Wednesday 27 July 2011

53.シャシー・ツォ。

 山深いヨクマカルブー村よりさらに深山に分け入ると、気高い山々に囲まれ慎ましい程ささやかな緑と花に恵まれた小さな村サンドゥ村に辿り着く。サンドゥ村の一番奥よりヒマラヤの嶺々に続く羊使いたちがつけた道が天に向って走っている。僕はその道を登っている。

 僕は背中にテントとクッキング用品を背負い、相棒は背中に家庭で使う鉄のかたまりのでっかいガスボンベを背負っている。この道のずっと先にある山の頂きには美しい湖があると云う。その湖の名はシャシー・ツォ(シャシー・レイク)。サンドゥ村の羊使いが放牧に行くくらいで、ツーリストの姿はない。

 しかしこの湖の美しさは筆舌に尽くしがたいほどすばらしいと彼らは云う。その幻の湖に向って僕は歩いている。左側の深い渓谷の遥か下にはさやさやと渓流が流れている。

 その渓流に沿って羊使いの道が続いているのだ。チーズ色の山肌の縁を長い蛇が這っていったような跡が羊使いの道だ。チーズ色の山肌の羊使いの道はしばらく続く。鳥の鳴く声と渓流のせせらぎだけでこの渓谷を形作っている。

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 そして視界が突然広がった。広く柔らかい緑のじゅうたんと、その上に流れる一筋のきらめき透き通る水の道が目に飛び込んでくる。多くの動物たちがこの楽園でくつろいでいるのが分かる。

 この楽園の名はシャシー・スパン。ヤク、羊、山羊、牛、ドンキー、そして多くの鳥たちが緑の中の無数の宝石となって、楽園に彩りを添えている。それに僕たちも加わり楽園にいっそうの彩りを添える。ここでは自分もただの動物に過ぎないと言う事を実感できるのだ。

 動物たちが草をついばんでいるので僕たちも何かついばむ事にした。大きな岩の風防の淵に鉄のかたまりのガスボンベを設置し、渓流の水をちょうだいし、料理を作る。簡単にメギを使った料理をする事にした。メギとはこの地域では非常にポピュラーなインスタント・ヌードルでカレー風味である。

 よく子供たちが袋の上からメギごと手でもんで細かく砕きお菓子のように食べているのを目にする。僕たちはそのメギを大人の味付けで調理する事にした。玉ねぎ、鶏肉などの薬味は僕が調理し、味の方は相棒に任せる。出来上がったのを食べてみると、案の定カレー味だった。チリやマサラを基本にすると結局はカレー味になるのだ。

 でも動物たちといっしょに食べる食事は美味いし心楽しい。美味い物を食いたければもっと地球に近づくべきだ。そしてこのお椀のそこのような地形は緑と花で溢れていて、それらを生き生きさせるために豊潤な水がさやさやと流れている。そして動物たちはその命を恵みとして頂いている。

 僕たちもまたそれらを恵みとして頂くのだ。僕たちはその恵みをたいらげると、羊使いの道をさらに行く。

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 緑の絨毯は山の嶺まで続いているようである。この美しき楽園の中を嶺に向って歩く。このお椀周りに広がるの嶺々に時折人の影が揺らぐ。その影は広く高らかに口笛を吹き僕らに挨拶を送っている。羊使いたちだ。僕らも天に向けて高く口笛を泳がせる。

 口笛は渓谷に反響してこだまが生まれる。風が起こり花がゆれ動物たちが一瞬一斉にこちらに顔を向けるのだ。そしてまた僕たちは羊使いの道を歩く。目の前に山の嶺が迫ってくる。僕らは緑の絨毯に乗って嶺を越える。風が止む。青が目に飛び込んで来た。シャシー・ツォだ。その青は神の色だ。

 山頂のラグーンは目を覚まし、よりいっそうの深い青を湖面に泳がせる。山の嶺は湖面に深く鋭い影を落とす。湖面の輝きは鏡の音をたてて、光り出す。湖の周りの嶺々は時折風を起こす。

 鳥たちが水辺から一斉に飛び立つと、頭上を旋回した後、嶺に降り立ち、強く優しく鳴く。湖面に水のうろこが出来き、鏡に写っていた嶺の影は砕けてガラスの粒となる。風が止むのを待ち僕たちは湖岸にテントを設営した。その黄色と緑の人工物が青の淵で静かに鎮座している。

 それらは地上のただ一つの人工物で僕らは地上最後の人間ではないかと錯覚を起こす。でもこの瞬間にそれを確かめるすべは無い。そして地上最後の楽園に夜の帳が降りてきた。

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 夜の嵐は激しくテントに雨を投げつける。

 朝。山々の嶺に淡く朝の色が灯り、瞼にもそれがのると、僕は静かに目を覚ます。無風。テントから頭を出し、湖を眺める。それは静かなる美しき青き鏡だった。その青は地球を映している。山も空も雲も青に飲み込まれている。青の中から鳥が鳴く。

 そして青よりチャチャチャと鳴く声は鳴きねずみだ。彼女らもその青から抜け出せないようだ。緑も花も青の中にある。奇跡の瞬間が過ぎ、風が起こる。青き鏡は静かに砕け、その粒は鱗となり、湖面を揺らし、楽園は元の場所へ戻る。それは魔法が解ける瞬間だ。

 山も空も動物たちもこちら側の朝の顔に戻り、湖面の鱗に落とす雲の影は風に乗りうねるように流れる。僕は湖の淵にゆっくりと座る。岩の間からその小さな体で立ち上がり鼻をぴくぴくと効かせながら鳴きねずみたちがこちらの様子を伺っている。鳥たちは湖面の淵でその小さな美声を聞かせながら遊ぶ。

 あと数十分もすれば、下界より羊や山羊やヤクなどの動物たちが湖の淵に集まってくるだろう。湖の原始の静けさは生き物たちに永遠の安らぎと生を与える。僕は湖の水でコーヒーを煎れながら、そんな太古の光景を見つつその安らぎと生をすする。風は凪い始めて、山の端に横一直線に朝の閃光が走る。それは湖面を優しく鋭く射す。

 そして湖面は静かに揺らぐ。そして僕の心が静かにざわめく。ヒマラヤの山々の名も知らぬ一つの嶺の頂きにひっそりと浮かぶ青く静かにかつ鋭く瞬く湖、シャシー・ツォ。人が地球の奇跡だと思っている事は彼にとって数万年に一度の仕事でもそれは日常的な事なのだ。人の一生は彼にとっては一瞬の出来事だ。

 しかしその一瞬に人は熱く短く生きる。絶え間ないおびただしい物語の積み重ねがその一瞬なのだ。ここでは一生は一瞬に置き換わり、一瞬は一生に置き換わる。

 僕たちはテントを片付けると偉大なるヒマラヤのシャシー・ツォを後にした。途中眠たげな目をした羊や山羊やヤクたちとすれ違う。きっと動物たちは云うだろう。「奇跡の瞬間を見たか?」って。 

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