2011年4月29日金曜日

16.上流に向かって歩く。

 細かい雪が降っていた。しかしその雪の向こうに太陽が透けて見える。今日のチクタン村は太陽の光に雪が反射して春の眠たい朝の陽気を演出していた。

 カンジ・ナラの上流から流れて来る水は雪解けの水と乾いた砂が混ざり合って、春の陽気に逆らわず徹底的に緩慢にかつ豊富な水量でチクタン村のという名前がこの地域に根ずくずっと前より、毎年変わらず気の遠くなる作業し続け、このエリアの地形を作ってきた。僕はズガン地区のカンジ・ナラにかかる橋を渡り上流に向かっている。

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僕は上流に向かって歩いている。何度も訪れた村々を通過する。男が道の端で工事をしていたので話を聞くと、このエリアは先の洪水で電話線がやられたのでその工事をしていると言う。見たところその男の手にあるのは電話線だ。

 電話線がやってきた方向に目をやると山を乗り越え、川をくぐり、林をぬけてととてつもない旅路をしてきたようだ。この男が一人でやったのかと思うと感服してしまう。そして僕は上流に向かって歩いている。

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 僕は上流に向かって歩いている。ワルンマ村が見えて来る。僕はその村の高台にある学校に向かった。ガバメント・ミドル・スクール・クッカルチェ・チクタン。男の子が8人、女の子が18人、先生が4人の小さな学校だ。あごに髭を蓄えた男が僕を学校に招いてくれた。

 男はスリナガルから赴任してきたと言う。僕は男に去年スリナガルに行った話をして、スリナガルは美しく素晴らしい街だと褒めると、男は右手で髭を触りながら、目を爛々に輝かせてそうだろうそうだろうと相づちを打っている。僕はこの学校の生徒たちの写真を取り終えるとまた次の村へ向かう。そして僕は上流に向かって歩いている。

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 僕は上流に向かって歩いている。テムラン村が見えて来る。ただ一軒だけカンジ・ナラのほとりに立っている。それを村と言っていいのかは疑問だがとにかく家は立っていた。白い犬が尻尾を大きく左右に振って吠えている。この犬はシャカール・チクタンエリアでただ一匹だけの犬なのだ。

 僕は家族と一言二言会話を交わし、写真を撮る。家族の一人が向こう岸にも違う村があるというので僕は案内してもらった。橋を渡って数分歩くとその村は見えてきた。クスクシェ村だ。

 この村もただ一軒だけの村で、家の家族は農作業をしている。僕は彼らと挨拶を交わすと写真をとり、この村を後にした。そして僕は上流に向かっている。

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 僕は上流に向かって歩いている。チュリチャン村が見えて来る。村の中を散策していると右から左に向けて羊の群れが横断する。羊はメェと鳴きながら次々と現れては消えていく。そろそろ冬毛を刈り込む季節がやって来たようだ。

 最後尾の羊使いがお茶をごちそうしてくれると言ったが、僕が断ると、まぁまぁそう言わずというようなそぶりと笑みにやられて僕はその男の家についていくことにした。男の家は村の中腹にあり、敷地に大きな羊を飼っている囲いがある。

 男の家に入りグルグルティを頂く。男の家族は数えられる限りでは5人で、丁度昼食の時間だったので僕は誘われが、丁重に断った。今日はこのくらいにしてズガン地区に戻ることにする。そして僕は下流に向かって歩き始めた。

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 ズガン地区に着いて窓辺で体を休めていると、外から聞き慣れない音が聞こえてきた。エー、エーとかすかだがしっかり聞き取れる、弱々しいが生命の力強さを内包しているそんな音だ。窓から僕は顔をだすと丁度目の高さにある山羊のシェルターの中には生まれたての羊の赤子の双子が母親羊に体を丁寧に舐められていた。

 新しい生命の誕生だ。春という季節、村々を散策するとさまざまな動物たちの赤ん坊の鳴き声が至る所から聞こえて来る。そしてその声のする方に顔をむけると赤ん坊が頭上から覗いていたり、足下から覗いていたり、時として肩に落ちてきたりする事がある。

 チクタン村の時間はゆっくりと確実に輪廻していて、同じ時間の中に進行している様々な生命の歴史は決して記録されることはないが、それらが生み出している見えない時間こそ、チクタン村の深淵であるが優しくて、広大であるがみずから主張せずただ身を委ね、それらが静かにゆらいで一枚一枚丁寧に積み重ねられてこの村の歴史は作られているのだ。

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