPの更新ができるという特典付きだ。
昼飯はチョウメンを食べたのだが、まったく日本の焼きそばと同じ味だった。
午後にはバルー・カンカに向かった。
途中ラダック・カルギル・チクタンの話をヨセフから聞いた。よくラダックの日本語訳は”峠を越えて”とか訳されていると記憶しているのだが、実際の意味は”高いところに住む人たち”という意味らしい。カルギルには意味が二つある。ひとつは”雪が沢山降る所”という意味。
もうひとつは”商人の街”と言う意味だ。カルギルはKargilと書くのだが、gilの部分は昔はkhilと綴っていた。そしてその部分の意味はto rest "休憩する所"という意味だ。昔は中国からもパキスタンからも商人がたくさんやってきてかならずここで休憩をするために滞在したのだ。
最後にチクタン村の話。チクタンのチクは"ひとつ"と言う意味。そしてタンは"話す"という意味だ。続ける"ひとつの話"という事になる。なんてファンタスティックな名前なんだろう。そしてこの名前はチクタン村のすべての物をシェアできるという意味もある。
このエリアは現在は10パーセントのブッディストと90パーセントのムスリムが住んでいる。僕が一番驚いた話はチクタンエリアはほんの50年前まではほとんどがブッディストだったのだ。チクタンエリアに関して言うと50年前の仏教過度期になると酒を飲んで羽目を外す者が多くなる。
そして一妻多夫制度。一人の妻を兄弟がシェアするという制度がかなり不評で、少数派だったムスリムに次々に乗り換えが進み今に至っているのだ。シャカール・チクタンエリアにはパレスが昔は三つあった。ラジー・パレス。スタクチェイ・パレス。ヨグマ・カルブー・パレス。
このうち今も残っているのがラジー・パレス、ヨグマ・カルブー・パレスだ。去年この二つは見たのだがヨグマ・カルブー・パレスは完全な形で残っている。スタクチェイ・パレスは今は跡形も無い。
バルー・カンカは相変わらず美しかった。青空に白い塔がよく映えている。カルギルにもし来る事があるのならバルー・カンカは是非見ておいた方がいいだろうと知らない誰かに強く語りかけたい。
途中ラダック・カルギル・チクタンの話をヨセフから聞いた。よくラダックの日本語訳は”峠を越えて”とか訳されていると記憶しているのだが、実際の意味は”高いところに住む人たち”という意味らしい。
カルギルには意味が二つある。ひとつは”雪が沢山降る所”という意味。もうひとつは”商人の街”と言う意味だ。カルギルはKargilと書くのだが、gilの部分は昔はkhilと綴っていた。そしてその部分の意味はto rest "休憩する所"という意味だ。
昔は中国からもパキスタンからも商人がたくさんやってきてかならずここで休憩をするために滞在したのだ。最後にチクタン村の話。チクタンのチクは"ひとつ"と言う意味。そしてタンは"話す"という意味だ。続ける"ひとつの話"という事になる。
なんてファンタスティックな名前なんだろう。そしてこの名前はチクタン村のすべての物をシェアできるという意味もある。このエリアは現在は10パーセントのブッディストと90パーセントのムスリムが住んでいる。僕が一番驚いた話はチクタンエリアはほんの50年前まではほとんどがブッディストだったのだ。
チクタンエリアに関して言うと50年前の仏教過度期になると酒を飲んで羽目を外す者が多くなる。そして一妻多夫制度。一人の妻を兄弟がシェアするという制度がかなり不評で、少数派だったムスリムに次々に乗り換えが進み今に至っているのだ。シャカール・チクタンエリアにはパレスが昔は三つあった。
ラジー・パレス。スタクチェイ・パレス。ヨグマ・カルブー・パレス。このうち今も残っているのがラジー・パレス、ヨグマ・カルブー・パレスだ。去年この二つは見たのだがヨグマ・カルブー・パレスは完全な形で残っている。スタクチェイ・パレスは今は跡形も無い。
バルー・カンカは相変わらず美しかった。青空に白い塔がよく映えている。カルギルにもし来る事があるのならバルー・カンカは是非見ておいた方がいいだろうと知らない誰かに強く語りかけたい。
バルー・カンカを後にしてカルギルの街がよう見える高台にむかう。この位置から見えるカルギルの街はチベットの高台から望むラサの街にそっくりなのだなんて思うのはたぶん世界中で僕だけだろう。
夜になり僕は空を見上げた。今年はじめてのラダックでの晴れ渡った夜空だ。星の間に宇宙が見える。夜空はやっぱり星でできているんだと感じたカルギルの夜だった。
僕たちはアパート近くのティー・ショップで朝食を食べる事とした。店に入ると人の匂いがした。久しぶりに嗅ぐ人の匂いだった。店の中は労働者でひしめきあっている。僕たちは店の一角に席を取って座り、適当にオーダーを通す。僕はオムレツとカルギルのケーキのような形をしたパンを頼んだ。
僕が頼んだパンはほんのりとした甘さが口の中に広がった。日本にいると当たり前の味覚が、ひさしぶりに蘇ってきたので大変おいしく感じたのを覚えている。ジミーとヨセフが食べているパンはタンドゥリ・タキと言う名のパンでシャカール・チクタンエリアからスリナガルまでの地域でよく食されているパンで非常にポプュラーなものだ。
僕ら朝食を食べ終えるとシャカール・チクタンエリアの滞在許可証(インナー・ライン・パーミット)を取るべくカルギル・ディストリクト・オフィスに向かった。
途中カルギルのメインストリートを通ったがゴミひとつ落ちていなかった事に驚いた。去年カルギルの街に滞在した時は観光シーズンでゴミがたくさん落ちていて汚かった憶えがあるからだ。
オフシーズンの朝はゴミの回収車が町中を回ってストリートを奇麗にしていた。きっとカルギルの街の人々が街を汚くしているのではなく、訪れる観光客のマナーがそうさせていたのかもしれない。去年カルギルタウン・イズ・ガーベージと言っていたのは誰だったか?
