Monday 25 July 2011

51.コクショー村。

 コクショー村に到着したのは昼の太陽が傾きかけた頃だった。相当疲れているようだった。その証拠に僕は村の入り口のところのゴンパが頂上に立っている岩山の麓に息を切らせつつ大の字で寝転がって太陽と曇り空を見ている。チクタン村からの徒歩での太古の山道の18キロはけっこう長く感じた。

 朝出発してコクショー村に到着するまでに5時間かかっている。コクショー村は標高が高く、空に近く、そしてこの地区に移り住んだ始めてのダルド系民族の村でもあるのだ。ダルド民族はかぎ鼻に、太い眉、濃い髭、そしてよく澄んだ茶色の瞳を持っている。

 コクショー村のダルド族は、伝えられるところによると、ダルゴ村より王が民を引き連れてここに分け入ったらしいのだが、こんなヒマラヤの幽谷の一番深くかつ遥か高みのところに村を作った彼らの恐るべし開拓者の血脈には目を見張る物がある。

 世界には不思議な民族がたくさんいて、例えばエスキモーなどはなぜあのような過酷な場所に移住して生活をするようになったのか、南下すれば気候も温暖で、食料はもっと手に入りやすだろうにと思われているのだが、説はさまざまあって、未だ確証に至っていないのである。

 このコクショー村のダルド系の人々も同じように利便性を越えた何かがあるのか、それが必然性だったのか、はたまた時代のただの気まぐれであったのかは今となっては知る余地もない。

ladakh


 岩山の上のほうから声がかかる。僕が見上げると紅の袈裟を羽織ったラマ僧たちがゴンパから顔を出して、登ってくるように促している。僕は頂上にあるゴンパまで登っていく。腹は減ってないかと聞かれ、少し減ってますと答えると、今からみんなで食事をするので一緒にどうかと聞かれ、恐縮しながらも僕は同席する事にした。 

ゴンパの中に入ると奥から上座となっており僕は入り口近くの下座に座る。中は薄暗く窓から射しこむ光が、時に体を預けるままに漂っている無数のほこりをきらきら輝かせている。

 ゴンパはおおよそ20畳ほどの狭い空間で、中央には空き缶で土台が作ってある大味な立体的な曼荼羅を模したものが作られており、正面の壁には天井まで届く程の色鮮やかな釈迦座仏が鎮座して、その周りの壁はほこりをかぶった仏典やら小さなたくさんの仏像が古いガラス棚の中で眠っていた。

 ラマ僧たちに諭されて僕は壁に背、正面に立体曼荼羅というような向きで座ると、大皿が渡されて、上座より飯とおかずが取り分けられていく。飯の上には豆のスープ、野菜のスープ、チーズを揚げたもの、山羊の乳で作ったヨーグルト、トマト、きゅうりなどが盛られている。

 味はチクタンエリアで食するものとまったく違い、どことなくはんなり西洋風な味付けがする。ラマ僧たちは沈黙と云う名の歓喜の中でもくもくと食事をする。

 その周りを忙しく回っている小男がいる。ラマ僧たちの世話係だ。

 小男は皿の飯が減ってくると追加する。スープが減ってくると追加する。水が少なくなると追加する。そして忙しく駆け回っている。食事の最後に小男が大皿に並べられたバナナを上座より取り分けていく。ラマ僧たちは慎重に目視で少しでも良い物をと選んでいく。

 バナナは交通手段の関係で、みんなひどく痛んで真っ黒やつばかりなのだ。僕は最後に皿に残ったやつを頂く。黒い皮をめくるとまさにとろりと痛んで溶けているので、それが崩れ落ちる前にかぶりつく。見てくれと食感は悪いが、味はみな同じだ。形あるものが口に入る前にただ壊れただけだ。

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 その時、奥に座っていた老僧の手にある鈴が「ちりん」と鳴る。左壁の大きな体躯の僧の枯れた浪曲師のような声で読経が始まる。暗みと光の部屋に経が広がり始める。その後に続いて他の僧たちが各々の音の高低の経を持って、経に絡み付いていく。大きな体躯の僧が経の骨太の部分を努める。

 それに自由に即興で絡んでいく他の僧たち。時々骨太な経にその上を行く太いのがのしかかる。それでもリードの経は動揺せずにその浪曲的な声を鳴らす。経の掛け合いは進み、僧たちのブルージーな読声は部屋の隙間に充填され、流れ、漂い、迷い、広がり、壁の中へ溶けていく。

 また老僧の鈴が「ちりん」と鳴る。僧たちはゆっくり立ち上がり、その内の二人の僧が横たわる角笛に命を吹き込む。角笛が鳴く。高く広くそして良く鳴く。鈴が鳴る。角笛が鳴く。次に僧たちは立体曼荼羅を中心に右回りに歩き出す。大きな体躯の僧のリードの経に、他の僧たちがまた即興で絡み付いていく。

 僕も促されその歩む円陣の中に入っていく。経が踊る。僧は回る。

 僧たちの経の即興演奏は、低く垂れ込める雲の下の小さなお堂の中で、生まれては消えていく径、たたみ込まれるように読まれる経、空間に淀んでいるだけの経、それらの経たちは、たちどころに上昇し、膨らみ、吸収し、同化し、分解し、霧散しつつを執拗に繰り返し、そしていつしかお堂の屋根に座って様子を見ていた真夏の昼の夢の妖精たちが、それらと戯れるタイミングを伺っていた。

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