ディストリクト・オフィスでは去年ILPを取った前例があったので、書類を数枚書き込みオフィスをたらい回しにされただけで一日で取れた。これは驚きだ。去年は4日~5日かけてやっと3日分のILPを取れたのだが今年はいきなり一ヶ月分のILPと電話連絡だけで自動的にILPの更新ができるという特典付きだ。
昼飯はチョウメンを食べたのだが、まったく日本の焼きそばと同じ味だった。
午後にはバルー・カンカに向かった。
途中ラダック・カルギル・チクタンの話をヨセフから聞いた。よくラダックの日本語訳は”峠を越えて”とか訳されていると記憶しているのだが、実際の意味は”高いところに住む人たち”という意味らしい。カルギルには意味が二つある。ひとつは”雪が沢山降る所”という意味。
もうひとつは”商人の街”と言う意味だ。カルギルはKargilと書くのだが、gilの部分は昔はkhilと綴っていた。そしてその部分の意味はto rest "休憩する所"という意味だ。昔は中国からもパキスタンからも商人がたくさんやってきてかならずここで休憩をするために滞在したのだ。
最後にチクタン村の話。チクタンのチクは"ひとつ"と言う意味。そしてタンは"話す"という意味だ。続ける"ひとつの話"という事になる。なんてファンタスティックな名前なんだろう。そしてこの名前はチクタン村のすべての物をシェアできるという意味もある。
このエリアは現在は10パーセントのブッディストと90パーセントのムスリムが住んでいる。僕が一番驚いた話はチクタンエリアはほんの50年前まではほとんどがブッディストだったのだ。チクタンエリアに関して言うと50年前の仏教過度期になると酒を飲んで羽目を外す者が多くなる。
そして一妻多夫制度。一人の妻を兄弟がシェアするという制度がかなり不評で、少数派だったムスリムに次々に乗り換えが進み今に至っているのだ。シャカール・チクタンエリアにはパレスが昔は三つあった。ラジー・パレス。スタクチェイ・パレス。ヨグマ・カルブー・パレス。
このうち今も残っているのがラジー・パレス、ヨグマ・カルブー・パレスだ。去年この二つは見たのだがヨグマ・カルブー・パレスは完全な形で残っている。スタクチェイ・パレスは今は跡形も無い。
バルー・カンカは相変わらず美しかった。青空に白い塔がよく映えている。カルギルにもし来る事があるのならバルー・カンカは是非見ておいた方がいいだろうと知らない誰かに強く語りかけたい。
途中ラダック・カルギル・チクタンの話をヨセフから聞いた。よくラダックの日本語訳は”峠を越えて”とか訳されていると記憶しているのだが、実際の意味は”高いところに住む人たち”という意味らしい。
カルギルには意味が二つある。ひとつは”雪が沢山降る所”という意味。もうひとつは”商人の街”と言う意味だ。カルギルはKargilと書くのだが、gilの部分は昔はkhilと綴っていた。そしてその部分の意味はto rest "休憩する所"という意味だ。
昔は中国からもパキスタンからも商人がたくさんやってきてかならずここで休憩をするために滞在したのだ。最後にチクタン村の話。チクタンのチクは"ひとつ"と言う意味。そしてタンは"話す"という意味だ。続ける"ひとつの話"という事になる。
なんてファンタスティックな名前なんだろう。そしてこの名前はチクタン村のすべての物をシェアできるという意味もある。このエリアは現在は10パーセントのブッディストと90パーセントのムスリムが住んでいる。僕が一番驚いた話はチクタンエリアはほんの50年前まではほとんどがブッディストだったのだ。
チクタンエリアに関して言うと50年前の仏教過度期になると酒を飲んで羽目を外す者が多くなる。そして一妻多夫制度。一人の妻を兄弟がシェアするという制度がかなり不評で、少数派だったムスリムに次々に乗り換えが進み今に至っているのだ。シャカール・チクタンエリアにはパレスが昔は三つあった。
ラジー・パレス。スタクチェイ・パレス。ヨグマ・カルブー・パレス。このうち今も残っているのがラジー・パレス、ヨグマ・カルブー・パレスだ。去年この二つは見たのだがヨグマ・カルブー・パレスは完全な形で残っている。スタクチェイ・パレスは今は跡形も無い。
バルー・カンカは相変わらず美しかった。青空に白い塔がよく映えている。カルギルにもし来る事があるのならバルー・カンカは是非見ておいた方がいいだろうと知らない誰かに強く語りかけたい。
バルー・カンカを後にしてカルギルの街がよう見える高台にむかう。この位置から見えるカルギルの街はチベットの高台から望むラサの街にそっくりなのだなんて思うのはたぶん世界中で僕だけだろう。
夜になり僕は空を見上げた。今年はじめてのラダックでの晴れ渡った夜空だ。星の間に宇宙が見える。夜空はやっぱり星でできているんだと感じたカルギルの夜だった。
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